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Hard Rain Starts to Fall
こんなショッキングなことはない。
サシャ・フレレ・ジョーンズは火曜の朝、4歳の息子を学校まで送るのにブリーカーストリート近くの路上にクルマを止めた。人々の注意がダウンタウンに向いているのに気づくと、一斉に指さす先にWTC
(ワールドトレードセンター)の上層階から殺到するものすごい量の煙を見つける。ジョーンズと息子のサムには炎の中にくっきり黒い穴が見えた。クルマの中の人はラジオ放送をみんなで聞こうとドアを開けている。即席のコミュニティと交通ルールの一時停止ができあがる。煙に目を凝らしていると2機目の旅客機が右から現れてもう片方のタワーの上層階が巨大な火の玉に代わった。サムが「こんなの嫌だ!」と言って泣き出した。
WTC 倒壊から24時間、チャック・エディの頭の中ではフィンランドのアンビエントなメタルバンド、アモルファスの深い悲しみに怯える歌「Shatterd
Within 」のキノコ雲についての歌詞が繰り返される。彼の e メールボックスにはヴォイス紙のイラン生まれの元実習生から「アラブ系アメリカ人がもう人前で嫌がらせを受けている」事実関係についてと、ウオールストリート近辺のクルマのボンネットに積もった煤煙で「復讐が唯一の解決策」となぐり書きされてたことについて長いメールが入っていた。チャックは頻繁に、とりわけタイムズ紙をむさぼり読みながらクラッシュの「Washington
Bullets 」 (アフガンの反逆者を主役にしてる歌は他に知らない)、ブレイキング・サーカスの「Knife in the Marathon
」(はっきりした目標を振りかざす中東のテロリストが主役の歌)、バーダー・マインホフの「Meet Me at the Airport」(彼らを無慈悲に殺すと歌う)、キュアの痛ましくも避けられない「Killing
an Arab 」を聞く。
土曜の早朝、あのフレーズが気になって目が覚める。トーキング・ヘッズの「Cities 」の歌詞 "it's dark, dark in the
daytime" だ。以来マーク・シンカーはノンストップで彼らのアルバム<Fear of Music >をかけ続けた。まるでテロリストの頭の中で書かれたみたいな歌。マークが20代頭の頃よく聞いたレコードだったがもう何年も聞いていない。なにもかも悪くなるわけじゃない。共有する認識のすべてが間違いではないと20年かけてやっと説き伏せた信頼がどんどん崩れ、混乱してゆくこの週末、3倍の容赦のなさが彼の神経を鎮めるために戻った。
9.11以降リチャード・ゲハーが消化できたアルバムはまさにその日発売されたボブ・ディランの絶望と無益、黙示録、神の啓示のイメージで一杯の<Love
and Theft >だけだ。
U2 の<All That You Can't Leave Behind >とレイ・バレットの<Fuego y Pa'Lante >と見え透いた理由でアウトキャストの<Bombs
Over Baghdad >を大音量でかけてラクエル・セペダは彼の住むビルすれすれをかすめていくジェット機の轟音をかき消したい。でもすぐ上の階の夫がまだ行方不明で嘆き悲しむ小さな子供の母親の気持ちを尊重して、それはしない。
人生でどんな音楽も聴く気になれないのは初めてのことだとスコット・セワードは言う。頭が何日も麻痺したままで望みは静寂だけ。どんな音楽も今は喜びをもたらさない。9.11以前の生活を思い起こさせるだけだと。
こんなショッキングなことはない。
9.11以降のアメリカのことだ。世界中の若者を惹きつけた希望と夢のよりどころ、長年尊重されてきたアメリカの自由と多様性の価値がこんなに簡単に放棄され顧みられなくなるとは。進歩的とか自由主義的とかの名誉ある「リベラル」が今は軽蔑的な意味合いで使われている。
