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SUBWAY
SERFERS
ブルックリンの地下鉄高架駅を列車がゴーゴー音を立てて入ってくる。コニーアイランド行きのローカル線が急に傾いで止まるとグラフィティのタグ名 DI
が乗客が気づいていない車両の屋根の張り出しから飛び降りた。暗がりからいかにも慌てて3人の仲間が姿を現す。アイアンホースの背に乗ったそれは痛快な体験に胃はもたれ神経はまだ高ぶったままだ。400トンのマシーンが再び動き出すと肉体の限界を無視して立ち上がる気力をかき立てた。
普通のジーンズにラバーソールのスニーカーでわずか横幅4フィートの平たい屋根の上に位置を占めると両腕を翼のように持ち上げて体重を移動させる彼らは一度でも踏み誤れば危機そして死なのをよく承知している。それでも列車がゴーゴー音を立てて線路を行くときの気持ちよさに車両から車両に飛び移ったり切れ目を飛び越えては体中に吹き荒れるアドレナリンを味わう。それはまさに恐怖のテイスト(体験)だ。
恐れる理由は山ほどあるのに恐怖を和らげる安全装置や冷静なガイドはない。トンネルと車両の隙間がほんの数インチの地下鉄サーフィンの使命はせいぜい自殺がいいとこ。線路に向かって飛び出した信号のある高架を走るラインは安全なんてものでなく突然のカーヴから列車は猛スピードで警告なしにトンネルに突っ込む。
昨年は輸送当局がまず止まるのは無理と言う地下鉄サーファーにとりひどい年だった。7月までに3人が死亡、舞い上がってNY 市警察の地下まで飛んだ2人が重傷を負った。その2人はアイルランド国籍で3月の夜ヴィレッジで飲んだ後
E トレインをサーフィンしに行こうと決めてジャクソンハイツの65丁目とルーズベルトアヴェニュー駅のあいだのトンネルの中でひっかけられた。死んだのは15歳のグラフィティライターで駅の入口近くに垂れ下がった棒に激突する前2人がうまく止まれたのは一度きりだった。事故のあったN
トレインは最近この地点を通過する前に追随するサーファーへの警告として警笛を鳴らした。
MTA 首都圏輸送当局もNYPD ニューヨーク市警も地下鉄サーファーの死者の数の統計値には興味がない。MTA は死亡数が上昇の傾向にある証拠はないと言う。サーファーを見つけてトークン売場にすっ飛んでいった男性は「列車の上のことは知っちゃいない」と地下鉄職員に言い返された。
ぞっとさせるサーファーの死に直面する役人たちは同じぽかんとした表情、無関心を決め込む。96年十代の子が死んだとき市長ジュリアーニは「そんな子供は護りようがない」と言い、これに同意する裁判所が負傷したサーファーはMTA
に対し損害賠償の訴えができないと規定した。
新聞の切り抜きでは最初のサーファーの死は80年代まで遡る。90年代初頭と半ばの突然の多発が減少した後の昨年の再燃だった。輸送年代記編者によればグラフィティが起こる前、列車サーフィンは都会の生活の一部だった形跡がある。
ブルックリン南のグラフィティ仲間CGB にとり地下鉄サーフィンはB ラインの車両という車両に彼らのタグ名をスプレーペイントすることだった。92年〜97年まで仲間は何百回となく屋根に登った。「街で育った俺たちは貧乏でケーブルもないヴィデオゲームもない、他に何もすることがなかったから何時間も前に後ろに乗った」と25歳のユダは言う。「自分をギリギリまで追いやって俺たちは何度も限界を超えたんだと思う。それで評判になったんだから。俺たちのB
ライン。9番街からコニーアイランドの操車場まで全部の屋根をCGB が制覇した」
ある夕方、ユダが列車の上でサーフィンしてる子たちを見つけて一晩中追いかけた。「マンハッタン行きの列車でやっと追いついて自己紹介するとブルックリンのハイスクールのガキFDRのグループだとわかった。その夜連中がこれはするこれはしないと色々教えてくれた」ユダは他のメンバーにこのスタント芸を手ほどきする。最初はほとんど止まれないせいで死ぬほど怖かったものの仲間は向こう見ずな突進、限界を超えるスリルが気に入った。それは「ドラッグを使わずに飛べるってのに近い」究極のアドヴェンチャーだ。
ユダはリスクのことはめったに考えなかったと言う。彼は起きてる時間のほとんどをストリートで過ごす、争いごとや不和に脅える家庭の出の子供だった。「死の要素は常にある。若かったし人生が俺たちにとって価値あるものじゃなかった。でもどうかな。危ういところを助かったのはそれはもう何度もある」
CGB が全盛だった5年の間サーフィンで逮捕されたり怪我した者はいなかった。新米のライダーは常に経験のあるサーファーと組まされコーチを受けた。
CGB のメンバーは97年までにグラフィティの第一線を退く。悪名高きバンジージャンプ並のウルトラ過激な都会のスポーツを通過してマリファナの道楽を除けば今はまっとうな暮らしと言うユダは建設現場で働きダンスのクラスで教えながらウエブデザインのビジネスを企画する。他にも仲間は精神的に無力になった大人のカウンセラーになったやつもいれば信じるか信じないかは別にして資格を持った警備員もいる。でも仕事がオフのときにはMC
やDJ をやって過ごす彼らの夢はエンターテイメントの世界でうまくやることだ。
●参考資料:VILLAGE VOICE 8/15, 2000 (TAMA29
掲載、SPRING 2001 )
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