ジョン・ウォーカーがモスリムになるきっかけは
<マルコムX 自伝>だった


アメリカ人なのにタリバンの傭兵としてアメリカ軍と戦った20歳の青年、ジョン・ウォーカーのストーリーがアメリカのタブロイド紙の見出しを賑わせる(2002年1月)。過熱気味の報道はどれも60年代世代の典型とも言えるリベラルな両親の思想と行動がジョン・ウォーカーをここまで暴走させたとの切り口で共通する。家庭の崩壊のきっかけとなる当時司法省職員の父親の「ゲイ」のパートナーとの同棲に始まり、両親は息子に彼のファーストネームをつけるほど熱烈な「ジョン・レノン」のファン、住んでる町は圧倒的に民主党支持の「リベラル」な風土、両親がジョンのために選んだ高校は「自己啓発とひらめきによって選り抜きの先端的かつ創造的学生の育成を目指す」実験校、そして本人はCD を200枚持つほどのラップの大ファンまで。それ見たことか!と「リベラル」を軽蔑的に使う今のブッシュ政権が作り出すアメリカの流れに加勢する論調だ。
ジョン・ウォーカーは<マルコムX 自伝>を読んだ後、1997年16歳で高校を中退する。そしてイスラムに改宗。勉強のため中東へ行くと家を出た行き先はイエメンだった。インターネットで探したアラビア語学校に入り、両親とはE メールでやりとりが続く。 記事によれば、ジョン・ウォーカーをイスラムの道に駆り立てたのは、ストリートのただの不良だったマルコムX がイスラムに改宗したことから自分の使命に目覚めていく姿に強く惹かれたからだ。ではマルコムX が彼になにを語りかけたのか。少なくとも国家反逆罪かテロリスト幇助で裁かれる軍事法廷(ブッシュ政権はこれを検討している)よりマルコムX のスピーチに耳を傾けるほうがジョン・ウォーカーはもちろん、9.11のきっかけとなる背景の一面を知るのに的を得ているのは明らかだ。
これは「アメリカで一番腹を立てている男」と呼ばれたマルコムX のあちこちでの発言をひとつの啓示として再現したテキストだ(TAMA- 2 掲載)。当時彼が白人から悪の化身と思われたのは彼が絶対に買収されない執念深い敵として容赦なく白人社会と白人に買収された反黒人的な黒人、エスタブリッシュされた中産階級の黒人を糾弾したからだ。
彼は大学の聴衆が好きだった。常に客観的で、活発で、探求心旺盛だったからだ。また彼は当時引く手あまたの人気抜群の講演者で彼のインタヴュー記事が載ったプレイボーイ誌は大学で最大の販売部数を誇った。

『私は、ミシガン州メイスンで8学年を終えました。高校はマサチューセッツ州ロクスベリーのブラック・ゲットー、大学は(まさにハスラーとして目の前に現れる獲物ならなんでも食い物にしながら自分の才覚で生きる度胸と悪知恵を働かせて一か八かやってみる気でいた)ハーレムのストリート、マスターの資格は(窃盗の罪で10年食らった21歳のとき刑務所で知り合った男が言葉でもってみんなの尊敬を集めるのに気づき通信教育と図書館で勉強に励んだ)監獄で習得しました。 私をモスリムの世界に導いてくれたイライジャ・モハマッド(後に民衆扇動者そして指導者としてパワーを持ったマルコムを追放する)は、非白人に対する白人の犯罪記録を擁護したり正当化しようとする人々(特に北米の白人と黒人)の知性は恐れるには足らないと私に教えています。私たちが白人を「悪魔」と呼ぶときには個人としての白人を指すのではなく、集合的な白人の歴史上の記録、残虐行為や悪業、強欲の数々のことであり、白人が非白人に対し悪魔のごとく振る舞う事実を見てきたからなのです。何かの形で個人的に迫害を受けなかった黒人はひとりもいません。