昔は「ヤンキーゴーホーム!」と叫んでいればよかった。
でも世の中のグローバル化とIT 革命のせいでアメリカで起きることはすべて世界中で起きるに決まっているからアメリカ人の生き方に口をはさむ権利が残りの全人口にあると考えていい頃だ。
新たな反米主義が最も顕著なのは環境問題と死刑制度だ。
世界の人口の4%にも満たないアメリカ人が地球温暖化の元凶である二酸化炭素の25%を排出する無責任にロンドンの環境団体は怒りを露わにする。このままアメリカを含む北半球が消費を続ければ資源を開発する地球が二ついると指摘するアマゾン環境調査院はジャングルが吸収した二酸化炭素の量に応じた支払いを排出国に請求するべきだと考える。「アメリカが一度こうと決めたら他の国があれこれ口出しする問題じゃない」という姿勢に私たちは嫌気がさしている。昨年アメリカ議会がCTBT 包括的核実験禁止条約を否決した時にはアメリカは他の国なんか滅んでもいいと思っていると世界中が困惑したものだ。

テロリストだろうと死刑に処さないEU 諸国にとり電気椅子・ガス室・薬物注射によって死刑執行を続けるアメリカは野蛮な国に映る。特にテキサス州知事就任以来、全米でも断然トップの131人を死刑に処してきたジョージ W. ブッシュがアメリカの次期大統領になるかもしれないのだ。「どこに行くにしろここよりはまし」と語った最後まで無罪を主張し続けたマクギン死刑囚が9/27 処刑された。彼はブッシュが初めて延期命令を出した死刑囚だったがブッシュ陣営が掲げる「思いやりのある保守主義」の一例として政治的に利用されたに過ぎなかった。彼の思いやりは石油の高騰を理由にアラスカの自然保護地区に石油を掘るつもりだ。

さてイタリーのアパレルメーカー、ベネトンの広告の生みの親トスカーニがアメリカの人権侵害に世界の関心を集めようとアメリカの死刑囚の顔写真を使ったキャンペーン広告を世界中で展開した(アメリカ刑務所当局は許可なく撮影及び使用したとこれを非難)。写真には悪魔ではなく私たちがよく知る人間の顔があった。

死刑囚の顔を公表するのが一番

NACDL (全米刑事事件専門弁護士会)代表SPEEDY RICE

21世紀を目前に僕たちは名誉に賭けて死刑反対の声明を支援していくつもりだ。恥ずかしいことに合衆国38州と連邦政府はアメリカ国民と外国人に対し薬物注射・感電死・ガス室・首吊り・銃殺隊で死刑を執行してきた。死刑が復活した1976年から99年までの四分の一世紀に処刑された人の数600人も99年に100人処刑された事実には真っ青だ。残念ながらその数は終わりに近づきもしなければスローダウンもしていない。  
僕たちは判断力の伴わない子供や知恵遅れの人や精神病の人にも、慈悲を嘆願する国際世論や国籍にお構いなくあらゆる人種に死刑を執行してきた。死刑宣告を受けるのは主として貧乏人だ。無実の人でも合衆国では死刑になった。控えめに見積もって20世紀の合衆国で23人の無実の人間が死刑になったとの指摘がある。無実の身で死刑執行を待つ人の数を見積もるのは不可能ながら弁護士やジャーナリズム専攻の学生、その他の人の献身のおかげで76年以来82人が無実を立証して死刑囚監房から救済されている。その多くが処刑からわずか数時間のところで、それも公平な法体系や法の仕組みからではなく世間に公表された結果救済されるのが頻繁だった。  
死刑の再検討は温情処置の主張に譲歩することだとそれを根拠に無罪を退ける最高裁と訴訟手続きこそが無実を提出する場所だったと温情を退ける州知事。クソったれの八方ふさがり状態 Catch-22 とクソったれの悲惨な結果。それにまた僕たちの選んだ政治リーダーにも無実の人への処刑を支持する人がいた。フロリダの下院議員ビル・マッカランは人の処刑で安全の価値がもたらされるんだったらそれと交換に無実の人が処刑されても容認できるとおおっぴらに申し立てた。彼は再選され今も議員でいる。  
最近フロリダ(ここの知事はブッシュの弟)は欠陥のある電気椅子で死刑執行した人物のぶざまな死刑執行のホラー写真を公表した。残念ながらフロリダのウエブサイトに寄せられたコメントの大多数が死刑執行を支持した。そのぞっとするほど恐ろしい写真をすばらしい、美しいと描写する人がいた。アメリカ国内の不健康を目にするにつけどうしても死刑囚監房にいる人間の顔を持ち出すのが重要だった。
 
合衆国の死刑囚監房にはこのプロジェクトのための訪問を許可した人道にかなった条件の監房から真夏なのに風も通らないテキサスのような残酷な条件のものまであった。98年12月にこのプロジェクトを始めたときは2ヶ月で片が付くと思った。刑務所職員がこんなに死刑囚の人間らしい側面を隠したがるとは思いも寄らなかった。安全を理由に方針を理由にまたあっさり「ノー」と僕たちは大勢の州職員に断られた。
どう考えても奇怪だったのは死刑囚の最後の夕食になにがなんでも一緒に食事するのが儀式の刑務所長。彼は自分を神のメッセンジャーに仕立て最後の食事をキリスト救済の説教に利用した。もし死刑囚が彼に従えば死んだとき手を握るが拒むと彼らを干してこの世で最後に残されたささやかな特別扱いを取り上げる。この所長はプロジェクトの内容を調べもしないで僕たちが被収容者を訪問するのをはねつけた。  
外国に対しては人権の監視人を自称する世界で最も裕福な国がなぜこのように残酷な処刑の存続を許すのか?死刑囚監房にいるのがもはや人間でないのは純然たる事実だ。この人間性の剥奪と人間の悪魔化が警察、検察官、時に判事までが嘘を正当化したり証拠を捏造するのにつながった。死刑支持者には彼らが皆殺しに匹敵する悪魔でないとまずかった。最高裁の事務官には死刑が執行されるとシャンパンで祝杯を上げるのがいるとの報告もある。  
たとえば奴隷制度や合法的リンチ、ほぼ絶滅状態のアメリカインディアンといった過去の悪魔から全く学べない僕たちはさらに数を増やす死刑執行計画を携え次の千年期に駒を進める。でも天使の側の声に耳を傾けてこれを廃止すればこれもまた終わるのだ。それまでは普遍的人権の光明の下に悪魔を曝すのにベネトンのような企業とオリヴィエーロ・トスカーニのような写真家の勇気と信念が僕たちには必要だ。  
NACDL は時間とエネルギーとこのフォトエッセイを可能にする才能と資金を提供してくれたベネトン、オリヴィエーロとロッコ・トスカーニに、またこの出版物に登場する死刑囚を訪問するのを許可してくれた弁護士、刑務所の管理責任者、看守に感謝する。