VISUAL DIARY :

写真家ナン・ゴールディンは自分が生きてきたやりすぎの人生を証明するために写真を撮った。20年のヴィジュアルで綴るダイアリーはドラッグクイーン(女装好きのホモ)や、不摂生と交友だけを頼りに生きながらエイズで死んでいった快楽主義者の世界についての最も正直で傷つきやすいドキュメントだ。

セックスも酒もドラッグもやらない仕事中毒のNY とは異なり、パリではホテルのベッドを朝の8時になっても使わない。46歳にしては激しすぎると言ってもこの女性はハンターS. トンプソンを同郷人のように思わせる派手なパーティ歴の持ち主だ。
NY ローワーイーストの放棄されたロフトから、あてどなく流れるバーやクラブやストリップクラブ、そして内輪のパーティや親密な寝室まで、ゴールディンは彼女のカメラの目を通して共に分かち合う快感と痛みの体験に立ち会うと同時に、行った先々で出会った人たちを一つに結び合わせて新しいグループにまとめると、彼女のウイットと関心で友情を芽生えさせた。友人のリュック・サンテが<All Yesterdays Parties >で描写するように彼女は電撃的な社会伝道者だ。

相談相手だった姉が列車の前に身を横たえ自殺をはかったとき、ゴールディンは11歳だった。姉の死から3年、家を出た彼女は金持ちの里親家族を何軒か経験する。温室でのマリファナ栽培と黒人の恋人のせいで追い出されたのを最後に、1972年ヒッピーフリースクール、サティヤコミュニティに入学すると「命であり下地」と彼女が呼ぶ一般的社会規範に従わない本物の家族を発見する。
雑誌ヴォーグのファッション写真に影響された友達のボヘミアン仲間がメイン州の古着屋で数ドルでかき集めた服で女装したのが彼女の最初のテーマになる。そして女装したホモと一緒に写真を撮るとき、エイズやドラッグで死んでいったあまりにも多くの人たちの記憶を残し続けるとき、ダイアリーは続いた。
また彼女にとって写真を撮ることは心理的な宿命にもなっていく。「戻らないように」と思って始めた、愛人の暴力で眼窩と鼻が潰れた自分の顔やドラッグと酒の常用癖を断つための過酷な闘いで醜く膨れ上がった自分の腹やへたりこんだ肉体の写真は彼女が生きたカオスの意味を了解させるためのものだ。
写真スタジオの夜間コースを技術不足からくる挫折でドロップアウトしたときラリー・クラークやダイアン・アーバスの作品を知った。スピードフリークに混じりクラーク自身のダークな実体をドキュメントした<タルサ>に一体感を抱くと同時に、ほとんど精神異常と思えるほど人の皮膚に入り込むアーバスのやり方に彼女は感心する。「私には共感が一番大事」と言うゴールディンは、アーバスがなんとか悪を理解しようとしたところで愛を理解しようとする。
彼女の深い血の赤やエメラルドグリーン、強烈なブルーを見るのに最適なのがスライドショーだ。70年代後期からゴールディンは友人らのスライドショーをプロデュースしてきた。マットクラブでのフランク・ザッパの誕生日のパーティで映写した友人の姿、愛撫する、生きる、笑う、苦しむ、男女愛人の乱交パーティのイメージに、ルー・リード&ヴェルヴェットアンダーグラウンドからマリア・カラスの感傷的な歌までの個人的な曲をつけた「性に依存するバラード」が最初のそれだ。
彼女は言っている。「写真よりフィルムを選ぶ。スチール写真で映画を作るのが私のやり方。一瞬なんて信じない。人のことを語れるのは蓄積したイメージだけよ、歴史を通したね」

ゴールディンの最新の写真には風景写真が含まれる。「88年に解毒を始めるまでは外の世界とは関係がなかった。すっかり夜に生きてたから結びつけて考えられなかったの。今は水の色や火山に対しとっても興奮する。ヨシュアトリーやデスヴァレー、アメリカ杉の森林に行ったらまるで情事みたいに興奮した」
ここまで来るのに20年、でも「必死で生き残ろうともがいてこなかった人やこういう経験を通り抜けてこなかった人には興味がない」ときっぱり断言する。

▲参考資料:i-D NEWSWEEK2/21, 2001 (TAMA-30、掲載)