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ジャマイカ、トレンチタウンと戦い
by masaru suzuki


1981年5月1日、ボブ・マーリィはマイアミの病院で死んだ。
1984年キングストン、ノーマン・マンリィ・インターナショナル・エアポートを一歩外へ出ると危険な面構えが獲物を狙いその圧倒的過激さはニューヨークからレゲエに乗って飛んできた僕の脳天に強烈な一撃を加え、情け容赦ない炎のように焼ける日差しと喉を刺す排気ガスの煙と塵とを浴びせた。
ハーフウェイトゥリーはダウンタウン・キングストンでは危険の少ないストリートだとジャマイカ生まれのカールは教えてくれた。カールのアンクルはジャマイカカソリック教会の第一司祭だ。そのハーフウェイトゥリーをスプリングロードに向かって歩き途中あまりの熱さに涼しそうに見える暗いバーで一杯ジンジャービアーをひっかけていると山から下りて来たという古くさいスーツを着込んだビジネスマンがジャマイカなまりの英語で人なつっこく話しかけてきた。
「なにか困っちゃいないかい。ここはオレのジャマイカ・ジャマイカさ、なんでも聞いてくれ」 これからビジネスで飛行機に乗るとエアーチケットを見せ、時間があるからホープロードにあるタフゴングスタジオへ案内すると言って駆けだして行った。ネズミのような素早さでもうタクシーを捕まえている。
タフゴングスタジオの中庭にはレッド、グリーン、ゴールドのエチオピアンカラーで塗り分けられたバンブーで作った柵があり鉄のゲートの内側では一日中門番が外を見張っている。いまだに何が起こるか想像がつかない過渡期の街は続いていた。 このスタジオはボブ・マーリィの砦だったところ。今でも気持ちいいミュージシャンらしき男たちがのんびり歩いていた。簡単に造られた木造のスタジオの大きな葉っぱに覆われた軒先には動かぬ子牛のようにジョー・ヒッグスの息子、コルトレーン・ヒッグスが立っていた。
バラックのプレス工場を案内する女にボブ・マーリィのどのアルバムが好きかと聞くと「ぜんぶよ。ぜんぶ最高」とふてくされた顔を少しだけ持ち上げて答えた。ジャマイカの女はみんな、こんな顔をよくする。アフリカから奴隷船で運ばれた奴隷たちの苦悩の歴史を持つ彼らは欲しいものも手に入らず魂まで畜生扱いしやがってとなににでも挑む姿勢を見せていた。プレス工場はガランとしていてここからあの生きのいいレゲエミュージックのドーナツ盤が生まれるとは信じられず、ただの殺風景なガレージに見えていた。「近々ここから移るからねなんにも残っちゃいないのよ。こんどのとこは広いよ。リタ・マーリィがやり手だから、おいでよ。マーカス・ガーヴェイ・ドライヴの近くベルロードだよ」
もちろん、この街でもボブ・マーリィは英雄だった。ハーレム・ニューヨーク、レノックスアヴェニューにはボブ・マーリィに似た男の経営する店ハーモニーがあり、そこでよくボブ・マーリィの偉大さについて、ジャマイカの歴史やジャー・ラスタについて話したものだ。8月のハーレムウイークは盛況でレゲエショップのメンバーはここぞとばかりに商売し、プロテストなレゲエやラップがもてていた。
女にトレンチタウンへ行きたいと言うと真面目に恐い顔をして「あそこはよそ者には危険すぎるよ。あたしらだって絶対行かないよ。あそこではこそ泥、強盗、ナイフにピストルが常識なんだ。毎日人が死んでいるんだよ。いいかい、トレンチタウンはシャンティさ。あんた、キングストンにいるんだってトゥーリストにとっちゃ危険なんだ。金持ちのいるニュー・キングストンだって夜は出かけないよ。特に9時過ぎにはね」
「あんた、トレンチタウン、トレンチタウンってどうしてあんなとこへ行きたいのさ。あたしだったら絶対にやめだね」
コルトレーン・ヒッグスがガンジャをきめながら話に乗ってきた。ここではコーヒーを飲むようにマリファナを吸い、ラム酒や加工食品より罪はないと言う。「オーライ、オーライ!オレと行けば大丈夫。オレはトレンチタウン育ちだぜ。ノープロブレムさ行こうぜ」女がにらみつけていたがガンジャで少しもうろうとなった僕はジャマイカに着いて2日目、右も左もわからないままトレンチタウンへ、瓦礫とトタンとゴミの山、余分な人間野郎に群がるハエ、腐ったドブのなかでの生活、生き地獄、リンボーのシャンティタウンに向かっていた。
手を引かれて歩く盲人のように進むストリートにはレゲエミュージックがあふれているような感じで人々はレゲエのリズムで歩き、トースティングのようにしゃべり、ガンジャをたっぷりきめてダブをする。すべてが自然でゆったりとしたトンでる牛のようなペースで運ばれていた。なんていいんだ!すべてがトロピカル。むんむんとして炎上している空気のなかにカラフルで独特なスタイルのある看板とエチオピアの皇帝ハイレ・セラシエやマーカス・ガーヴェイの肖像画がプロテストなメッセージとして壁に描かれ、町の風景もレゲエによって作られていた。凶暴な太陽の下では原色は溶けてパステルになり、人間はガンジャでダブしてサワザップ・フルーツみたいに中身がエイリアンになる。 「なんか流し込もうか」カラフルな絵に囲まれた屋台ではビニール袋にぶっかき氷を入れてマンゴージュースを流し込む。「クールラニングス!」と言って、マンゴージュースは冷たく胸元にしびれ、うまかった。
