SODERBERGH TRAFFIC

スティーヴン・ソダーバーグは自分の目で考える。いちずな映画テクニックを通してコンセプト、テーマ、感動を伝える天賦の才に恵まれたアメリカの主流の監督はほとんどいない。
2000年、ハリウッドはソダーバーグ抜きには語れなかった。アメリカ国内だけで1億2千5百万ドルの純利を上げジュリア・ロバーツの能力をみごとに引き出した<エリン・ブロコヴィッチ>と熱狂的な論評でアメリカで封切られすでに批評家からの賞を腕一杯かき集めている最新作<トラフィック>が第73回アカデミー賞の候補に選ばれた。作品賞ばかりか監督賞でもダブルノミネートされた彼は監督としての名誉を自分と競う1938年マイケル・カーティス以来の映画監督になった。
早熟な初作品<セックスと嘘とヴィデオテープ>が気持ちが通じ合う世代の関心事だったことで89年サンダンスとカンヌで熱狂的に迎えられると26歳のソダーバーグはなんなく重圧となってのしかかるインディー映画のイコンとなりタブロイド紙の見出しを延々と飾る。以後何年にもわたり新聞雑誌のインタヴュー経由で受ける他の監督の平均を大きく上回る量の分析とカンヌ大賞後のとんでもない予想「ここからは下り坂」発言でソダーバーグの転落そしてさらなる冒険の物語は始まった。
「まだ僕にはこれに打ち込めるほどの能力がなかった。作るのが早すぎた」とソダーバーグ自身が分析する91年の野心作<カフカ>、「子供は退屈な仕事と聞かされていたから、ならやってみようと思って。もっとざらざらしたものにするつもりがアメリカ映画の手堅い一本になってしまった。アントニオーニに抱く僕の妄念は除けるかな?ってアピールでもあった」 過小評価された93年の<King of The Hill >、そして「これまでに僕が作った一番冷酷な映画。慣用を無視したくずれた物語って点で野心作」だが「断然できの悪い映画」95年の<The Underneath >の失敗後、彼は燃え尽きて気落ちする。「これでどん底、最初から出直すしかなかった」
98年のエレガントで語り上手な<アウト・オブ・サイト>がソダーバーグ復活の映画として頻繁に引き合いに出されるが実は本当の蘇生は95年連続して作られた2本の映画で始まった。「仕方なくやってたこと、なんでもいいから自分のことを言わなきゃならないのが限界にきていた。僕は自分のことより他人の身の上話に関心があったから」
失っていたアマチュアの熱狂の対象に触れるため故郷ルイジアナのバトンルージュに引きこもった彼は目の病気のモノローグを映画化したいかしたヴィジュアルで強調する<Gray's Anatomy >と奔放ないわば自伝の決定版<Schizopolis >を作る。昔からの友達5人がクルーで自分で書いて撮影も主演もする<Schizopolis >は電話にも出ずにブラインドを降ろし音楽かけっぱなしにしてたむろする「自分の家を爆発させる映画、爆破してもうどこにも後戻りできない立場に自分を追いやる映画」だった。それにはまさに彼が期待した人を生き返らせる効果があった。「鋭さの意味を明確にした」と分析する映画には個人的な背後の意味に注意を促すかのように元妻となる女優と娘が家族として登場する。
ほんの一握りの人しか見に行かない低予算のおかしな実験映画が解明の手がかりを与えてこれまで手つかずだったどんなものでも具体化できるのを知り自信を得た彼は、ジャンルに解釈を下さない、繰り返しと見なされるものに頑なに抵抗することで抜きんでている。そしてハリウッドの災難からリールを引き寄せるばかりかうんざりする決別にじっと耐えた新ヴァージョンの彼を見せる好機が<アウト・オブ・サイト>でこれに始まり予測不能な編集といまだにすばらしいテレンス・スタンプを思いつくキャスティングの才の「物語の実験を思いのまま満たせる好機のせいでとても重要」と分析する映画、99年の分裂した白日夢<The Limey イギリスから来た男>で続く驚異的成功の傾向をとりあえず仕上げるのが<トラフィック>だった。
明らかにつむじ曲がりのキャリアを選択した後のツケは無視できない。それがこれまでになく楽々と自分の言い値でハリウッドとインディーの両方の側をまたいで立っていられることだと今はっきりわかる。その両方にある怠惰な気質と拘束したがる習性をはねつけるのを彼の履歴がそれとなくわからせるせいで。極めつけの皮肉はスタジオにとりババだったものが必ずや成功する確実な監督に生まれ変わったことだった。 「僕はもうコントロール・フリークじゃない。映画のために僕が選ぶ美意識の具体化はこれまで通り系統立ったものでも履行の仕方がまったく違う。僕は完璧主義者だった、でも間違った完璧だった。それにもう完璧がおもしろいとは思わない」

