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Burst You Out
by masaru suzuki


グランドマスター・フラッシュの「ザ・メッセージ」にはドブネズミとゴキブリ軍団そしてガラクタだらけの臭う路地、ビンボーと「リンボー」のサウスブロンクスが歌われていた。
ヒップホップが生まれた黒人のゲットー、サウスブロンクスへとアップタウン行きの地下鉄6号線に乗りハーレムリヴァーを渡る。グラフィティアーティストたちの落書き列車は瓦礫の山を横目に高架線上をゴォーゴォーといって走る。真っ昼間、閑散としている6号線はまともな乗り物には思えない。ジェローム・アヴェニューで降りると外はやけに静かだ。と、突然まともに見えたビルの3階からあたりをつんざくビルをまるごとぶっ飛ばすボリュームのスクラッチ音が鳴り出す。<RUN D.M.C >みたいないきのいい若いグループが練習でも始めたのだろう。「ダンステリア」で見たときもそうだったが「パラダイス・ガレージ」でも RUN D.M.C はまるでストリートギャングのような怖いもの知らずのど迫力で「ヒーローの用意はできてるぜ」と客を挑発していた。
あたりに音はそれしか聞こえない。ここには場違いな明るい日差しが思考能力を鈍らせてかえって邪魔者に思える。ステーション近くのレコードストアにも客は見当たらず拍子抜けするくらいメロウなリズム&ブルースが流れている。地下鉄が走り抜けるあたりはまさに「Decay 」状態、デッドゾーンみたいに見放されて退化が進んでいる。ビルを吹き飛ばしたスクラップの山に目を走らせていると崩れたビルにポッカリ口を開けてる暗闇の向こうで何かが動いた。よく見ると足下には缶詰の空き缶やジャンクフードのかけらがそこいら中に転がっている。ここはなんだか居心地が悪い、誰かに見られているようで落ち着かなかった。数日前のことだ、ワシントン・スクウェアーで上手にボールを操っているプエルトリカンや黒人の動きに見とれて休んでいると二人の黒人が近づいてきて暇つぶしのジョークやらほんの思いつきを僕に向けてぶつけだした。ブルックリンに住むという片割れがいきなり僕に吠えた。「Burst You Out ! 」そうして吹き出した。僕はいやーな気分になり居心地が悪かった。ちょうど今みたいに。
人っ子ひとり見当たらない街はあのときの黒人みたいに僕に向けて吠えてるようでメッセージだけが残っていた。壁やボード、建物のドアや公園のベンチ、ゴミ入れの缶や木の幹にまで、それは「Welcome to Hell 」に始まり「ただいま崩壊中」「Suck ! やっちまえ」俺たちは英雄だ」「You can get away with Warhol おまえだってウォーホルみたいにうまくやれるぜ」「Don't Push me ! あおるな」「押しつぶせ粉々に」「俺はここから出て行きたいんだ」と続く。
ハーレムの裏通り、ボンネットが剥がされてむき出しのエンジンルームが痛々しいクルマやスプリングが飛び出したマットレス、汚れた雑誌が散らかる路地からセントニコラス・アヴェニューに抜けるとそこにもメッセージがあった。9階建ての古いレンガの廃ビルの通りに面した104個の窓ガラスは割れ落ちてダンボールやビニールシートで覆われていたがそこに大きく「S 」と描いてある。セールの「S 」なのかサーヴィス・サヴァイヴァルの「S 」なのか。「Save Live Save Love 」とも描いてあった。
このすぐ先がハーレムのメインストリート125丁目だ。日曜日のアダム・クレイトン・ブールヴァード付近の教会前ではホットなバンド編成によるソウルフルなゴスペルが聴ける。それにマーカス・ガーヴェイ・パークには毎週ウイークエンドになるとサウンドシステムが登場してカーキ色のパンツの汗くさいおっさんがジェームズ・ブラウン、シック、トーキング・ヘッズらのファンキーなレコードを50枚ぐらい用意してスクラッチを始める。そうすると生意気なチビたちがマイケル・ジャクソンのステップを真似て踊り出しちょっとしたB ボーイぶりだ。ベンチでちりちりの髪にビーズを編み込んでいたカップルも我慢できずに半分だけ仕上がった頭を激しく揺すって踊り出した。公園のプールで裸の子供たちが飛んだり跳ねたり水しぶきを上げてジャンプする弾ける水の音と奇声が面白いバックグラウンドミュージックになりあたり一面ファンキーだった。
セコンドアヴェニューの「コカインヒルズ」と呼ばれるコーク取引で有名な公園でもサウンドシステムをやっている。子供たちはバイク(自転車)に乗ってコカインヒルズと書かれた小高い丘を勢いよく登ってはジャンプを繰り返すトリップバイカーをやっていた。ここでアンチコカインソングを聴きながら気分良さそうに腰を振り非合法な商売をしているやつらがゲームっぽく見えてきて、黒人ってのは実にヒップだと感心してしまう。
この公園もニューヨークデイリーニューズ紙のアンチドラッグキャンペーン「DRUGS :Scourge of the City 」の恰好の舞台となりプッシャーたちが姿を消していった。