いつのまにか入り込んでた新宿南口の馬券売場みたいな雰囲気のところがトレンチタウンの南の入口だと言う。
「コルトレーンってジャズのジョン・コルトレーンみたいだな」 「そーさ、ヤーマン!おやじがコルトレーン好きだったからな。それでつけたのさ。それにおやじも言ってたよ。精神的にレゲエに一番近いのはジャズだって、モダンジャズさ。レゲエはパワーだからな、わかるだろ」
「おやじはバカさ。金持ちになれたのに、オレにはよくわからねえ。金しかないんだジャマイカは。でもな、おやじは最高のラスタマンだった。ヤー」
「ここはおやじの生まれたところ、オレにとっても故郷ってやつよ。誰がなんて言ったってここが一番、いつもカッカ燃えてる。赤ん坊もレゲエにごきげんでイエーッて吠えるのさ。トレンチタウンがレゲエだよ」
「ボブ・マーリィは偉大だよ。おやじも好きだった。オレたちには神様みたいなもんなんだ。レゲエのステイタスが上がったからな」
トタンとトタンを重ね合わせた家々からは鋭い攻撃的な視線が投げかけられている。黒い顔に赤いジェラシーの目を光らせて赤ん坊はがむしゃらに泣きじゃくり女たちはでかいかなだらいでもくもくと洗濯する。そしてルードボーイが狙っている。こいつらはみんな動物みたいだ。人のことが気になって仕方がないといったところだろう。コルトレーンは「オーライ、オーライ」と言って彼の仲間が練習しているスタジオに僕を案内していった。コルトレーンは"トライブ13"というバンドをやっていた。トタン屋根の長屋の一室がスタジオで、そこではアンプとベースを弾く女、ドラムとキーボードの男2人が暗くて狭いなか家畜のようにして座っていた。とびきり濃厚なコーヒーを飲むように葉巻大のジョイントをきめていて、部屋中煙って顔が見分けられないほどだった。それでも誰も窓なんか開けようとしない。コーン型の太巻きがまわってきた。
「こいつのおやじはジョー・ヒッグスだぜ。知ってるか」
すこし凶暴な顔をしたメンバーの男が聞いた。 「マスター・オブ・レゲエ、ボブ・マーリィだって彼から教わったんだ。ファイヤーバーニング!ジョー・ヒッグスは本物の"ナイヤマン"さ」
ジャマイカではストリート以外ならどこだってカンナビスを吸っていた。 「ヘイ、いいかい、始めるぜ。ジャパニーズ、お前もなにかやってみろよ。楽しけりゃいいんだぜ」 「どうだい、日本で売れるかい?」「日本は無名に弱いんだ」 「日本はいいマーケットだろ。日本に連れて行けよ」
"トライブ13"のヴォーカルにはインパクトがあった。コルトレーンとその仲間は僕のゲストハウスまでやって来て、庭の緑を眺めるテラスに腰掛けると「ちょっとガンジャをやらせてくれ」と言い、彼らのテープを聴かせた。僕は「ジャマイカのソウルミュージックが聴きたい」と近くのレゲエ・バーに誘いドラゴンスタウトビアーをおごらせた。 「レゲエはシャンティタウンのミュージック。スラムの叫びだ。ドゥ・ザ・レゲエ!欲しいものも手に入らず苦しんでるレギュラーピープルのことなのさ。オレたちが食い物みたいに必要なのは"ナイフとレゲエ"、そうなのさ、ヤーマン」
凶暴な顔のヴォーカルは機関銃みたいにしゃべりまくった。

まだ宵の口、アイヴィグリーンの裏道をなくした財布を捜してうろうろしていると、パンパンパーンパンと軽く弾ける音がした。花火だろうか。軽すぎる。バタバタと人の駆け出す音がしてハーフウェイトゥリーに向かっている。続いて聞こえるサイレンの音に反応して僕も走った。ハーフウェイトゥリーはブラックアフリカンで文字通り黒山の人だかり。からのミニバスのまわりには明かりを点滅させてるパトカーと私服のガンマンがうようよいて事件を物語っていた。僕の隣に立ってるビッグママに何が起きたのか聞くと「バットマン」と不気味なほどの無表情さで答える。破れたシャツに長いズボンをちょんぎっただけのぼろを着た髪の色がゴールドのイエローマンのガキに聞くと「バットマン、バットマンがバスを狙ってぶっ放した。2人やっちまったよ」いかにも愉快そうにしゃべった。ポリスの他に私服のチンピラどもが黒の大型車から取りだした機関銃やショットガンを派手に構えて獲物をかぎ分ける野犬のように動き回っていた。
「あいつらは何なの?」 「やつらバッドマンさ。あんたの国にはいないのか?撃ち合いはやらないのか?」 「僕の国にはショットガンを持ったああいうやつらはいないよ。撃ち合いもないしな」 「へーっ、本当かい!」
翌日の新聞 "スター"紙は、昨夜の事件はバットマンが政治資金を奪うために銀行を襲いガードマン2人を射殺して、たまたま通りかかったミニバスを巻き込んで8人負傷させたと報じていた。機関銃乱射の音を聞きミニバスのドライヴァーは「伏せろ!」と怒鳴ったが間に合わず、窓ガラスが全部割れ落ち、シートは血だらけだったそうだ。そのバッドマンはまだ捕まっていない。政治不安の続くキングストン・ジャマイカではこんなことが日常茶飯事で起きてるようだった。4日後には誰かがポリスを撃ち、街は緊迫していた。ルードボーイがギャングになったような機関銃が街を支配するキングストンでは皆殺しの雄叫びを上げる戦いの犬どもがいつでも解き放されているようだった。
