インドの作家アルンダディ・ロイ
インドの作家アルンダティ・ロイが世界の多彩な文学や芸術活動を支援するアメリカのラナン財団の「文化の自由賞」を受賞した。
アメリカの核政策や中東政策、経済のグローバル化がもたらす貧富の格差、環境問題などで辛辣な権力批判を続けるロイは昨年インドの最高裁を批判して法廷侮辱罪に問われ、禁固刑を受けた。昨年9月にアメリカの講演で行った痛烈なブッシュ政権批判が今回の受賞につながった。「対テロ戦争やグローバル化の名の下に世界の民主主義が台無しにされている。でもアメリカに私の意見を支持してくれる人が多く、希望を持った」と述べる彼女の講演、「帝国との対決」を聞く。
帝国が多くの国で分身を育て上げ、ナショナリズム、宗教的頑なさ、ファシズム、それにもちろんテロリズムなど、危険な副産物を生み出していること。このどれもが企業グローバル化プロジェクトと結託して進んでいるのをインドを例に取り説明してみましょう。
率先して企業グローバル化プロジェクトを推進する人口10億のインド市場は開放されWTO の手中にあります。インドの首相、内務大臣はエンロンとの取引を締結した責任者ですがインドのインフラを多国籍企業に売り渡し、水資源、電力、石油、石炭、鋼鉄、ヘルスケア、教育、遠隔通信を民営化するのに必死です。そして誰もが極右のヒンズーギルドでヒットラーとナチの手法を公然と称賛する組織、RSS
民族奉仕団のメンバーか支持者なのは偶然ではありません。
インド政府は国をがらくたのように売り払う一方で人々の注意を逸らすためにヒンズーナショナリズムと宗教的ファシズムの絶叫ヒステリーを指揮しています。核実験を行い、歴史書を書き替え、教会に火をつけ、モスクを破壊しています。検閲と監視、市民の自由や人権の抑圧は今ではごくありきたりのこと。特に宗教的少数民族をターゲットにした排除が行われているのです。
昨年3月グジャラート州で国が後押しする組織的な虐殺計画により2千人のイスラム教徒が殺戮されました。略奪と店舗、住宅、繊維工場、モスクへの放火で15万人以上のイスラム教徒が家を追われ、コミュニティの経済基盤が破壊されました。この大量殺戮で処罰された人は誰もいません。これを計画したRSS
のメンバー、ナジャラート州知事は再任され二期目に入っています。もし彼がサダム・フセインならすべての蛮行がCNN で放映されたでしょうに。
このインドの状況は自由市場が国境をなくすというのは神話に過ぎないことを示しています。自由市場は民主主義を崩壊させているのです。 私たちが栽培する作物を、私たちが飲む水を、私たちが呼吸する空気を、私たちが見る夢を企業化するために企業グローバリゼーションが必要とするもの、それは貧しい国の権威主義的で腐敗した政府、しかも企業に忠実な政府が国際的に手を結ぶことです。この隠れた帝国主義にはさらに自由を偽装するメディアが必要となります。この忠実な国際連盟、忌まわしい権力の積み重ね、決定を下す者と下された決定のために苦しむ者の距離を著しく広げること、これが「帝国」なのです。
では私たちはどうやってこの「帝国」に抵抗すればいいのか。
よいニュースは私たちがかなり健闘しているということです。中南米では勝利をいくつも収めています。多国籍企業が水道を買収したボリビアのコチャバンバでは水道料金が3倍に高騰したため住民が反乱を起こし水道が自治体の手に戻されました。ペルーでは電力会社の民営化に反対してアレキパ主導でゼネストを展開、アメリカが色々画策しているにもかかわらずベネズエラではチャベス大統領が市民の反対で政権に復帰しました。そして世界が注目するアルゼンチンではIMF
がもたらした荒廃から国を救おうと建て直しに懸命です。インドでも企業のグローバル化に反対する運動に弾みがついています。 そしてエンロン、ベクテル、ワールドコム、アーサー・アンダーセンなど企業グローバリゼーションの輝かしい大使が今はどうなっているか。
私たちは負けてるように見えても、私たちがそれぞれのやり方で帝国を包囲していると見ることもできるのです。私たちは帝国の仮面を剥いでいる。帝国は世界という舞台でその卑しい正体をさらけ出している。戦争を始めることはできても、国民ですら目をそらしたくなるほどの醜さを表しているのです。アメリカ人の過半数が私たちと同盟するようになるのにそれほど時間はかからないでしょう。
イラク戦争に向けて世論を操作するのに使われた論拠のすべてが虚偽であったのを私たちは知っています。もっとばかげたウソはアメリカがイラクの民主化に本気で取り組んでいるというものでしょう。サダムの圧制から、あるいはイデオロギー的腐敗から解放するためにそこの国民を殺戮するというのはアメリカ政府が昔から愉しんできた一種のスポーツのようなもの。中南米の国民はそのことを他の誰よりも知ってるはずです。
では私たちに何ができるのか。
ブッシュが「アメリカの味方かテロリストの味方か」選択を迫ったとき、世界の人々がそんな選択は真っ平ごめんと言えることをブッシュに教えることができます。私たちの戦略は帝国の面目を潰すことです。私たちのアート、音楽、文学によって、私たちの頑固さと歓びと敏捷さ、私たちの物語を語る能力によって帝国を嘲笑することです。
忘れないようにしましょう。私たちが多数で、彼らは少数なのです。
▲アウトルック1/30 2003、 哲学クロニクル2/11 2003 より抜粋、参考資料:朝日新聞2/12 2003
●TAMA-33 掲載、SPRING 2003
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