ゴッドファーザー以来のパワフルなハリウッドの大作 THE NEW YORK TIMES

決して手をゆるめないドキュメンタリースタイルで切迫する悲惨なアメリカの麻薬戦争についての現実的見地に立った野心的なパノラマ。スピードと倹約で知られる監督にしては撮影に54日と4千6百万ドルかけたもろ政治映画<トラフィック>でもソダーバーグは自分の目で考える。
製作会議の場でエネルギーと感動が一番だいじと言い切った監督はこの弾みを持続させるためこれほどの大作には異例の選択、監督みずからが映画を撮影した。 映画の原動力は3つのストーリーだ。それぞれユニークだが小うるさくない色調整で観客は常にどこにいるかがわかる。ティファナの警官ベニチオ・デル・トロが恐ろしい2つの麻薬カルテルと戦うメキシコの全体に黄色く光るコマはフィルター越しに撮影後デジタルで彩度を落としたブラウン、私立学校に通う娘がヘロインとコカイン中毒なのを知り試練に立たされるドラッグ取締の権力者に新任されたオハイオ州最高裁判事エクセレントなマイケル・ダグラスの中西部のコマは冷ややかなブルー、そして大物ドラッグディーラーをなんとか投獄したい二人のDEA 麻薬取締局員ルイス・グズマンとドン・チードルのサンディエゴのコマでは70年代ハル・アシュビーが効果的に使ったフラッシングの手法を用いたいやらしい底意とうまい対照をなす牧歌的なグリーンとアイヴォリーだ。
なんとか極限状態に見せたい監督の意図通り私たちは劇的なシーンでもないのにたびたび盗み聞きしている気にさせられる。たとえばこんな場面、実情調査のためダグラス判事がメキシコ国境を訪れる一連のシーンでは本物の合衆国税関職員に捜索と押収の世界を説明させた後カメラを回した。好奇心と驚きが混在するダグラスの顔は天才的に見えた。
またできる限り自然光を使い手持ちで撮影するソダーバーグはセットでは俳優たちに余裕を与えるため望遠レンズを使った。彼はドグマ95の試みに似ているのを認める。「形式主義に行き詰まりを感じたところで精神的な中断状態を経験した。忘れられてることに磨きをかけることもできれば映画から人生を締め出すこともできる。ドグマは人目を引くギミックだとわかっていても中核をなす誠意は疑わない」
<トラフィック>は<エリン・ブロコヴィッチ>のような社会的道義心にアメリカの麻薬戦争を説明してそれを批判するという重要な任務を持ち合わせる上機嫌のハリウッド・エンターテイメントだ。 英国のミニシリーズを下敷きに脚色したスティーヴン・ゲイガンとの親密なやりとりから生まれた映画の生命力は公平さにあった。「僕たちには答えがあるみたいに終わりたくなかった。愚かな映画監督が2年後にまとめることができたアイディアはきまってしびれるものなんだ。評判の論争にはどうも大きな空白があるみたいでもこんなのはなかなかあることじゃない。映画が役立つんだよ。おかしいのは映画を見てどの人も自分の見解を理解してもらおうと思うこと、僕の期待はまさにこれとは正反対のことだった。税関局、DEA 麻薬取締局、司法省に見せるのにワシントンで上映会を開いた。全員が後で映画は好きだと公言したよ。翌日夜のLA での上映会には左翼思想の強硬派NPR/ PBS が見に来ていて男が立ち上がると初の公認賛成の映画を作ってくれてありがとうと言った。また別の夜には長官が来て長いこと彼が従事してきた法の執行に関する最も的確な描写だと思うと言う。それに堅物の友達がいてね、そいつがおいお前これはすごいって言うんだよ」
事実と人物がぎっしり渋滞状態の<トラフィック>は映画館で座って見ているだけで知識を身につけられるまれな映画でもあった。その一因は脚本家のスティーヴン・ゲイガンにある。TV のアニメドラマ<ザ・シンプソンズ>の台本を書いたこともある彼自身が実は本物のジャンキーでエミー賞を受賞した刑事ドラマ<NYPD ブルー>の脚本を書いてたときもヘロインをやっていた。離婚、逮捕に脅える日々、ドラッグを断ち助けを求めていた97年、<トラフィック>の下調べのため国防総省を訪ねて麻薬戦争の権力者に会うという大きなチャンスが舞い込む。彼には聞きたいことが山ほどあった。ガイド役の英国の骨子を使いまんまとこれらの話を絡ませて食い意地と度胸と中毒と裏切りのフレスコ画を作る。
なぜオリヴァー・ストーンがこの映画を作らなかったのか?映画の主題は何よりストーン的に思えるのに。ふんだんに映画に金をつぎ込みたがる性分と人道主義の立場からやたらに面倒を起こしたがる彼の趣味、製作中に摂取すると評判のおびただしい量の薬が邪魔をしたのか。彼にソダーバーグを出し抜くほどのパワーがあるのかどうかは別として、もっと挑発的で君をしかりつけもっと強い感情を持つよう激しくせき立てる映画になることだけは確かだ。 ソダーバーグには君をしつこく追いかける悪魔のような男の印象はない。そこがなぜ批評家の称賛や賞を受けるかの理由だ。

