地中に潜むフォルクローレの力で
ブラジルはいつだってマグニチュード14!
イラク戦争開始前夜、幼少期を過ごした故郷のひとつ、エジプトのカイロを訪れて、エドワード・サイードが大学生と一般市民を前に講演した。ガザで人権問題に取り組む不屈の弁護士、ラジ・スラーニが何十時間もかけて検問と迂回の難関を突破し、駆けつけた。サイードの親友でもあるスラーニが、ポルトアレグレの世界社会フォーラムに参加してとても有意義だったと告げると、「君は行ったの!私は行かなかったが、来年は行くつもりだよ」と残念そうに話すのが印象的だった。二人の再開から18時間後に中東は戦火に包まれる。(サイード21世紀への対話:BS
プライムタイム2003年4月26日放送)
裕福な国の政財界のトップがグローバリゼーションの福音を説く「世界経済フォーラム」はどこかがひどく間違っている。貧困に悩む国々がもっと貧しくなり、裕福な国々への依存度を高めるだけだ。生活の質の向上や発展は経済ルールだけで達成できるものではない、社会的ルールによる面が大きいと強く信じる政治家、学者、作家、草の根活動家が世界各地から参加して100を超えるワークショップで飢餓や失業、労働者の権利、遺伝子組み換え作物、差別、環境などの社会問題を話し合う、世界初の「世界社会フォーラム」が、2001年、ブラジルのポルトアレグレで開かれた。
この時、世界のメディアはまじめに取り上げなかったし、進歩的な活動団体の多くがこれほどのものとは思わずに参加を見合わせた。しかし2002年は状況がまったく違った。2ラウンド目のポルトアレグレには少なくとも5万人が参加して、世界中の報道機関がこれを真剣にとりあげた。
会場の空気には、世界で最も差し迫った問題の社会的解決策をなんとか見つけたいとテントや寝袋持参で集まった、911後のいわばウッドストックのお祭り気分がある。発言者の顔ぶれは多彩だ。結成から世界社会フォーラムに深く関わってきた、今とは違うもうひとつの世界の可能性を信じる仏ル・モンド紙の責任者ベルナール・カッセンとアフガン攻撃をはじめとするアメリカ政府の外交政策を批判し、国家による暴力を支持し政府擁護の役割をになう主流メディアへの批判を展開したノーム・チョムスキー。カナダの作家ナオミ・クライン、ベルギーの第三世界の負債廃棄委員会会長エリック・トゥーサン、ポルトガルのノーベル賞作家ジョゼ・サラマーゴ、パキスタンのニューレフトレビュー誌編集者タリク・アリ、国連を代表してホセ・アントニオ・オカンポ事務局長、グアテマラ・北アイルランド・アルゼンチンの3人のノーベル平和賞受賞者、さらに赤十字社、アムネスティ・インターナショナルの代表が参加する。また、米国モンサント社の主導で遺伝子組み換え大豆を栽培していた農園を破壊した事件でブラジルから追放され、フランスでもマクドナルドの店舗襲撃で公判を控える身のジョゼ・ボベの姿も確認されている。
なかでも大物のひとりが、当時ブラジル労働党から大統領選に出馬していた通称「ルラ」こと、ルイス・イナシオ・ダ・シルバ候補だ。「第三世界にはびこる飢餓と不正義の責任のかなりの部分がニューヨークで開催されてる世界経済フォーラムに集まる人々にある。向こうがどうすればもっと冨を生みだし蓄財できるかを論じるのに対し、こちらはどのように分配するかを話し合う」と熱く応えた。
財界人、投資家、右翼勢力から頻繁に批判の的になるルラ候補は、米国とそのビジネスを益するだけのFTAA (米州自由貿易地域)に強く反対する。ブラジルの文化的アイデンティティが失われつつあることにも彼は不満をつのらせる。「私たちの考え方を実現させたらブラジルは崩壊するといつも右翼は言う。だが、中南米の4人の政治指導者について考えてみてくれ。アルゼンチンのメネム。チリのピノチェット。メキシコのサリナス。ブラジルのコロル。いずれも大統領だった人物だが、世界経済フォーラムが擁護する新自由主義の経済政策を推進した。その結果はどうだ。いずれの国でも財政は破綻し、4人とも汚職と腐敗で責任を問われている」
ポルトアレグレはその精神である反グローバリゼーション運動が、デモや抗議行動にとどまらず、既存のものに取って代わり信頼に値する新しい計画を示して世界の共感を集めようとしていた。あれから2年、第4回米州サミット開催地メキシコ・モンテレイに向かうブッシュ大統領を迎えたのは手に負えないラテンアメリカ。新大陸に自由貿易圏を設ける米国政権の構想の実現は実質的失敗に終わる。
2004年1月、ブラジル大統領としてルラは、裏で緊張が沸々と煮えたぎり時に表に噴きだす会議の席で次のように演説した。
「いわゆる失われた10年になった80年代に続き、90年代は絶望の10年である。このような状況を招いたのは、経済を社会から不当に切り離し、安定と成長を相容れないものとして責任と公正を分断した、ゆがんだ原則である」
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