後援者として白人のお墨付きをもらった似非紳士、黒人の社会事業家や社会学者ども(彼らは「デマゴーグのマルコムX 」と非難した)、何世代にも及びいわゆる教養のあるニグロは白人の考えをオウムのように繰り返すことで仲間の黒人を指導し(有名な黒人指導者に欠けているのがゲットーに住む大衆との真の結びつき、連中はほとんどの時間を白人との折り合いに費やしていた)裏切ってきましたが、それは抜け目のない白人の利益になっているのです。白人は特別な理知と賢明さで世界を支配してきました。科学的な問題ではまず彼らに解決できないことはないでしょう。でも人間を扱う舞台では彼らの理知も鈍り、相手が非白人ともなるとまったくの役立たずで感情が理知に取って代わり無意識のうちにとても信じられないような行為を犯してしまうのです。それほど「白人優越」(なんとなく自分たちは優越しているという信念)のコンプレックスは心の奥深くに根ざしています。原爆はどこに落とされたか。アメリカ人の生命を救うためだったろうか?このことの明白な意味を地球の三分の二の非白人がいつまでも悟れないでいると考えるほど白人の目先は利かなくなるものなのか。
そして北部のある進歩的人物(リベラル派の攻撃にはヘビも顔負け)によって発明された「人種融合」とかの何の意味もないひとつのイメージは、アメリカの黒人の真の要求を混乱させるために狡猾な北部の進歩派が張った煙幕なのです。こんなことを望んでいるのは例の一握りの「融合」狂ニグロだけで、「人権、人間としての尊厳を!」これがアメリカの黒人大衆の願いです。今日、黒人は白人のそばにいなくてすむのならできるだけ離れて暮らしたいと願っているのに、ほとんどの白人にこのことは知られていません。今こそありのままの真実がこの国には必要です。「黒人の男がみんな白人の女を抱きたがっているって!白人は正気の沙汰じゃない」まさに400年間この国の大気を満たしてきた人権についての妄想、常套句、嘘を一掃して空気を清めなければなりません。問題は事実なのです。私は私自身の人生があらゆる嘘や偽善を映し出す鏡だと信じています。この私は北部の白人のニグロに対する偽善的態度によって生み出されたものだからです。
南部の黒人に対して何世紀にも及んで行われてきた質の悪い暴虐行為、リンチ、強姦、発砲、殴打。でも南部の白人は正直に歯を剥いて「人種融合」など認めないぞと言い、どんな名目主義にも反対だと言って南部の黒人にいささかも幻想など抱かせようとはしません。彼らは正直だと言うことです。しかし北部の白人は絶えず「平等」と「融合」の策略や嘘に満ちて、黒人がその肩に手を置くと南部の白人と少しも変わらぬ罪悪感と恐怖とで黒人から尻込みするのです。彼らは南部に非難の指を突きつけながら世界最悪の偽善者と暴露されると大笑いしてうまく誤魔化してきました。そうです、私は躍起になって磨き輝かせようとしている連中の後光を引っ剥がしてやるつもりでいます。
今日、私たちは非白人の反逆を目のあたりにしています。黒人、褐色人種、黄色人種は何百年にも及ぶ搾取と押しつけられた「劣等」意識、あらゆる酷使をなめた後に首を踏みつける白人の踵がどうにも我慢できなくなっているからです。白人から黒人の自尊心は得られません。黒人が独立して他の人間と真に平等であると認められるには、他の人間が持つものを持ち、彼らと同じように自らの手でことを行って初めて可能になるのです。アメリカの黒人は自らの価値を高めねばなりません。アメリカの黒人は白人の文化に協力し、羊のごとくそれを受け入れることで精神的に病んでいます。アメリカの黒人は経済的に病んでいます。完全に寄生虫的存在のていたらくで黒人社会の販売組織を所有もしていなければ支配もしていません。アメリカの黒人はあらゆる意味で政治的に病んでいます。選挙こそが堂々と自分のために戦える唯一の場であって白人に理解され尊敬され恐れられる力と手段を行使できるはずなのに、アメリカの政治を動かす政治ブロックやロビー活動、緊急に必要な黒人のための黒人問題省とでも呼べるものがワシントンにはありません。黒人には経済力はなくても政治的な勢力や自分の運命を変える力はあるはずなのです。