9月24日号のニューヨーカー誌にスーザン・ソンタグは書いた。「公的立場にある人々やTV のコメンテーターは独善的なたわごとと全くの欺瞞を私たちに押しつけている。彼らの声は国民の判断力を幼児化させるキャンペーンに力を貸しているとしか思えない。重要なのは今回の事件が文明、自由、人間性、あるいは自由世界とかに対する卑劣な攻撃なのではなく、世界の超大国を自称するアメリカへの襲撃、その行動や利益の結果に対し行われたものであることを認めた人がいただろうか?今も続いているアメリカのイラクでの爆撃を認識している国民が何人いるだろう。そして卑劣な行為という言葉を使うなら、他人を殺すのに自分の命を捨てる人々より反撃される恐れのない上空から他人を殺す人々に使うほうがふさわしくないだろうか。アメリカの指導者らは何も問題はないと私たちに信じさせたがっている。私たちの大統領はロボットのようにアメリカは屈しない常にトップに立っていると保証し続ける。しかしそうは言わせない。アメリカの諜報活動の大きな失敗、その無能力について、外交政策、特に中東政策で他に取り得るオプションについてよく考える必要がある。しかしここ数日、アメリカ当局者とメディアのコメンテーターは現実を隠蔽しながら制裁を支持するレトリックを全員一致で唱え続ける。この一致は成熟した民主主義に値しない。民主主義の政治とは意見の対立を前提とし、率直に語ることを奨励するものではなかったか。今やアメリカにあるのは政治に代わるセラピーだけだ。もちろん私たちが悲嘆に暮れるのは当然なこと。だからといってみんなが愚か者になる必要はない。歴史を少しでも振り返ればどういうことが起きているのか、これからどうなるのか理解を深めることができるはずだ。この国は強国と何度も繰り返し聞かされても私は少しも慰められない。そもそもアメリカが強国でないと考える人などいるだろうか。アメリカが強国であることにどれほどの意味があるのか」(オリジナル・エッセイからの抜粋)
40年のキャリアで歴史小説、ガンや写真やボスニアでの戦争に関する所見など多くの著作を生んできたユダヤ系アメリカ人作家スーザン・ソンタグが人生最大の騒動を引き起こしたエッセイは千語にも満たないものだった。保守的で右翼的な人々から「売国奴」、「fifth
columnist (戦時に他国の進撃を助ける者)」呼ばわりされ公然と非難された彼女は、「致死量のCNN 」と自ら呼ぶものに自分を曝した後、アメリカ人の子供じみた世界観を騒然とさせるには及ばないことを国に納得させようと10月16日だらしのないメディアと世間をわざと騒がせる指導者らに憤然と噛みついた。インタヴューに応え彼女は言っている。エッセイに対する反発の嵐には、「それはもうびっくりした。どういうものがラジカルな見解かよく熟知している。ラジカルな見解に傾倒するときもごくたまにあるけれど、エッセイはきわめて常識的なものに思えた。特に仰天したのは攻撃のされ方が凶暴なこと。事態はどんどん悪くなっている。私が書いている雑誌New
Republic のある記事は "オサマ・ビンラディン、サダム・フセイン、スーザン・ソンタグに共通するのは?" で始まった。開いた口が塞がらない。私たちが選んでいるのがアメリカの解体なのは明らかだ」(Salon
Premium の抜粋)
人気コラムニストだったダン・ガスリーは「最高責任者でありながらテロ後すぐにワシントンに戻らなかった大統領は臆病者」と書いて解雇された。9.11後、アメリカのメディアには政治的圧力がかかり、提供した情報が報道されないため外国のメディアに持ち込むジャーナリストも少なくない。今は調査報道で高く評価されたジャーナリストが陰謀論者呼ばわりされる。
▲参考資料:VILLAGE VOICE Sep.19, 2001 Le Monde Sep.19, 2001
哲学クロニクル199号 Salon Premium Oct.16, 2001: salon.com
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