ルラの時代のミュージシャン

学生の頃、生物学を専攻した40代のミュージシャン、レニーニにとり、社会主義はシュールでトロピカル、かつてないほどモダンなものだった。彼の名は共産党の重鎮である父がレーニンにちなんでつけた。

アルバム「ファランジ・カニバル」で彼は地球全体に感謝を捧げている。なかでもイエス・キリストとフィデル・カストロにだ。「変わったところもあるが、それでもカストロは滑らかに回転する巨大マシーンに抵抗する砂粒になっている。小さな棒きれ一つで野獣を挑発しに行くやつが必要だ」。
レニーニに言わせれば、彼の世代の持ち味は様々な主観性が結びついた複合性にある。彼の音楽は、農村のダンス音楽とロックのリフ、パンデイロとサンプラーが混ざり合う、ルラの時代のブラジル音楽だ。

この国には歴史があった。1960年代末には軍の独裁政権に対する抵抗運動「トロピカリズモ」を起こしたミュージシャンたちがいる。その前にはボサノバによるビロード革命があった。ボサノバはブラジリア遷都を実現したジュセリーノ・クビチェック大統領と新首都を設計した建築家オスカー・ニーマイヤーが組み立てた新生ブラジルのサントラである。

トロピカリズモの中心にいたジルベルト・ジルは今、ルラ大統領の文化大臣だ。もうひとり、カエターノ・ヴェローゾは世界中のコンサート会場で華麗な成功を収めている。だがブラジルでこの人を忘れるわけにはいかない。このムーヴメントの隠れた大御所、トム・ゼーだ。「2001年ポルトアレグレの世界社会フォーラムに出ないかと誘われた。そこでオレは筋を通して一多性という言葉を口にした。人類という家のなかでそれぞれがひとりぼっちという意味だ。左翼のおしゃべりの中で、すこしは気骨のある言葉だろ」

レニーニとよく似たシルヴェリオ・ペソーアも先端技術を駆使する一方でフォルクローレを取り入れながら様々なジャンルや時代をミックスさせた独自の世界観を披露する。ミュジシャンになる前の10年間、教師兼ソーシャルワーカーとして土地なし農民のところで働いた。彼のラップは、表現手段も家も農地も持たない農民たちのことを繰り返し伝えている。「違いを全部規格に押し込めるグローバリゼーションには、はっきりと力強く自分たちの違いを表明するしかない。あまりにも多くの仲間がIMF 国際通貨基金の独裁とまったくなじみのない規格の押しつけに苦しめられている」
ルラ大統領がIMF に屈して、貴重な教育予算をカットしたとき、彼は待ったなしにルラの最初のギブアップを大々的に指摘した。まだ失望はしないながらも、政府のとるべき選択肢をこう力説する。「ひとつはヨーロッパ的な民主主義の方向。でもこれにはアルゼンチンのような立ち往生の危険がある。もうひとつは現場で働くすべての人たちと手を結ぶ方向。スラムで活動するNGO や土地なし農民運動からわかるように、そこには活用すべきオルタナティヴな経験がある。つまりはラテンアメリカの民衆が連合して、後見人アメリカを終わらせる道を進むしかない」

貧しさの中で子供時代を送り、大学で芸術を学びながらサンパウロで冶金工として働いた、やはりデビューアルバムをフィデル・カストロに捧げるトトーニョの場合は、90年以来、リオのNGO エクスコーラ(はみ出し者学校)で精力的に活動している。「最初はグルー(接着剤)を吸引するような行き場のない若者の社会復帰を助ける活動だった。今は暴力の被害者と加害者の若者とも話をする。世界との関係、他人との関係のルールをよく考え、音楽からその絆を結び直してはどうかと持ちかけている」

カルリニョス・ブラウンも長い間同じような活動をしてきた。社会的不平等解消を目指す市民団体「プラカトゥン社会行動」を設立したことで2002年11月、ユネスコから表彰される。新世代のパーカッショニスト、コンポーザーとしてブラジルのポップスターから引っ張りだこの、このミュージシャンはブラックに染まったバイーア州の極貧地区で育った。今も若者たちがパーカッションを熱演して地元の子供たちの模範となっているグループ、チンバラーダの音楽監督・世話役を続けている。
「自分のことは文化の端くれだと思っている。投票で選ばれる政治家同様、ディスクの売上げで報われるアーティストとは思っていない。ボクが目指すのは、他人を尊重する市民の実践だ。この社会は個人に十分な価値をおかない。今の世の中で反逆児というのは善人でいることだよ。年寄りがいなくなればボクたちの記憶の一部も一緒に消える。世間はそういうことを一向に気にかけようとしない。ボクはこういうことを取り戻したい」
カルリート・マロンの名で、カルリニョス・ブラウンは詩人アルナルド・アントゥネスと歌手マリーザ・モンチと共に、南と南の絆を結び直すためブラジルが受け継いできたものにラテン性を取り戻すアルバム、「トリバリスタス」を製作した。これがブラジルで一大センセーションを巻き起こし、希望に満ちたニューウエーブの代表作になっている。これは労働党政権の登場によって生まれた希望だ。
「どんどんスピーディーに進めろという連中もいるが、ルラがこの国の政府のあり方を実際に変えていく糸口となること、そうした意識を重圧のなかでなくしてしまわないことを願うべきだよ」

90年代初頭のオルタナティヴ・ムーヴメント、「マンギ・ビート」から始まる流れを代表するシコ・サイエンスは97年に事故で亡くなったが、伝説の人物となるゲットー育ちのラッパーは、スラムのサウンドに音楽教師のレッスンと貧困を語る悪態をミックスさせた最初のミュージシャンになった。
トム・ゼーは言う。「ブラジルには地震がないと人は言うが、そんなのはウソだ。地中に潜むフォルクローレの力でいつだって揺れている。マグニチュード14の激震!」だと。

▲参考資料:WIRED NEWS by Paulo Rebelo 30 Jan.2002 01 Feb.2002 Le Mondo diplomatique by Jacques Denis Dec.2003 www.diplo.jp