これ以上ないほどタイムリーな映画

アメリカ人は年間650億ドル(約7兆8千億円)をドラッグに費やす。
政府が毎年200億ドル投じる麻薬戦争に勝てる見込みはなく、90年〜98年ドラッグの罪で投獄された人の数は23万6千人、80年代の2倍に膨れ上がる。これがアメリカの現実だ。
政治家より国民のほうが進んでいるのはどこの国でも同じ。昨年11月、議会がすくんでいる間に5つの州の有権者が毎年莫大な予算を投じる現状の麻薬政策を見直す国民投票に賛成した。めったに触れられないが暴力を伴わない犯罪者が刑務所に入る代わりに治療を選べる画期的な提案36号が同時期カリフォルニアで採択された。
一方1月、州知事ジョージ・パタキが態度をくつがえして70年代に制定された時代遅れの取締一本やりの法案ロックフェラードラッグ法の改正を誓約した(刑期15年以上を8年に引き下げ判事の裁量権を広げる提案)ニューヨークでも市長ジュリアーニがヘロイン中毒者に薬物依存の治療としてメタドンを提供することに賛成することにした(メタドン療法は作家ウイリアム・バロウズが50年も前から言ってること。ヨーロッパにはヘロインを持参するとメタドンと交換する国もある)。また州知事が改革をリードするニューメキシコでも顧問団が少量のマリファナを処罰の対象から外すことを奨励する。
麻薬戦争の惨めさを訴えて新しいアプローチ、ドラッグの常用は罰するより治療するものとする考え方に光を当てる映画を見れば現状に不満を募らせるアメリカ人の多くが共感を覚えるはずだ。<トラフィック>の決め手はタイムリーなところ、でも監督は早急な救済を思い描いてはいない。連邦レヴェルでの変化がいつ起きるかと固唾をのんで見守るわけではなかった。「この問題で進歩的な考えを述べようとする政治家はみなドラッグに甘いと攻撃されてねじ伏せられる」とソダーバーグは言う。「家族の誰かにドラッグ問題が起きると身体は大丈夫かってことになるのに家族以外だと犯罪の争点になるおかしな断絶がある」
映画にはオリン・ハッチやバーバラ・ボクサーのような実生活の上院議員がカメオ出演してそれぞれに映画を気に入っている。映画は麻薬取締官をヒーローと描き、麻薬政策批判者には無用の国境封じを暴くことで双方をうまく満足させ、麻薬中毒と麻薬阻止の恐怖に均等に時間を割く。描写に徹することでソダーバーグは麻薬政策論争を再燃させた。私たちにまで及ぶほどにだ。

●参考資料:VILLAGE VOICE 1/9 NY Press 2/22 NEWSWEEK 1/15 2/21, 2001

(TAMA29 掲載、SPRING 2001 )