ところで私はメッカ巡礼の旅で多くを学びました。いわゆる白人を考え直し始めたのです。そして黒人を自ら卑下するようなニグロとは呼ばずにアフロアメリカンと呼ぶことにしました。モスリム(イスラム教)の国では肌の白い人々が誰よりも親身な存在でした。私はよくカシアス・クレイ(モハメッド・アリ)に間違えられました。大衆の要望でアフリカでもアジアでも彼の試合のフィルムが上映されていたのです。彼は全有色人種の想像力と支持の対象になっていました(クレイとソニー・リストンの試合はイスラム教とキリスト教が初めて対峙する現代の十字軍の様相だった)。そして実感したのです。アメリカの黒人指導者は早急に世界の非白人国家をくまなく旅してみるべきだと。国の大物と会談すれば高官の多くが国連やその他の手段を通じてアメリカの黒人のために喜んで協力してくれる事実に気づくことでしょう。
アメリカの黒人指導者の最大の欠点は想像力の欠如であり、アメリカの権力機構が最も嫌っているのが黒人が国際的なものの見方をし始めることなのです。そして黒人指導者の最大の誤りはアフリカの独立諸国とアメリカの黒人とのあいだに直接的な連帯を確立できていない点にあります。アメリカの黒人は自分たちの問題を持って国連に駆け込み、非理を正してもらおうとはしません。自分たちの問題を単なる「公民権」の問題と考えるようにあまりにも徹底的に洗脳され過ぎているからです。
アメリカの黒人闘争が国際的なものに発展するのを私が生きている間に見るというのはとうてい叶わぬ夢でしょう。善良な白人は他の白人のなかにある差別主義とまともに闘うべきだし、黒人は平等の権利には平等の責任が伴うというさらに強い自覚を自らのうちに持つ必要があります。黒人を目覚めさせ、彼らを救い出せるような組織づくりをする責任が私にはあります。私はブラックナショナリズム(私たち自身の政治・経済・社会哲学)と矛盾しない限り、どんな目的の組織とも共闘するつもりでいます。どんなグループでもラジカルでなければ期待が持てるとは言えません。ラジカルでなければ現実の闘争と有効に関わる道を持たないからです。私たちは非暴力の人間に対してのみ非暴力なのであって、仮に彼らが暴力を用いるのであればそれは私に非暴力を捨てさせることになります。抑圧されているすべての人々が私たちのブラザーであり、現に全世界の抑圧されているブラザーは互いに連帯し合っているのです』

●マルコムX は散弾銃とピストルの弾丸16発を撃ち込まれて1965年2月21日倒れた。1990年2月21日、ハーレムのアビシニアン・バプティスト教会(ニューヨーク初の黒人国会議員アダム・クレイトン・パウエル・ジュニアが主任司祭を務めた由緒ある教会だったが、当時はマルコムの葬儀を拒否した)でマルコムX 暗殺25周年を記念する集会が開かれた。集会にはスピーカーとしてパブリック・エナミーのチャックD が招かれ、20歳前後の若い出席者により集会は一段と活気を帯びる。
「オレたちみんながそれぞれ後輩や子供たちに黒人の歴史や文化、現状について教えていかなくちゃならない」-- チャックD
●<マルコムX 自伝>アレックス・ヘイリー:河出書房 
<黒人は武装する(マルコムX  スピークス)>:三一書房 
<いかなる手段をとろうとも>(マルコムX のスピーチ、インタヴュー、レター):現代書館
▲TAMA- 2 掲載、1990