「コンチクショー!これが政治さ。コンチクショー!バッドマンはガンジャをアメリカのファットマンに売り武器を買う。またガソリンが値上がりする。オレたちゃどうにも食えねえぜ。そうなりゃ暴動だ。戦うんだ。バンバ・クロット!アスホール」 ラム酒を2杯あおり、近くのコーヒー園で働く労働者がツバを吐き捨て仕事に戻っていった。1976年1月の反政府暴動が思い出されるほど過激でヤバイ空気を感じた。コルトレーンは銀行襲撃事件のことを"バビロンに対する挑戦"だと言う。 「腐敗している政府やポリスへの革命的な行為さ。だから市民の犠牲も時にはやむを得ない、そうだろ。政府は市民の犠牲を宣伝に利用しようとしてるのさ。それに乗るなってことだ。毎日、毎日、新聞は人殺しとガンジャの密輸のことばかりをニュースにしている。それは要注意ってこと!陰謀臭いんだ。いつだってそうさ、マスメディアの世論形成は金持ちのためのもの。やつらには悪魔が取り憑いちまってるんだ!」
「誰だってトラブルは嫌いさ。ガンジャは暴力のためのもんじゃない。意識の拡大とすべてのことをオープンにしたいんだ。オレたちはぐずじゃないってことさ、やつらの思い通りにはならない」
「この国には陰謀が渦巻いている。オレたちは独立を勝ち取ったが、本物の独立じゃなかった。今となっちゃラスタを信じるしかないのさ」
タフゴングに集まるラスタマンは政治的な暴力に押し込められてる現実のなか非暴力で自分たちの権利を主張しようとラスタを信じ、そして戦っている。 「知ってるかい、今の首相エドワード・シアガーを。昔はレコード屋の経営者さ。やつは悪徳盗人野郎!アメリカのハーヴァードを出て政治ってやつを始めたらこの国を欺きやがった。オレたちのジャマイカはよくなりゃしないよ、わかったかい」
僕は葉巻大のジョイントでニューヨークを思い出していた。黄昏るイーストリヴァーに架かるブルックリンブリッジ、その上でコーンローヘアーの黒人がアルトサックスを吹いていた。黒い皮膚はなめし革のように美しく、サックスは夕陽が反射してゴールドに輝いていた。黒人は音に酔いしれ魂はどこか遠くをさまよっている風だった。 ジャマイカはマンボージャンボー、灼ける熱さにキックされガンジャの薫りに酔いしれる。ラスタマンはラスタファリズムに酔い、僕はガンジャに包まれたインドリームをフリーダムに向かい潔く泳いでいた。
そして翌日、ハーバーに近いクラフトマーケットでドレッドロックの自称ラスタマンに出会い、ラスタファーライを歓迎する僕はあっさりラスタを売って儲けるただの詐欺師にだまされUS 100ドル盗られていた。まるでブードゥー・マジックにでもかけられたような時間でのできごとで似非ラスタは酸素を吸い込むように嘘をつき、その雄弁ぶりはプロフェッショナルのワザだった。
「近ごろのジャマイカじゃ気をつけ過ぎるってことはないからな」冷えたジンジャービアーに喉を鳴らしサードワールドのスタジオ、レッドヒルズロードクラブの留守番役のガードマンは忠告した。ニュー・キングストンにあるこのスタジオは今はからっぽでツアーに参加してないメンバーのイボだけが残っているということだ。そのイボは昨日スプリングロードで声をかけてきた。よほど日本でいい思いをしたんだろう、「やあージャパニーズ、元気かい。ニュー・キングストンのスタジオに遊びに来いよ」と好意的な笑顔で誘う。
ニュー・キングストンは近代的なオフィスや豪華なホテル、レストランが並ぶ洗練されたエリアでキングストンの狂騒をまったく感じさせない。そこのチャイニーズレストランから出てくると一人のラスタマンが話しかけてきた。このあたりにいると乞食のように見えるラスタマンはしきりとズボンの股間を掻いていた。第三世界の男たちはいつでもどこでも股間を掻いている、これには笑った。ラスタマンは幅広のいかにも丈夫そうな裸足で歩いていた。
「ヘーイ、ヘイ!ネグリル、ネグリルへは行かないのかい。ネグリルへ行こうぜえ。海はきれいだし寿命を縮める排気ガスもなあーい。ここにいるよりましさ。オレが案内してやるよ、ミニバスに乗ってさー行こうぜ」 「どうだい、センシはいらないかい。センシ、1ドルでいいんだ。1ドルくれよー。ガンジャをきめたいんだ。日本じゃガンジャは吸えるのかい?」
「オレはミュージシャンさ、レゲエのな。"サイエンティスト"知ってるかい?バックをやってるんだよ。ダブのな。バックじゃとても食えないんだ。わかるだろ、利口なやつが金を取るシステムなんだ。キングストンにゃミュージシャンは多いが食えるやつは少ないのさ。どうだいネグリルに行くってのは?オレはあっちで稼ぐのさ」

