キューバ・リアル1991

マスメディアはキューバのことを余命いくばくもない共産主義モノリスと見る。しかし、太陽が輝き、ラム酒と活気にあふれるストリートと音楽があり、政治制度の変化を超越する元気があった。
ラテン人種の若い世代にとり、キューバの社会主義はロシアのとはまったく異なりうまくやっていける社会主義だった。そしてそれは他の中南米諸国が抱える問題を全部解決できるはずの夢だった。だから国の内情、若者の現状と政治状況、革命という夢の終焉についてよくわかってる者でもキューバが持つマジックみたいなものに惹きつけられる。
ハバナの住民への敬意のつもりで2週間写真を撮り続けたガルダンスの写真には人を引きつける生命力が感じられる。彼は30年撮り続けてきた劇的なドラマ、物語の悪い面を避けようと意識してハバナにポジティヴなイメージを追い求めた。彼がそのイメージを雑誌の編集者に見せると彼らはそれは「時代に逆らったイメージで、商売にならない観点だ。今は共産主義が崩壊しているドラマを報道するときだ」と突っぱねた。でも彼にはそれはドラマなんかではなかった。キューバが共産主義世界で崩壊してない稀にみる国のひとつだという現実の姿だった。
まだアメリカに一度も触れられていないキューバ国民は全然違う人生の見方で育てられている。他のどこでもそうは見つからない驚くほどロマンティックで新鮮な人生へのアプローチがあった。他の中南米にはこの熱情はあってもアメリカによってこっぴどく叩かれている。キューバから150キロ先のアメリカに亡命する人は後を絶たないが、彼らは他のどんな文化も切り崩して平らにしてしまうアメリカンドリームというブルドーザーに感づいていなかった。もちろん、遅かれ早かれ事態は変わってしまうに違いない。アメリカの豊かさを手に入れようとするだろうし、アメリカは国を丸ごと乗っ取る気でいる。カストロの地盤は弱り、ストリートではもう二度と革命は起こらない。それにすぐにも何かが起きそうな気配がある。しかし、そんな最悪な時期にあってもこの国の人たちが生きてることを楽しんでいるのがガルダンスには大事なことだった。だから変化の瞬間を写真に捕らえようとした。
革命で育った「革命の子供たち」はきっとこうなると夢見た理想の世界を革命がもたらさなかったことを自覚している。しかし革命で明らかになったとても前向きなこともある。彼らは教育や医療、医薬品といった人のためになるものはそのまま維持して、ダメージを受けている一枚岩的な間違った政治制度は変えたいと思っている。もちろん国を出たり入ったりできる自由がもっと欲しいし、よりよい食糧事情を作り出す自由も欲しい。でも、アメリカの州のひとつになるのは嫌だった。
若者が望むことは世界中どこでも変わりはない。水でなくコークを飲みたいし、いろんな音楽を聴きたい。ここではいっこうに解けないアメリカの30年にも及ぶ経済封鎖と元ソ連の支援打ち切りで物不足が深刻化している。服の類は配給制で、彼らが勝手に使えるのは年に一本のジーンズとT シャツに靴が一足だけ。わずかに残る自由販売商品はひとり2個まで買えるハンバーガーとピザとアイスクリームだ。3年前、カストロは何千台もの自転車を輸入した。今ではハバナ中の住民が自転車を乗り回していて、ちょっとした自転車熱だ。
ストリートには50年代のクルマと自転車が走り、カール・マルクス広場では日曜日ともなるとコンサートが開かれる。午後、海を眺めながらたむろする若者たちはいつだってキューバは天国に近い国だと思ってきた。他の中南米では当たり前の食糧不足の問題もこれまでキューバにはなかったし、誰にでも食べ物、ラム酒、職業、セックスが常にあった。革命は少なくともつい最近までそれを自慢にしていた。
それでも彼らラテン人種には生きることに素晴らしい熱情がある。ハバナでは通りでセックスしてるのを見かける。官能的なのはキューバの重要部分だが、それよりも彼らを特別にさせているのが、こんな不安定な時代にあってすべてが早急に変わっているのに政府の交代とやらにまさって生き続けるsomething があることだ。

▲TAMA- 8 掲載、1992

サンテリアの子供たち

かつて、太陽・海・社会主義を宣伝するビルボードだったキューバでは強力なソヴィエトからの助成金でまかなう人類平等主義体制が発展途上国で最も健全かつ最も教養ある世代を育成した。
伝統的にキューバ人はパーティ人種だ。彼らは世界中にルンバ、サンバ、最高の葉巻、ラム酒をもたらし、その文化はスペインとアフリカのパッションを併せ持つことで全面的に広がる楽天的セクシーさを創造する。アメリカ軍が島を占領する構えを見せた1962年、ミサイル危機の真っ最中にキューバ人がとった反応はマレコンビーチ沿いのプロムナードでノンストップのパーティを華々しく催すことだった。もしこれで終わりなら、幸せな状態で死ぬほうがましと思ったからだ。
今夜もマレコンビーチには子供たちの姿が見える。キューバ人はマレコンビーチを庶民のナイトクラブと呼ぶ。本物のナイトクラブは旅行者用に確保されているからだ。ドルがないと入れないクラブやバーは、キューバ人がドルを持てるようになった今も中に入るのを拒否される。
限界とはいえキューバ革命は、前向きな評価と関心とでもって育てられた物分かりがよくて思いやりがある率直な世代を作り出した。たとえ欠乏状態とドルのアパルトヘイトが腐敗に影響を及ぼし始めていても、マレコンビーチの若い恋人たちの中に無邪気な人間がいるのは確かだ。
最も重要なのは、革命の子供たちがぜひ会ってみたいと思うような極めて精神的な人たちに囲まれていることだ。奴隷たちがアフリカからキューバに連れてこられたときカソリックを信仰するよう強いられた。そこで彼らは先祖伝来のヨルバ教をカソリックの外観に隠すことでオリジナル宗教を護ると同時にサンテリアを生み出した。今日ではサンテリアはキューバ人の80%の賛同を得てこれまでよりずっとポピュラーだ。
彼らには精神世界との遭遇は近所の人の訪問と同じくらい当たり前のことだった。 キューバが他のカリブ諸国の旅行者の遊び場以上のものであり続けるには、革命が見いだした人間の豊かな潜在能力と一緒に、その精神力で共産主義につきものの腐敗を切り抜けるのが一番の希望である。

▲TAMA- 17 掲載、1995