2001 TAMA
Join us !
Copyright"2001 by TAMA Publishing Co.

 

イーストヴィレッジ
by masaru suzuki


ファイアーエスケープ(非常階段)の錆びついた手すり、天井の穴を隠すブリキ板、ゴキブリが這い回るそりかえったブリキ張りの狭いシャワールーム、緑青がついた流しの排水口、そして路上で拾った粗大ゴミのマットレス。どれをとってもニューヨーク・ダウンタウン風情あふれる僕のサブレット(又貸し)のアパートにはドアに3種類のカギがついている。たまに出くわす隣の住人はピンクのネグリジェ姿でふらふら出歩く老婆でギリシャ人らしきスーパー(管理人)はいつも酔っぱらっていた。
窓から眺めるイーストヴィレッジは向かいのブラウンストーンアパートメントに始まり、抱き合う男女のシルエットがオレンジ色のライトに照らし出されるストリートに停車中のおんぼろシヴォレーとグラナダの大型車。そしてキース・ヘリングやフューチュラ2000 、ケニー・シャーフなどのグラフィティアートで注目されたイヴェントギャラリー「ファンギャラリー」が斜め向かいに見えた。そこのオーナーは映画<アンダーグラウンドUSA >の主役の女優だ。
僕のアパートがある10th. ストリートだけでもリンボーラウンジ、グレイシーマンション、ネイチャーモルテとギャラリーが軒並みでイーストヴィレッジはJUST NOW のニューヨークアートの震源地といったところ。アート街といってもそこはジャンキーやアル中や泥棒にアーティストとミュージシャンが一緒くたに混じり合ってパワーになってるといった具合でアートがある種のドッグフードでありバナナであり生活と一体化していてなにも特別じゃないのが嬉しいところだった。ここにいるとマクルーハンじゃないが「犯罪者は社会を探究するいわばアーティストのようなもの」にも思えてくる。そして9th. ストリートでセコンドクラスのマリファナを「センシ、センシ」とささやいて売ってるスパニッシュの連中(彼らが売りさばくのはたいてい10ドルのダイムバッグだ)をやり過ごしアルファベット側にはカフェ「ライフ」、クラブ「ピラミッド」、そして最近オープンした「8BC 」があった。この辺りの雰囲気にはジェームズ・チャンスの音がよく似合う。

アパートの隣では「ハードハット」と呼ばれる若い黒人の建設労働者がラジカセから流れるヒップホップに合わせて調子よく壁塗りしていく。彼はジョージ・クリントンに合わせて雄叫びを上げた。多分、おもしろいダブルミーニングのスラングが気に入ったんだろう。その下の道路を黄色いゴーグルにウオークマンをした黒人ローラースケーターが芸術的なカーヴを描いてクルマのあいだを縫っていく。夜にはスパニッシュの若者が100ワット100デシベルの巨大なラジカセをぶら下げてヴォリュームいっぱいにサルサを流しながら闊歩するのを後ろからゴミ収集車が追いかけてイーストヴィレッジは夜遅くまで音であふれた。部屋の窓から見ているだけでもピーピング(のぞき)のスリルが醍醐味でここはパワーが違った。たまに通るリンカーンコンチネンタルの黒塗りセダン、リムジンと肩を並べて何十年も走った段ボールとビニール製の即席ドアをガムテープで張りつけただけのおんぼろ車が走っていたりする。それを運転してるのは律儀そうなスパニッシュの老夫婦だったりする。それにまたスーパーマーケットのカートに全財産を積み込んで移動するバム(乞食)もよく見かけた。

