CLUBS from New York 1991

午前1時、僕たちは外出して楽しむ土曜の夜をスタートさせている。 地元のデリでブレイクするのはやめにして20ドル払ってキャブでダウンタウンへ。
「ミート」と呼ばれる魅力的な男たちの領域をかき分けながらレオタードをつけたブロンドの脚線美を通り過ぎて暗闇のなかに忍んでいく。

ここはニューヨークの女装趣味の娼婦がいる主要なエリア。数時間もいるとひどく酔っぱらってはいたが僕たちのテーブルがあるトライベッカのバーのなかで花模様の部屋着とパンティストッキング姿の彼のことをすっかり気楽に眺めていられるようになる。
ニューヨークはいつでも世界の女装の中心地みたいに思われがちだがかつてそのシーンはゲイバーに限られていた。それが今、突如として主流に変わった。
ニューヨークのクラブ状況は活気に満ちてゾクゾクわくわく、おまけにワンピースのドレスを着たホモで占められている。

ニューヨークの女装の中心地は伝統的なイーストヴィレッジのピラミッドだ。
そこは今のファッションや音楽界をリードする人物をたくさん生み出してきた。DJ シスター・ディメンションもそうだしディーライトのスーパーDJ ディミトリーもそうだ。
ニューヨークの変態シーンのカギとなる人物は「ホモの女王」スザンヌ・バーチだ。スイス生まれの彼女はロンドンを経由して81年ここに到着する。
最初はイギリスの若手デザイナーのプロモートを手がけていたが店を出してファッションビジネスを盛り上げるのに当時ロンドンで一番ホットだったクラブタブーにインスパイアーされた「夕べ」をやることにした。
彼女が住んでるチェルシーホテルの隣にあるクラブソヴェージで「ワンナイター」が始まる。まさにホモに見えても実際には筋骨たくましい男やダンサー、ストリートにたむろする黒人のガキ、女装趣味が集まるバーで引き抜いたホモたちを彼女はそれはじょうずにあしらった。 この2年ずっと強烈なコパカバーナは月に一度他に類を見ない表現力のエクストラヴァガンザをやる。その雰囲気は全盛期のロンドンのゲイクラブにニューヨークの身構え「誰が気にするって言うのよ」をピリッと効かせた感じだ。
バーチはありとあらゆるどえらい代物を混ぜ合わせる。ハーレムのヴォーグ、ゲイクラブで始まった一種のサブカルチャーで肉体美を誇示するようなダンス、ハウスを基調としたビート音楽、60年代のゲイファッションそしてクールなおふざけなんかだ。エイズ基金「ラヴボール」では企業人や雑誌ヴォーグやヴァニティ・フェアの重役といったこういう状況を信じられないでいる人種をホモでもてなした。
彼女はもっぱらピラミッドに限られていたシーンを他の全部のクラブに持ち込み、それをファッショナブルでより芸術的なものにした。
すばらしいのはほとんどのクラブが種々雑多な人間からなることだ。そこでは誰も「ないちんガール(性転換した人)」みたいに女になろうとなんかしていない。舞台の女王に扮してエンターテイメントとして価値あるパフォーマンスを楽しんでいるだけだ。
ニューヨークのナイトライフは明らかに戻ってきていた。でもどうして今なんだろう?ポストエイズ症候群?エイズに対する激しい反動といったところか。セックスできないなら社交的なことで着飾って楽しくやりましょってとこかも。戦前のベルリンになぞらえる人もいるけれど。
最高のクラブはいつでも黒人と白人、ゲイとストレート、若者と大人が混じり合ってうまくいっている。
クラブはそれで決まりじゃないってことが重要なポイントだ。
無精ひげに胸毛と網タイツっていう人もいる。彼らはスカートははかないがストッキングはつける。パッド入りのブラジャーはしなくてもメイクはする。
「性のイリュージョン」と呼んでるが、女装ではなく男のドレスを変えようとしてるだけだとか。

●TAMA- 5 掲載、1991年