GrandMaster
Flash

 

 

 

 

 

 

2000 TAMA
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Copyright"2000 by TAMA Publishing Co.

 

バーナード・ハーマンのテーマサウンド、むせび泣くトム・スコットのアルトサックスの響きが悩ましい都会マンハッタンとぴったり重なりひとつになる。白い水蒸気が吹き上げる舗道に一台のイエローキャブが蜃気楼のように姿を現し、深夜のマンハッタンを流すタクシーのフロントガラスには原色のネオンが映る。スローモーションで動くニューヨークの生態をトラヴィスが捉えるカメラアイ。雨に煙るタイムズスクエアとフロントガラスに溶けては流れる赤や青のイルミネーション。ニューヨークのクズどもは本物の雨が洗い流してくれるさ−−−
映画{タクシー・ドライヴァー}のロバート・デ・ニーロ演じるトラヴィス・ヴィックルは不眠症のせいでいつもアッパードラッグを飲み偏頭痛と胃痛に悩まされる。彼はヴェトナム帰りの元海兵隊員でヴェトナム帰還兵が抱える精神的後遺症を引きずって生きていた。そのトラヴィスを通して全編貫く狂気は僕が求めるニューヨークのイメージそのものだったし僕はそこにアナーキーな自由の中でのファンタジーに満ちあふれる「都会の狂気」を感じていた。 トラヴィスがアイリスと出会うサードアヴェニューのヴァラエティ・シアター界隈「デミ・モンド・ゾーン」やトラヴィスの狂気が爆発するイースト・ヴィレッジの連れ込みホテルは、今僕がいるアパートのすぐ近所だった。2月のニューヨークの空中に威厳を持ってそびえるエンパイアステートビルディングは僕の視線の先で鈍く光り、パンクの女王パティ・スミスが{19歳のとき私はニューヨークに来た}の詩のなかで「the great hypodlermic , the towering needle 」と歌った通り偉大なる注射針のフォルムを空に向け突き立てていた。

アメリカ旋風、いわゆるポップカルチャーのなかで育った僕は日本人でありながら映画・音楽・TV 番組はもちろん、ヒーローはカシアス・クレイ(モハメッド・アリ)、野球はヤンキーズ、リーヴァイスにレイバン、コカコーラを常用するなど「ヴァニティ、ヴァニティ、オール・イズ・ヴァニティ」とにかくアメリカがかっこいいと洗脳されて育ってきたから僕を刺激するあらゆるものの出発点に今降りたってすべてに夢中だった。 60年代のニューヨークでは、有名になりだしたポップスター、アンディ・ウォーホルが92丁目のスタジオ・ファクトリーを47丁目の国連ビルのそばに移し「ビートニクス」ジャック・ケルアックやアレン・ギンズバーグ、「ハリウッド・スマート」デニス・ホッパーやピーター・フォンダ、「カルト・スター」ジュディ・ガーランドそしてローリングストーンズらとパーティする夢を見ていた(ウォーホルの著書{From A to B & Back Again}より)。それはアヴァンギャルド・ロックグループ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドが演奏しニコが歌う{All Tomorrow's Parties}(タイガー・モースやブティック・パラフェラニアンでポップなファッション、派手なエレクトリック・ドレスを着る)なにもかもがとてつもなく「グリッター」で「エクストラヴァガンザ」だったときのことだ。 そうして80年代、レーガン大統領に「これほど荒廃した場所は見たことがない」と言わせたサウス・ブロンクスからヒップホップ・ムーヴメントが爆発して僕のロケットの尻に火を点ける。

ナイトクラブ、ダンステリアの4階コンゴ・ビルでは小さなステージに2台のターンテーブルを用意して、黄色と黒のツートーンの鋲が散らばる革ジャンにパンツ姿、黒い革のセイラー帽を被ったフラッシュがブレイク・ミックスを始めたところだった。

500枚ぐらい入ったレコードボックスから素早くレコードを選び出すとフェーディングやバックスピンを使ってスクラッチさせながらクールなコラージュ・ダンス・ミュージックを創り出す。このフロアーにいっぱいの客はヒップホップ・シンボル、グランドマスター・フラッシュにかぶりつこうと躍起になってるホットな連中で、彼らの目はただただフラッシュに惹きつけられうっとりとしている。僕も沸騰寸前のポトフみたいに両手を高く振り上げ人差し指と小指を前に突き出して「カウ!カウ!カウ!」と黒人みたいに跳びはねる。僕と同じ一番前に陣取ってステージに寄りかかる今にも溶けだしそうなきれいな瞳でフラッシュのテクニックを追いかけてるスパニッシュのティーンエイジャー3人組は若さで輝いている。これはすごい!ラップ・パフォーマンスより驚きだ。{ Wheels of Street }を聴いたときからグランドマスター・フラッシュには目を付けていたんだが想像を越えている。今夜のショーがこんなに盛り上がったのには訳があった、シュガーヒル・レコードと喧嘩別れしたフラッシュの独立後初めての DJ ショーだからだ。夜中の2時をとっくにまわっているのにニューヨークのナイトシーンは遅くまでエネルギッシュ、フラッシュのステージ隣に作られたバーカウンターでは「ワンモアビアー」と詰め寄る客たちのラッシュが続きショーを終えたフラッシュに「ファンタスティック!」「エキサイティング!」と声をかける仲間に混じり、僕も「グレイト!ユーアーグレイト!」と握手を求めていた。フラッシュは僕を見ると一瞬不思議そうにしていたが艶のあるあの顔で笑ってくれた。黒人はどうしてああもスーパースターなんだろう。ニューヨークでの生活のスタートはラッキーで、まさにグッドタイミングだった。