ニューヨークは今(1984年)「ドラッグ・バステッド・キャンペーン」の最中で麻薬地帯ハーレムやサウスブロンクス、アップタウンブロードウェイ、そしてここアルファベットアヴェニューでも集中的に取締が行われていて24時間警官がアルファベットの各ブロックごとに立ち、パトカーが静かに停車して人の動きを見張った。新聞はこの効果を褒め讃えているがニューヨークには各ブロックごとにコカインの密売所があると言われるほどで相変わらずここもその数の多さに変化があるようには思えなかった。口コミや噂を頼りに上物(混ざりものが少ないやつ)を探して買うわけだったがどれもこれもマイアミから運んで来るやつを流してるクラスメイト、ムンディータのスタッフより随分と落ちるクオリティだった。この辺りに通じてるウエイターの紹介で足を運んだ空き地はスコッター(不法占拠者)が住む廃墟の中にありここでコカインとヘロインが売られていた。クオーター20ドルと安い割にいいスタッフだったのでたまにここを利用した。まず初めに別のアパートに行かされ金を前払いしてトランプの切れ端をもらう。次にこの切れ端を持って空き地へ行き隣の廃墟ビルでピストルを突きつけられてものを受け取る。初めて行ったときには太い声のラテン系のマリコンが優しく案内してくれて「あたしら下っ端にはハードな仕事なのよ」と気安く声をかけてきた。この辺りにはコカコーラの缶のふたに水を垂らしてパウダーを溶かすとライターの明かりで簡単にメインライニングしてるやつがごろごろしている。結局、凶悪犯とは違うドラッグ売買、それもこの辺りで小売してるような雑魚を捕まえてもルートの解明につながるわけじゃない。ほとんどが罰金か逮捕されても回転ドア式のニューヨーク市刑務所をひとまわりして出てくるのが常套だったから一体何のためのドラッグ急襲キャンペーンなのかと思えてくる。
ニューヨーク市の刑務所はどうにもならないくらいの満タン状態で保釈金を積んで出たいやつを募っている始末だ。たまたま乗り合わせたいかに自分が物知りかを自慢するチェッカード・キャブのドライヴァーはイングリッシュをブルースみたいにしゃべる黒人で彼はこう言った。「ほらな、シティホールのそばの刑務所には地下が10階もあってな、刑期が長いやつほど地下へ地下へと穴を掘るようなあんばいで住んでるから通称そこは墓場って呼ばれているのさ。地下10階には刑期30年〜50年の連中が入っててな生きたまま墓場に入れられてるってわけだ、そうだろが」

サングラスしたスヌーピーのアシッドを飲んで眠れない夜の続きを散歩しに出掛けたときのことだ。トンプキンスパークの住人たちの朝はすでに始まっていて口からよだれを垂らした老いぼれ浮浪者たちがそこにいた。彼らはみんなバラバラに動き回っていて不機嫌な顔をしてあたり一面に敵意をぶつけている。巨大な紫色のただれた尻をこちらに向けて黒い下着に着替える白人の女はまるでヒヒ女のバブーン、櫛の通らない髪をかき上げながら笑っている。マット代わりの毛布を入念にたたみ終えた無精ひげの男はタオルと歯ブラシを持って水飲み場に向かうとからだも一緒にアライグマのように洗い出す。突然、7色の瞑想に浸る男が大きく深呼吸すると薄汚れた赤紫色のゴルフパンツをひらひらさせて走り出した。アフター・アワーズ・ディスコよろしく突然誰かのラジオからマイケル・ジャクソンの<ビート・イット>がヴォリューム一杯に鳴り出すと「ビート・イット(逃げろ)」と言われて無意識に反応したかのように眠っていた男が目を覚まして踊り出した。 唇が異様に赤く腫れ上がってホッテントットの尻にフクロウ顔のでかい女が僕を驚かす。そのアフリカンウーマンは何か桁外れな病気を患ってるみたいで目だけキョロキョロ動かしてこっちに向かってやってくる。これはピーター・ブリューゲルかヒエロニムス・ボッシュが現実の現代版ビザールか?それともただの僕の悪夢に過ぎないのか?
ニューヨークポスト紙を読みながら気持ちのいい午後を過ごすいつものトンプキンスパークでは近くの小学校の生徒が思い思いに想像力を膨らませて遊ぶのを覗いたりラウンジ・リザーズのジョン・ルーリー(ジャームッシュ映画で馴染みの俳優と言ったほうが通じるかな)がバミューダーパンツ姿で犬の散歩を楽しんでるのを盗み見たりできた。そこはジャズミュージシャンが練習するサックスの音やプエルトリカンのマラカスの音、未熟な大道芸人がぴっちりタイツの股間を盛り上げて4本のピンを操る練習を繰り返すベンチでただ眠ってる男でさえ哲学者のように映るイマジネーションとエネルギーが舞うイーストヴィレッジの公園だった。このグロテスクな連中はその頃一体どこにいるんだろう?
「ニューヨーク・クリーン運動」のおかげでここら辺りも値がつり上がり惨めなバムやスコッターの数が増えるんだろうな。

★ニューヨークのホームレスの数は現在(1992年)6〜10万人。(全米では300万人にもなる)トンンプキンスパークには夏になると常時200人の定住者がいて朝になると市の広報車が彼らに時を知らせる。ホームレスの中には普通の主婦だった人や働きすぎの元キャリアウーマンがいた。