In
This World
世界は動いている
世界は動いている。それも猛スピードで。イギリス人映画監督マイケル・ウインターボトムもスピードでは負けていない。ジョイ・ディヴィジョンを発掘した伝説のファクトリーレコードとマッドチェスター神話をもてあそぶ<24アワー・パーティ・ピープル>の次は政治的に緊迫したロードムーヴィーだ。
アメリカは戦争に勝ったけれど平和を失ったほうの国、アフガニスタンの国境では世界全般から忘れられたも同然の大規模な難民危機が容赦なく進行している。この難局がウインターボトムを触発して、ペシャワールの難民キャンプからピカピカのロンドンのストリートまで苦難に満ちた移動を企てる2人のアフガン難民のドキュメンタリー・フィクション、<In
This World >を作らせた。映画はベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した。
2001年10月、アフガニスタンに合衆国の爆弾が雨のように降り注ぐなか映画のパキスタン・英国間ルートの予行演習は試みられた。撮影はパキスタン、イラン、トルコ、イタリア、フランス、そして英国。映画の撮影中も脚本家トニー・グリソニが先回りしてこれから登場することになる人物と会うなど、最後までアイディアと個性を集める即興的方法論をとり、プロでない役者が演技する必要のない情況を作ろうと努力する。「映画のなかのことは全部僕らが出会った人たちが教えてくれた身の上話から得ている」とグリソニは言う。
映画のエナヤトゥーラとジャマールという難民にウインターボトムは実際の難民を選んだ。「判断の基準は英語が話せて、2ヶ月間この見ず知らずの英国人を快く信じて一緒にここから抜け出すこと」と監督は説明する。「ヨーロッパで難民になるチャンスがつかめるとは言ってない。きっとおもしろいだろうし、報酬が支払われると言った。エナヤトゥーラは英語が話せない。ジャマールはここに戻ることにした。そうしたものだよ」と笑う。映画製作をたたんで日当1ドルほどのペシャワールのレンガ工場に戻った後、この若者はもう一度ロンドンに向かう旅をして亡命を求めた。現在16歳で里親家族と暮らすジャマールは18歳の誕生日まで英国に滞在する例外的な許可を認められた。
「映画は事実と事実でないことをもてあそぶ」と監督は述べる。「ジャマールの両親は難民。 実際に難民キャンプで産まれるほど彼は若い。家族のほとんどが僕らが撮影したキャンプの隣で暮らす。映画の兄弟姉妹は本当の兄弟姉妹。母親は生きているが映画では生きていないのでこれがフィクションだ」
演技はやりたいようにやらせるイランの巨匠の手法を思い起こさせるが監督の口からは個人的な試金石としてヴィム・ヴェンダーズの<都会のアリス>の名が挙がる。
足の速い ウインターボトムはもうすでに次の主要作品、最近ヴェニスでプレミア上映されたティム・ロビンスとサマンサ・モートン主演の夜行性近未来ロマンス<Code
46 >を用意している。上海、ドバイ、インドのジャイプールで屋外シーンを撮影する彼はロンドンに捧げたほろ苦い賛歌<ひかりのまち>でストリートライフのつま弾きと激しい鼓動を捕らえるのに開発したゲリラ的テクニックと同じ手持ちのカメラと自然光を使った。「うわべだけの作り物の世界を創造するんでなく実在する世界の断片を使いそれを並べたかった。スタジオセットより今の現実世界のほうが未来らしく見えそうだからだ」と彼は説明した。人の自由と生活が保険つきパスポート次第の世界。きびしく検問される都会の迷宮と不毛の地ノーマンズランドとの境界線。<In
This World >を制作中に脚本に取りかかった<Code 46 >の基本構造の多くが、パキスタンとイランの砂漠での彼らの体験と難民キャンプ、ビザにまつわるいざこざから生まれていた。
<In This World >もまた反移民のデマを飛ばすデイリーメールやデイリーエクスプレスのような英国の右翼のタブロイド紙の悪意に満ちた常習的弁舌に応酬している。アシュクロフトが外国人嫌いを競う賞金に自腹を切ったかいがあることにも応酬する。「いんちきの保護を求める人やこの国に殺到する人について書かれた記事に割かれる膨大な量の紙面にはいつも驚かされる」とウインターボトムは言う。「それは強迫観念だ」
英国では映画は多くの報道機関に取り上げられ移民について活発な議論を起こした。それにこれを見る人は1時間は難民とはどのようなものか考えて過ごすことになる。
暗くて空気の薄いコンテナに40時間閉じこめられる、映画で最も恐ろしいエピソードは2000年に実際にあったドーヴァー海峡に向かう密封された冷凍トラックの中で窒息死した58人の中国人移民の死が基になっている。
▲参考資料:The Village Voice Sep.24- 30 2003 by J.Winter
(TAMA-34 掲載、Jan.2004 )
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