ハーレムのレノックスアヴェニュー、125丁目はいつでも人が湧いて見えるほど人でにぎわっている。アパートの入口で片手を腰にあてティーチャーみたいに人差し指を振りかざしてしゃべってるすばしっこいダチョウのような黒人がいきなり通りにバスケットボードを引っぱり出してくるとあっという間に集まってきた連中と試合を始めた。必ずいるのがキョロキョロとあたりを伺ってるやつ。それにジャンキーやアル中もいた。くわえタバコがさまになってるストリートキッズも大人に混じり人の動きを伺っている。夕方になるとメインストリートにはガンベルトに手を当てた巡回警官やトランシーヴァーでせわしなく交信する警官の姿が目につきだしやはりそこは混沌としていて治安の悪さは評判通りだった。それでもなぜか僕は毎週ハーレムに通いたくなる。
116丁目に住むチャーリー・プリンスはアーティスト志望の青年でダウンタウンでペンキ屋として働いている。ブルックリン生まれのグラフィティアーティスト、ジャン・ミッシェル・バスキアの「A1982 」のパワフルさが今一番の魅力だと言うチャーリーは殺風景な部屋の中でチャーリー・パーカーとマイルス・デイヴィスを聴きながら「バードの音はホース(ヘロイン)なんだよ。やつらはディープ・シンカーさ」とスラングで言った。彼は4月30日、カウント・ベーシーの葬儀が行われた138丁目のアビシニアン・バプティスト教会に行きビルの冥福を祈った。彼のアパートの入口にある階段にはいつも人がたむろしている。いつ行っても同じ顔ぶれが揃っているからきっと仕事にあぶれているのだろうがその余裕ぶりには驚かされる。多分アングラ・ビジネスで食っているんだろう。金には合法も非合法もないとクールに考える彼ら黒人たちはルールを好まず常にリアリティのなかで勝負したがる無政府主義者のように生きている。そうして彼らのやり方はとにかく直感的で言葉のニュアンスや声の響きにじっと耳を傾け、そこから彼らの言うリアルミーニング(隠されてる意味)をキャッチしようとしていた。きっとそこが格好よくてヒップに見えるとこなんだろう。
チャーリーは今最も黒人を熱狂させてる人物は二人のジャクソン、マイケル・ジャクソンとジェシー・ジャクソンだと言う。僕はラッキーにもニュージャージー州ミドウズランドのジャイアンツスタジアム(NFLニューヨーク・ジェッツの本拠地)で行われた「ジャクソンズ:ヴィクトリーツアー'84」のチケットを手に入れた!その時のことをチャーリーに話してやった。 当日(7月31日)42丁目にあるバスターミナルは整理がつかないほどの混みようでミドウズランド行きのバスの中はすでにすごい興奮の渦、みんなチケットを手に入れた悦びに酔っていた。その夜、マイケル・ジャクソンはヘリコプターに乗ってピーターパンのようにやってきた!ヘリコプターが上空を旋回してライトが点滅すると誰もがマイケルに気づいて手を振った。
「エヴリバディ・スクリーミング」ジャイアンツスタジアムは嵐のような人の波に揺れてほぼ満員状態となった6時から3時間あまりに渡るお祭り気分がこのとき一気に吹き飛んだ。ティーンエイジャーと大人はマリファナを吸っている。トイレでは風邪をひいたように鼻水をすすりながらコカインを嗅いでいる。子供も大人も関係なくみんなが熱狂的なスタジアムはまるで世紀のジャイアントディスコのようでそこにはジャイアント・ヴィデオ・スクリーンが用意されマイケルの下半身がそこに映し出されるたび一段とヒートアップしたスクリーミング(悲鳴)が響き渡った。あの素晴らしいダンスステップ、スパンコールを散りばめたソックスに誘われるようにして僕はリアルライフ=スリラーの世界に入っていた。
「No Shit, You Bad- Bad Man 」人差し指で僕を狙ったチャーリーが言った。ハーレムスラングで人の羨ましがることをやったり見たりしたやつは本当に憎たらしいから「バッドマン」なんだと言う。「帰りのバスの運転手が興奮して3度もインターチェンジを間違えて堂々巡りを繰り返したおかげでマンハッタンに戻ってきたのは夜中の1時を回っていてさ、見上げたシーンと蒼い空に突き出たビルの屋上では女が四つん這いになってオオカミのように月に向かって吠えてたんだ」「You Bad- Bad Man ! 」
もうひとりのジャクソン、ジェシー・ジャクソンはボブ・ディランやジョーン・バエズそしてP.P.M (ピーター、ポール&マリー)も参加した1963年のワシントン大行進を組織した黒人指導者マーチン・ルーサー・キング牧師の弟子で熱狂的な扇動者であり政治家だ。
大統領予備選の演説のためにハーレムを訪れた時はすごかった。全身汗まみれになって拳を振り上げ身体をよじりながら演説するジェシーに黒人たちは熱狂して応え神の到来を思わせる心酔ぶりだった。ダウンタウンでも白人の老人たちがジャクソン支持運動をやっている。彼はキューバのカストロとの会談では22人のアメリカ人ドラッグディーラーを釈放させロサンジェルス・オリンピックのボイコット問題ではソヴィエトの首脳と会った。60年代に盛り上がった黒人運動はヴェトナム戦争の敗北をきっかけに鎮静化していったがジェシーの登場によって再び動き出し、黒人たちは政治的なプライドを獲得しようとしているようだった。
パーキンソン病の検査のためにニューヨークにやって来ていたモハメッド・アリをジェシーが見舞ったときにアリがジェシーにジョークを言った。
「ジェシーが大統領、俺が副大統領になればいい」
これを知ったチャーリーは「That's Best for American Freedom 」と言って大喜びした。