イスラエルで高まる徴兵レジスタンス

モスリム諸国にアメリカに対する恨みの源があるとすればそれはイスラエル支持だ。パレスチナ人にたとえ国家が提供されても22%に過ぎず、残りの78%がイスラエルのものだ。その22%もユダヤ人入植地に分散させられる。アラファトはパレスチナ民衆にそれを背負わせるような取引は絶対にできない。この1年パレスチナ人は犬や猫のように殺されている。殺されるのは母親と暮らすまだほんの子供たちだ。パキスタン人はアメリカが与えたF16 戦闘機や戦闘ヘリをイスラエルが石を持つ子供に使うのをこの目で見ている。なぜアメリカは原因となる核心に取り組まないのか。(イスラムバードQuaid-i-Azam 大学の校長ライス博士)
怖ろしいことを無理強いされるせいで撃った後で泣く兵士がいると軽蔑的に言われるのを受けて、「僕らは泣かない!僕らは撃たない!殺人者になるのはお断り!」昨年8月10日、イスラエル軍が差し押さえるまで東エルサレムのパレスチナ人文化と政治活動の中枢だったオリエントハウス付近で24歳のシャイがスローガンを繰り返す。街のアラブ側から集まる3百人の平和愛好家やパレスチナ人と共にイスラエル人のシャイと中核を担う仲間が建物を正当な持ち主に返すこと、エルサレムの分割・占領に終止符を打つことを要求した。それにもう一つシャイには徴兵拒否のメッセージがあった。
そもそも兵士は発砲する必要がないと言うシャイは街に押し寄せる戦車、危険視された活動家の進行中の暗殺、家と家族と幸福の破壊、こんな毎日が30年続くこと、パレスチナ人の生活を格下げする制限、そのどれもに面食らいむかついてきた。そしてイスラエルの安全強化を通り越しそれはイスラエルの安全を弱めるものとの考えに固執する。7月末、ウエストバンクでの兵役命令をきっぱり拒否して2週間の禁固刑を終えた34歳の予備兵ランドーも自治区での圧力が国を守るというのは作り話、それどころかさらなる暴力の引き金だと言った。彼は平和主義者ではない。大尉で ベングリオン大学で言語学のレクチャーもするランドーは国の正当な防衛では役立つつもりでいる。
建国以来アラブ人との紛争が続くイスラエルでは18歳の全男子に3年、女子には1年9ヶ月の兵役義務がありそれを拒否するのはタブー視されてきた。ところが昨年9月3日、兵役を目前にした高校生62人が土地の接収、裁判なしの逮捕や処刑、家屋の破壊、自治区閉鎖、拷問と、軍の行為は国際法に違反する人権侵害でテロ行為と呼ばれて然るべきものと兵役を拒否する手紙を首相シャロンに送りつけた。また今年に入っては前線で戦闘部隊を率いる予備役の中尉クラス50人が「我々が受けてる命令は国の安全保障とは無関係」と追放、破壊、封鎖、暗殺、侮辱行為を遂行するためのヨルダン川西岸とガザでの軍務を拒否する手紙を新聞に公開する。
兵士や警護の警官数百人を引き連れアルアクサ・モスクを訪問するというシャロンの挑発行為で始まった今回のインティファーダ以降2百人の兵士が兵役義務に疑問を述べ、刑務所に収監された者もいた。82年イスラエルのレバノン侵攻で兵役拒否者の支援を始め、87年のインティファーダで本格的に運動に乗り出すグループ「エシュグヴル」の電話は一昨年以降鳴りっぱなしだ。活動家キドロンは軍が兵役拒否者の訴追に消極的になっていると言う。「87年にはほぼ全員が刑務所に入ったのが今回は10%にも満たない。新聞の見出しを避けようとの上からの命令があるのは明らかだ」キドロンによると軍はこの20年ひとりの拒否者も軍法会議にかけていなかった。法廷の場で軍を公開することになりイスラエルがたとえば拷問に反対する国際会議や国際法に加盟調印してることに触れることになるからだ。実際に裁判や刑期には報道機関がいた。イスラエルの主要紙Ha'Aretz は「占拠を維持するために自治区には行かない」と言い張って13日間拘留された予備兵の3千語の人物紹介記事を掲載している。
「国際社会はセルビア、ボスニア、ウガンダ、チリ、その他の国で戦争犯罪を犯した兵士を起訴している。判決は長い禁固刑にも及ぶ。それを覚悟で戦うつもりですか?」と書かれたフライヤーを基地に向かうバスに乗り込む兵士らに配る「ニュープロファイル」の活動家グラフィックデザイナーのカントールは「軍隊はイスラエルでは神聖なもの。子供たちは早くから崇拝するようしつけられる」と説明する。「男子は軍隊を通じて男らしさに定義を下すよう教えられ、女子はそれで男子を評価するよう教えられる。そして大人は仕事の好機が軍務とつながる場合が多く、どのレヴェルの社会でも軍隊が幅を利かせる」と彼女は言った。6歳の女子と11歳の男子の母である彼女は、子供の学校で軍隊化を弱めるための様々な取り組みに骨を折る。
パレスチナの地でこれほどの野蛮行為が相次ぐのは半世紀来のことだ。追いつめられた3百万のパレスチナ人を執拗に攻撃し、そのリーダーを排除し、アラファトへの怨念を晴らすかのようなシャロンの自滅的とも思える政策に、「それでイスラエル社会の未来はどうなるのか?」と彼らは兵役拒否することで訴えていた。
「 イスラエルには死に支配権がある。ここでは死が統治し、ここの政府は死の政府」(和平推進派故ペレド将軍の娘ヌリト・ペレド=エルハナンがサハロフ賞受賞の際シャロンを非難してこう言った)

▲参考資料:VILLAGE VOICE Aug.22, Oct.10, 2001
Le Monde diplomatique Jan. 2002 朝日新聞9/6, 2001 1/26, 2002