「オーチョ、オーチョ、オーチョ!」 威勢のいい少年がミニバスのドアに片手で捕まり、「オーチョ、オーチョ」と呼び込みながら広場のまわりをぐるぐる回りオーチョリオスへ行く客を集めている。ここはハーバーに近いバスターミナル、パレイド広場だ。客は左右の座席のあいだに板きれを渡した狭いバスのなかにぴったりくっつけられて押し込まれる。前の運転席に余った客を乗せると総勢15人でバスはようやく北のビーチ、 オーチョリオスに向かって走り出した。重いミニバスが翔ぶような速さでスパニッシュタウンのゲットーを横切っていく。ドライヴァーは手荒いが頼みの勘と腕は冴えていた。狭いバス車内にはカセットのレゲエミュージックがガンガンに鳴り渡り、気がつくと隣のおっさんのリズムと僕のリズムのノリが一緒になって重なっていた。イエーッ、いいノリだね。おっさん、いい顔してやがる。サトウキビ、シュガーケンの甘い匂いともんもんと立ちこめる埃をどこまでも振り切って、灼熱の太陽のなかミニバスはアップ&ダウン、ジェットコースター・ドライヴを繰り返しオーチョリオスまでの2時間半のトリップをチェリーと決め込む。
「ヘーイ、クールラニングス・マン!」 観光客を運んできた大型客船が優雅に錨を降ろすオーチョリオスのブルーグレーの海を眺めながらタートルビーチに寝そべっていると、毎朝ここで顔を合わすいい顔してる若者のパラシュートマンにまた今日も会った。今日はあのモーターボートに引っ張られて空を飛ぶパラシュートに乗ってパラセイリングしてみようか。僕の相棒はビーチのバーでグレープフルーツ入りジンソーダを注文して涼しそうな顔でフレンチトゥーリストとおしゃべりしている。ラジオジャマイカ(RJL)からはジョン・ホルトの"Help Me Make It Through The Night "が聞こえている。クリス・クリストファーソンの曲だ。僕はまどろみ、青い空のなかの太陽を弾き飛ばす。太陽は行き場を失いあっちへフラフラこっちへフラフラ、ラジオではまだジョン・ホルトをやっている。" On The Beach "、ザ・パラゴンズ時代のロックステディ・スタイルでキングストンではとても似合わないがスイートなラヴァーズロックがここのビーチにはよく似合う。長い午後、フレンチトゥーリストは黒人と白人のハーフ、イエローマンのことを「カフェ・オ・レ」と呼んだそうだ。
僕と相棒をマリナヴィラに案内したチビは翌日から学校を休み毎朝、僕の部屋にやって来るようになった。なにか仕事にありつくためだったが金を稼げないときには食事をご馳走した。シェーキーズでピザを食べたときには「うまい。こんなうまいもん食ったことない」と言い、残りを妹に食わせてやるんだと大事そうにラップして持ち帰ったが途中で出会った同業者のルードボーイ、意地悪なイエローマンに盗られていた。チビはへまな弱虫だ。13歳にしては小さいし細すぎる。誰も飯を食わせてやらないから自分でありつくしかなかった。町の小さなチャイニーズレストランで残りのスープを分けてもらってるのを何度か見かけた。そのチビなかなかの生意気で、コンバースをはこうとしている相棒にナイキをはけと薦め、「ナイキが一番かっこいい」と偉そうに言うしニューヨークで買ったアンティークなプリントのサブリナパンツを「プリティ、プリティ」と言ってほめる。そして僕の小型カセットデッキにマイケル・ジャクソンのテープをセットして「オレに持たせてくれ」と出掛けるたびに自分で持ち歩き顔見知りに自慢した。
「マイケル・ジャクソンとミック・ジャガーがかっこいい」 「ミック・ジャガーのでかい家が山んなかにあるけど、ほらあの辺りだ、行ってみたいか?」ミック・ジャガーは海を見下ろす山の山腹に別荘を持っていた。プライヴェイトビーチのあるゴージャスな家を見つけると、「ここには偉いギャングのボスが住んでるんだ。庭の芝生がきれいだろ。コカインをたんまり持っててあっちのでかいホテル、シェラトンやアメリカーナの客に高い値段で売るんだ。でもやつは捕まらないぜ。頭いいからな。ポリスに金を渡してるんだ。安全さ。オレもでかくなったらああなるんだ。いいだろ、かっこいいだろ。わるーいギャングになってミック・ジャガーもぶったまげるすげえパーティをやるんだ。コカインパーティさ!」と言った。
「おい、クールなキャンディ売ってるぞ」 「ガンジャかい、もちろんやったことあるさ。脳天にピューッときてファンタスティークさ、天国だったよ。耳にくるんだ、わかるだろ」 「女のことかい、ここの女はいかさないぜ。みーんなダメだ」「おい、どうやって口説くのさ、ええっ?」 「気が狂いそうだってさ、わかるだろ。ここの女はあばずれでコンチクショーさ。でも欲しけりゃ100ジャマイカンドルで世話してもいいよ。それにレッド・シンセミーリャも欲しけりゃなんとかなる。どうだい?」 「他のやつからは買うんじゃない。悪いものつかまされるからな。オレのは本物さ」
チビのおやじはチビが10歳のときに事故で死んだ。漁師だったそうだ。 「オレは金が欲しい。ジャマイカじゃ金持ちはギャングとレストランやってるチーノだけ、あとはどいつもこいつもどーしょもない貧乏さ。学校なんかクソ食らえ!なんにも教えちゃくれないよ。それにオレたちゃ毎日食って行かなきゃなんないんだ」 道の端に座り込んでサワーザップフルーツとグレープフルーツを並べて売っているビッグママからグレープフルーツを1個買い皮をむいてもらった。チビの口癖じゃないが コンチクショーに暑い。埃の混じった灰色の汗を手で拭い、グレープフルーツの汁で濡れてる指の爪の匂いを嗅いだ。熟れた酸味の薫りが少しのあいだ僕を正気に戻してくれた。
