ジーナの涙
YOSHIKO YAMAGUCHI

ジーナはウガンダ人。ロンドンに住んでいる。私はイギリスに行くたびジーナの家に居候してるんだ。
ジーナに会ったのはケニアだった。彼女はアミン政権下にお父さんが殺されて家族でケニアに亡命していた。アフリカにはありがちなことだけど、長女のジーナは8人の弟、妹を自分の稼ぎで全員学校を卒業させた。強くてたくましい面倒見のいい姉御のようなジーナ。私はいつも危なっかしい外国人に見えるらしくジーナは姉御というより母のように私の世話をしてくれる。

ケニアで会ったときジーナは国連の仕事をしたいと言ってた。自分のビジネスで大儲けして、アメリカの大学で政治経済を学んできた。アフリカの庶民がいつまでたっても苦しい生活をしているのを見てきたジーナは、国内の政治をなんとかして自分の国の人々を助けたいと思っていた。 5年後ロンドンで会ったとき彼女は大学院に通っていた。でもその後イギリスの不況のせいで仕事を失い、翌年会ったときは学校には行ってなかった。その上彼女は病気だった。
大学院ではなんの勉強をしてたの?と聞いたら「国際政治、でもやめた。勉強すればするほどアフリカを利用してきたこの世界に対して怒りや悲しみがあふれてくる。もう自分をコントロールできないくらい。つらくて、悲しくて、我慢できなかった。私はずっとアフリカの政治家が能力がないからアフリカ人が苦しむんだと思ってた。だから私がちゃんと政治を勉強してそれを変えたかった。今のアフリカの若者だって苦しんでるのは自分の国の政治家のせいだと思って暴動やデモをしてる。でも違うってわかった。今のこの世界の構造が、経済の仕組みが、アフリカを利用して私たちの資源をみんな取っていってしまう。そしてアフリカ人にはほとんど正当な報酬が与えられずに先進国だけがどんどん豊かになっていく。国の政治家が入れ替わったってアフリカ人は救われない。今の世界がアフリカを苦しめてるんだ」 「この世界に対する怒りや憎しみで私の心はいっぱいになった。苦しくてつらくて大学の教授に相談しに行った。彼は私が感情的にコントロールできるようになるまで政治を学ぶのを休むよう勧めた。だから今はビジネスを勉強してる.....」
日本人である私はもちろん第三世界を利用して豊かになってきたひとりだからね、こんなときはなんて言えばいいのかいつも黙ってしまう。
ジーナは弱い者にいつもやさしかった。私や他の人の失敗や間違いを必ずまるごと許していた。彼女はそう簡単に人を切り捨てたりしない人だ。でもジーナは話しながら涙をボタボタこぼして「こんな世界はやく終わってしまえばいい」と言った。 「それに彼らはいつだってアフリカについて悪いことしか報道しない。私が欧米で見るニュースも出版物もそうだった」
私はそんなことないよと言ったけど、数日前に彼女が話してくれた「アフリカ人は山羊をまるごと食べる」という話を思い出した。
それはあるヨーロッパ人がアフリカに行ってきた話を講演していて、たまたまジーナがその場で聞いていたのだが、その講演者はアフリカ人が山羊を頭のてっぺんから足の先までどこも残さず全部食べるという話をまるでまるごと飲み込んでガツガツ食べるみたいに喋ったというのだ。
ジーナにしてみればそれは事実の歪曲。アフリカといっても山羊を食べない国もあれば食べない部族もいる。それに食べるアフリカ人でも部分ごとに別々に料理していろんな方法で少しずつ食べるのであって頭から飲み込むわけではない。しかしなんの説明もなしに「アフリカ人は原始的で野蛮」という印象をおもしろおかしく話してしまうヨーロッパ人。
ジーナはこの話は事実にあってないと思ったので後で講演者のところに行って丁寧に説明した。彼女はその辺の礼儀をよくわきまえて人と接する人なのだ。だから怒り狂って怒鳴り込んだのではないと私が保証する。
その講演者は彼女にまったく耳を貸そうとしなかった。そんな目に何度も何度もあってるジーナだからアフリカについて悪いことしか言われないと思うのも当然なんだ。
だいたいニュースや記事なんてセンセーションじゃないと取り上げてくれないし、書く方もできるだけ悲惨で、恐ろしい出来事みたいに書くほうがおもしろいだろうなーと、私も思ってしまうから(ごめんね、ジーナ)。

今のジーナの計画は食品会社を作ること。アフリカから穀物などを輸入してヨーロッパで売る。そしてアフリカがきちんと利益を上げられるような流通システムにすることだ。
「アフリカは豊かだ。欧米が持ってない資源をたくさん持っている」とジーナは言った。私にはどうやってこの搾取の構造を止めるかなんてわかるすべもないけど。いつも私の弱さを受け入れて助けてくれたジーナの涙のために、私で何かできることがあるならやりたいよ。まだこの世界が終わってしまわないうちにね。

●TAMA- 13 掲載、1993年 HOT