陽が沈み6時を過ぎる頃、マリナヴィラのすぐそばにある屋外ディスコからはレゲエが流れてくる。そのまわりではシュガーケン売りの少年やスイカやマンゴーを売るビッグママ、キャンディーやスイートなシロップ売りの屋台が軒を並べ薄暗い中商売をしている。洗剤やソープなど日用品を売るおやじがランタンを灯して座っていた。この屋外ディスコには昼間は道路工事やトラックの修理をやってる、映画「ロッカーズ」でポリス役を演じたエドワード・ヤングがいる。オイルで汚れたベルボトムのジーンズに汗くさいランニングシャツで「ヘーイ!気分よくやってるかい?今夜は遅くにジャック・ルビーがサウンドシステムやるから寄っていきなよ。屋根に登ればサイコーさ」ゆったりとしたジャマイカンリズムでしゃべり、いつも踊るように身体を揺すって表現する。彼はオーチョリオスで最高だった。
気持ちがいいったらないぜ、ガンジャをきめながら黄昏を待つジャマイカの空を眺めるってのは。そして最高なのは街の音楽レゲエ。ラジオジャマイカからはありのままのジャマイカを歌う反政府的なレゲエは流れずマイアミからのディスコミュージックやソウルミュージックばかりがよくかかる。TV 番組でも10年、20年前のアメリカンホームドラマ風なのを放映する。プアーな国の黒人にリッチな国のブラックミュージックを聴かせ、リッチに中和されたアメリカ的生活を夢見るように洗脳している。日本でも昔こういうタイプの番組をよく見せられたものだ。
屋外ディスコには人間よりでかいスピーカーシステムがあり壁にはボブ・マーリィ、ハイレ・セラシエ(JAH! )、マーカス・ガーヴェイの肖像画が描かれている。ウイークエンドには山の若者も下りてきて、ここは一杯のジャマイカンで埋まる。今夜は最初から祭のような活気にあふれていた。エドワード・ヤングと屋根に登ると、また別の世界が見えてくる。葉巻大のジョイントを巻き、それをまわす。下界は白人トゥーリストも混じりぎっしり一杯だ。僕らは高みの見物としゃれ込み、天にも昇る心地よさを味わっていた。ジャック・ルビーが登場するとみんなノリノリで踊り狂った。星が光っていたがもうそんなことはどうでもよくなり目の前で踊っているジャマイカンのいったいどこがそんなに貧しいのかと思えてきた。貧しくなんかないよ、世界の仕組みがおかしいんだ。相棒はレッドストライプ印のビールを飲みまくり、僕はエドワード・ヤングが入れたグリーンガンジャティーをゆっくりクラクラしながら味わっていた。
「トゥーマッチ・スイート」「イエーッ、メディスンだよ」僕はなぜマリファナのことをヒンドゥー語のガンジャと言うのか聞いてみた。「ガンジャ・スモーキングはイギリスに従属させられていた年季奉公のヒンドゥーの召使いによって広められたんだ。オレたちのスピリチュアルにぴったりくるしな」 僕には音が見えていたし昼間には色彩を聴いてたような気がした。それにジャマイカの願いも見えてきて僕はマリファナを解禁しようと叫んでいた。空気はホットでスイートで、ただ息をするだけで生きているって感じられるすばらしい夜が過ぎていく。
ダンズベリィリヴァーに泳ぎに行った帰り、屋外ディスコに寄るとジャック・ルビーが女たちといた。ジャック・ルビーはバーニング・スピアの"Marcus Garvey "を自分のサウンドシステムのためにレコーディングしたこともありオーチョリオスでは有名なプロデューサーだった。彼は気さくにつきあってくれて「なにか問題があったら声をかけてくれよ」と旨いものをたらふく食ってる腹を突きだしてアッハアッハと笑った。
僕の部屋のシャワールームは隣の部屋と共有になっていて、ぐっしょり汗をかいて帰ってくるとシャワールームから隣の女と男の戯れ遊ぶ淫らな声が聞こえてきた。
アメリカ人やフランス人のちょっと金のありそうなトゥーリストのあいだではジャマイカの男を買って一緒にヴァカンスを過ごすのが流行らしい。隣の女は都会派ではなくカントリーサイドのプチブルという典型的ヤンキーの体型をした40代の女ざかりで10代の淫らな女の子が上げるような声をだしてるのには感心させられる。黒人の男なら誰でもいいのかと思えるようなソフィストケートされてない無口なタイプが好みのようだった。どう見てもジゴロって柄じゃなかったが外を歩くときのエスコートの仕方と女の腰にあてた手首に光るブレスレット、その手首のしなやかさが「夜はちゃーんと満足させてるぜ」の自信を物語っていた。男を選ぶ女のほうも寄ってくる男たちの股間の膨らみばかりに目がいってるようで、すべてはうまくいっていた。
僕はたまにホテルアメリカーナのデリシャスなブレックファーストをとるためにそこへ出掛けていく。ランチにはチリ味で料理されたロブスターを食べ、しゃれた金持ちのトゥーリストに混じりプライヴェイトビーチで肌を焼く。このビーチには地元のジャマイカンは入れない。外からの出入口では子供たちが物欲しそうな顔をして中を窺っている。ジャマイカなのにここのホテルにはガンジャの薫りがしない。みんなクールだ。リッチなアメリカントゥーリストはここでもコカインをきめていた。ニューヨークでもそれは流行だったがここもファッショナブルなドラッグの静かな空間ができていた。ジャマイカはヘロイン、コカインの南米ルートの中継基地になっていた。僕はプライヴェイトビーチのデッキチェアに横たわり、まどろみ、キリンとセックスする夢を見た。オーチョリオスは穏やかだ。
ジャック・ルビーの赤いアメ車が荷物を持った僕らを見つけて急ブレーキをかけた。 「また、会おうぜ」と言って握手する。4枚合わせのバンブーペイパーにグラスオイルを塗って作ったジョイント"Brother Big Spliff "であんたの音が見えたよ、ジャック。

「モーベイ、モーベイ」と客を呼び込んでいたミニバスはマーカス・ガーヴェイが生まれたセントアンズベイを通り過ぎヤシの緑と太陽のイエローが目にしみる海岸線をスペイン人がイギリス人に追われて逃げ出して行ったランナウェイベイへと疾走した。 カリブ海はなんて青いんだ。どこを走るミニバスも飛ぶように速く、あっという間にコロンブスがジャマイカを発見しその錨を降ろしたディスカヴァリーベイを過ぎ、シルバーサンドのコーラルスプリング、フラミンゴビーチ、そして終点モンティゴベイに到着した。モンティゴベイでは雨に降られ料金をごまかそうとしたタクシードライヴァーと派手に喧嘩した。ここでは後に引いてはダメで、ジャマイカンのように口を尖らせてしつこくやることだ。
ここは映画 "007"でおなじみのドクターズケイブがある観光地で白人のムウムウ族がファミリーで来ていたし、レゲエ・サンスプラッシュでもすっかり有名だ。ドレッドロックスも腑抜けになっていて、「アメリカの大型資本が観光に乗り込んでくるとどこもかしこも悪くなる。だいたいやつらアメリカ人はヨーロピアントゥーリストが発見した後にやってくるんだ」とスイス人のジャンキー・ジャーナリストがこぼしていたがその通りになっていた。セヴィルヴィラのボーイはとても静かな男でいつもアメリカのTV 番組、スイートなドラマを観ていた。客は僕らだけだったので夜遅くのティー・サーヴィスにも応じてくれて話をする機会もあった。キングストンから来たと言うと「キングストンの混乱は誰にもコントロールできないよ。あそこでは息を抜く暇もないだろ。ゲットーは戦っているしキングストンはまるで戦争だ。トゥーリストの行くところじゃない」と僕らにあきれて席を立って行った。だけど、ここよりましじゃあないか。あの街はまさに生きているんだ。
雨に降られて駆け込んだダウンタウンの軒先で一緒に雨宿りしたイタリア人はファッションデザイナーでロイヤルカリビアンでショーをやると言った。「ネグリルはいいところだよ、行くかい?友達がペンションをやってる。よかったら行ってみてくれ。気持ちのいいところだよ」
ニューヨークの僕のアパートの一階のサナダというキャンディショップに毎日やってくるむち打ち症の男がいて、彼も大の映画好きで会うたびに声を掛けてきた。
「ハーイ、フレンド、ハウアーユー」「今日はなんのムーヴィー?」「ディヴァインの"Female Trouble"」「監督は?」「ジョン・ウオーターズ」「オオ、クレイジー、きっと面白いに違いないよ、エンジョイ、エンジョイ」
その彼がある日「ヘーイ、ルック、ルック!」と興奮して僕にジャマイカのパンフレットを見せる。10日間のヴァカンスをジャマイカのネグリルビーチで過ごすんだと言う。 「ツアーだけどきっと最高さ。ネグリルは一番西にあるビーチで白い白いビーチが7マイルも続くんだ。7マイルだよ、永遠さ。俺はきっとこのコンクリートジャングルを抜け出して蘇ってみせる」
彼は目の前のファーストアヴェニューにネグリルビーチを描き、腕を伸ばして果てしなく続く白いビーチを追っていた。その白いビーチへ行こう。そこの気持ちのいいペンション"アディス・コケブ"に泊まろう。モンティゴベイにうんざりしていた僕の決断は早かった。

"アディス・コケブ"で働くドレッドロックの少年はいつもすっ翔んだ牛のような表情をしていて朝は山までガンジャを採りに出掛けるのが日課だった。バスローブ姿で現れたオーナーは「ガンジャあるわよ。試してみて」とフレッシュなやつを僕に分けてくれた。少年は凛々しい若武者ロッカーといったところで、いつも気持ちよく生きているようだった。コーン型に巻いたガンジャを吸うやり方は若いながらさすがこの道のプロだ。黄昏がきて陽が沈むと自然にガンジャパイプ、チャリスにラムズブレッドを一杯に詰めてスピリチュアル・ハイの儀式となる。そして日没の最後のオレンジ色が夕闇の空に縞模様を描く頃には硬い硬いストーンになっていて僕は宇宙のスペースを漂っていた。
ウエストネグリルのロックビーチ、カイザーカフェには小さな島のように突き出た岩がありジャマイカ<Xaymacca >泉の国の"X" をかたどった国旗が立っていて奔放なタイプの犬たちが腹を天に向けて寝ころんでいる。ここではすべてが光に満ち、輝いて見えている。カイザーで働くラスタファリアンは祈りの儀式に向かうイスラム信者のように岩に腰を下ろすとカリビアンを見下ろしてガンジャを巻く。彼のラスタキャップはドレッドロックで膨らんでいた。
「グラスはやるかい」 「グラスは雑草と一緒さ。オレたちのメディスンだ。100年も昔からここにあるのさ。山じゃなあ、伝染病の治療や傷の手当に使うんだ。知ってるか。グリーンガンジャ・ティを飲んだらオレみたいにあそこがビンビンに強くなるんだ。ハッハッハッ。オレたちラスタはガンジャで利口になった頭にレゲエのリズムを撃ち込んでスピリットを高揚させハイな境地へと行き着く。"ジャー・ハイレ・アイ・セラシエ・アイ" 若い連中はみんなラスタの真似をする。それが流行さ、オレたちナイアマンはアフリカに帰る」 彼の吐き出す煙で一瞬なんにも見えなくなる。彼らは面倒くさいことは一切言わない。
あれはなんなのだろう。ウエストネグリルで不思議な樹に出会った。人間の頭よりでかい真っ黒く焦げたエンドウ豆の化け物がぶら下がっている。枯れているんだろうか。それとも火薬の臭いと死の恐怖がくすぶるキングストンみたいに中にエネルギーをため込んで生き続けているのだろうか。アフリカのケニアでこれとそっくりなのを見たと誰かが言った。
"アディス・コケブ"の誰もいないプールでのんびり泳ぎ、ボブ・マーリィのテープのスイッチを入れると、そばでアメリカ人のためのコテージ造りに精を出すたくましい男たちがボブ・マーリィをごきげんに歌い出しホットなダンスで土を練り肩で調子をとりながらトロッコを押していく。ニューヨークでも黒人たちはラップでダンスしながら肉体労働をしていたが、肉体と音とが溶け合ったそのしなやかさに僕はいつも感動し、すっかり虜にされる。 イーストネグリルのビーチは本当にどこまでもどこまでも続く白い砂浜で、それはアブソリュートリィに美しかった。トゥリーハウスラウンジでのチャリスのコンサートではビーチに続く暗い木の陰で誰もがガンジャを巻き、静かに酔いしれる平和なひとときを味わっていた。誰かが神秘的に響く雄叫びを上げる。「ジャー、ラスタファーライに感謝を」

パス・ザ・トゥ・シャンペン

懐かしい人のざわめき、雑踏。排気ガスと塵の混じった空気に均衡を欠いた夜。なにもクリアーでなくシンプルでもない、ここは懐かしい"Town" ハーフウェイトゥリーのレストランバーではDJ がジューン・ロッジやジュディ・モワットのような女性ヴォーカリストのレゲエを流していた。ロッジが歌う<More than I Can Say >はレオ・セイアーの<モア・ザン・アイ・キャン・セイ>よりはるかに素敵だった。
キングストンに戻り、懐かしくてじっとしていられない。白い砂浜のビーチもいいがジャマイカはやはりキングストンがいい。まだ夜の8時だ。散歩がしたくなってハーフウェイトゥリーを一本裏道に抜けるとそこはまだ未舗装の砂利道で3人のビッグママが暗い中フルーツを並べて売っている。黒人にはきっと僕らには見えないものでも見える超人ばりの視力があり、夜の暗さでもフクロウのように見えているのだろう。月の光と薄暗い街灯の明かりでもあれば十分なんだ。見えてるってことにはたびたび驚かされる。
向こうから自転車に乗り誰かが砂利を蹴ってやって来る。きっと向こうには僕のことがよく見えてるんだろう。僕には不利だ。まして相手は黒人、闇に溶けて見えにくい。自転車はスピードを上げ蹴散らす石ころの音が近づいてくる。闇の顔をしたそいつはペダルを踏み外し、自転車もろともくるっと僕の目の前でターンした。闇に浮かぶ赤い目は見覚えのある獲物を狙う野獣の目をしていた。そのジャマイカンは「マネー」と言ってジャックナイフが飛び出した。街灯の明かりが反射してそれは冷たく光り僕は脅えた。こんなことは初めてだったしこんな恐ろしいものを見るのも初めてだ。それに見たくもなかった。一瞬そいつの身体から染みついた悪い酒と汗の混じった臭いがして吐き気がした。ゾッとしてわめきたくなる。やめてくれよ。これはないぜ。僕の目の前ではやめてくれ! 「マネーはないんだ、持ってない」僕はとっさに両手でジーンズのポケットと胸を叩いてジェスチャーで示した。やつの顔には血が上り、それは恐ろしいアルコール性の混乱した凶暴さが現れて僕は反射的に逃げ出した。気持ちだけが猛烈な勢いで走り出し、肝心な足は砂利にとられて思うように動かず、5〜6メートル走って転がった。振り返ると刃渡り20センチのジャックナイフはすぐ目の前で光っていた。<ああ、刺される!>、無意識に足が伸びてやつの腹に蹴りを入れた。そいつはネズミを狙うどす黒いネコのように尻餅をつき腹を押さえてうなった。<やるじゃないか、おもしろい>、口がひん曲がりニヤリと笑う。僕は手当たり次第に石を投げ、投げながら「ノーマネー」と叫んでまた走った。もう20〜30メートルは離れてるはず。でもハアハアいう荒い息づかいが聞こえナイフの気配も感じる。<これはやつの呼吸かそれとも僕か。ラム臭いからきっとやつのだ>、僕は石を取り「この野郎、ふざけるんじゃないよ、こんちくしょー」と投げつけた。僕は日本語でそいつを罵倒している。そいつは一瞬ひるんだがまたすぐ石に向かって走ってきた。どこまでしつこいんだ。そうだ、ジャマイカンはすごくしつこいんだ。これでもか、これでもかと石を投げ続けるうち、うまくそいつの手首に石が当たりナイフが落ちた。僕は角の民家に逃げ込み植木の陰で息を凝らした。カモフラージュの植木の隙間から覗いてみるとそいつは右手を振りながらウロウロしてる。僕の心臓はそいつに聞かれるんじゃないかと心配になるほど大きく高鳴っていた。そいつはナイフをたたむとポケットに入れた。自転車にまたがりがに股でこぎ出していく。ハーフウェイトゥリーに出る手前でさっきのフルーツ売りのビッグママたちが心配そうにこちらを窺ってるのに出くわした。「あんた大丈夫かい?」「ああいうときには何にもできやしないんだよ」そうさ。誰だって関わりたくないことさ。僕はでかい石を両手に握りホテルまで帰った。
僕は異常なほどの躁状態でドアをノックした。どうやら僕は笑っているらしい。
「何があったと思う!すごいことがあったんだ」 しばらく唖然として僕の顔を見つめていた相棒は「やられたの?」と聞いた。胸や腹のあたりを調べてみたが大丈夫、刺されてはいない。ただ手や足の膝が傷ついてるだけで革のベルトがちぎれそうになっていたのが激しさを物語っていた。しばらく時間が経つと本当の現実だったのだろうかと思えてくるほどリアリティさが遠のきエキサイティングさだけが残った。本当に怖くなったのは次の日からで、どの男を見ても昨夜の"ナイフ男"に見えてビクッとしたし、肩でも叩かれた際には冷や汗が出てきて唇が震えた。それからの数日間は恐怖のキングストン、とっても一人では歩けず、びくつく僕を見て相棒は「だからここはキングストン・ジャマイカ。甘く見ちゃいけないってこと、これがリアリティ」と言って励ました。
キングストンのデカはギャング風情で乱暴そうな連中だった。派手なカラーのシャツに太めの大胆な柄のネクタイを締めウールやサテンのベストを着ている。そして横柄にやっていた。病院ではイギリス人のドクターが「とんだ災難だったね。いや、まったく悪いことをした」と僕に謝る。ホテルのマネージャーも「ソーリィ」と言った。ジャマイカの男はみんなナイフを身につけている。車から降りた男の手にカマのような鋭い刃のナイフが握られているのを見たことがある。ジャマイカばかりじゃない、どこの国の黒人もそうだ。それが彼らの戦い方で自分を守るためであり食うために必要な措置だったりする。喧嘩や戦い、ナイフやピストルに慣れてない僕らはどうしていいかわからず簡単に餌食になる。ここでは素手で闘い自分を主張することが生きることだった。
それでも僕はキングストンが好きだ。それはレゲエを生んだスリリングな刺激にあふれていたからだ。ラスレコードのオフィスのバックヤードには日焼けしたオレンジ色とアイスクリームグリーンのジミー・クリフのポスターに見張られてマリファナの木が風に吹かれやさしく揺れていた。ここでは誰もが昔からの友達のような親しさで話しミュージシャンは聞いて欲しくて自分のレコードを持ってやって来る。ピンプハットのチャリスのメンバーは彼らのLP とシングル盤をわざわざ僕のためにオフィスまで取りに行きプレゼントしてくれた。
ニューキングストンにあるラスタファリのスーヴェニールと真実の食べ物=アイタルフードを扱う店で、昔ボブ・マーリィと一緒に住んでいたという真面目なラスタマンと出会った。彼は板張りの階段に腰掛けていた。
「窓を開けるとボブ・マーリィがギターを弾いていた。昔のキングストンはよかったよう。昔はあった胸にじーんとこみ上げてくる何かがもう今はないんだ。アッハッハー、懐古趣味に歳を取りすぎたかなあ」
彼は今でもトレンチタウンに住み相変わらずの貧乏暮らしのようだった。ジャマイカプライムを取りだして太巻きのジョイントを片手でイージーに巻き、火をつけると渋い顔をして笑った。彼は今日も金がなく子供と女房を抱えて困ってはいたが本物のラスタマンだったから悪いことはできずに考え込んでいた。彼は42歳だったが、「もう5年もずーっと42歳をやってるよ」と正直者だった。太巻きのジョイントを深く吸い込み「クーション・ペン、クーション・ペン」と唄った。"クーション・ペン"はガンジャのことだと言う。
「ジャマイカのブルーマウンテンコーヒーはうまいだろうよ、ラム酒もいいだろさ。オレはやらないけどな。罪なもんと思ってるからな。だけどもよ、ジャマイカの面白いとこはな、<反体制のレゲエ>と国際的に<非合法なガンジャ>が一番の観光資源でこれで食ってる国だというところなんだ。これがジャマイカの価値なのさ」
バブルガム・バブルガム・バブルガム・チューインガム、チューインガム・チューインガム・チューインガム・バブルガム.........グレゴリー・アイザックスのような顔をしてDJ スタイルでおかしな歌を唄うラスタマンのことが好きになり、妙に納得した僕は満たされてすがすがしい気分だった。

大きくてまるい月が蒼い空にクリアーに輝いていた夜の誘惑好きのジャマイカ女のことを思い出す。僕はオーチョリオスの浜辺で波の音を聴いていた。昼間の熱さが嘘のような涼しい風がときたま吹き、キングストンにはない落ち着いた夜のことだ。 曖昧な微笑を浮かべて近づいてきた女は動物的な体臭で男を誘い脂ののった若い肉体をツン!と前に突き出し腰を振って挑発してくる。通りすがりに左手の人差し指と中指で僕の右頬を撫でた。不意をつかれ驚いた僕に「どう!」と歯並びの悪い歯をキラリと光らせて笑い、<なんでも承知よ>と僕を呑み込むように覗き込み親指をしゃぶり始めた。60ジャマイカンドルだった。「どこで」「ここでどう!」砂浜で締まった筋肉質の女の裸は黒真珠みたいだった。そして、それは自分が人間であることを忘れてしまいそうな野性的セックスだった。 バブルガム・バブルガム・バブルガム・チューインガム、真面目なラスタマンは今日もまた貧乏に違いない。