Museum of Tolerance とマルチ・カルチャーのアメリカ
yoshiko yamaguchi

カリフォルニア LA カウンティのはじっこにある小さな大学で美術の勉強をしてる私。20世紀美術史の授業はフィールドトリップで LA にあるいろいろな美術館をまわって、レポートを提出するんだ。
クラスでドイツ表現派のこと、ヒットラーがその絵画を「堕落した芸術」と排斥したという講義を受けた後、私たちは Museum of Tolerance に行くことになった。 クラスで見たヴィデオのドイツ表現派の力強い絵を生で見れるのかと思ったら、その博物館には絵なんてなかった。入口にはいきなり黒人のものだという理由だけで焼き払われた教会の写真、KKK の現在活動中の写真なんかがあった。
中に入ると、最初のフロアでは LA暴動(アフリカ系アメリカ人対韓国系アメリカ人の暴動のように思われてる)に始まリ最近の人種問題絡みの犯罪なんかをヴィデオで紹介。それが、ただの報道ではなくて、いかにメディアさえも公正さを欠いて報道してるかなんてのを見せてくれる。
たとえば、ある暴動の始まりは白人の暴動で、参加してるのも白人が多数いるのに TV のニュースで流れたのは暴力を振るう黒人のみだった、とかね。そのフロアには他にも幾つかの展示物で自分たちの心の中に当り前のようにある偏見や差別を探るようなものが並んでる。
そして、今まで壁と思っていたドアの向こうは「ホロコースト・セクション」

そう、Toleranceの博物館ってホロコーストの博物館だったんだ。でもアウシュビッツの怖い写真は出てこない。現代のアメリカ人3人の人形が「ホロコーストってどんなふうに始まったの?どうして誰もあんなひどいことを止められなかったの?」てな話をするところから始まる。
それから私たちは第二次大戦前のドイツの洒落た街角に入り込み、当時の普通の人達の会話を聞くことができる。もし当時生きてたドイツ人だったらどのくらいヒットラーの政策におかしいと思えたかマジに疑問になってくる。 途中で当時の実際のユダヤ人の子供の写真入り ID カードみたいなものを機械から受け取る。これが一人ひとり全部違う子なんだ。まあ、それからはだんだんアウシュビッツに入っていくわけだけど。
うまいなーと思うのは、臨場感。私なんか一瞬とはいえユダヤ人の子供になった気がしてきたもの。 戦争終盤には、このユダヤ人虐殺を支えてたのがドイツばかりか、ほぼヨーロッパ中になっていたってのもヴィデオで示される。それに、アメリカ。遠く離れて関係ないみたいだったけど、実は亡命しようとアメリカに逃げてきたユダヤ人の船を追い返してたことも。
要するに、もうあのときにはほとんど誰もホロコーストをおかしいとは思っていなかったってことだ。
戦後生まれの私にとって、あれは20世紀最大の人類への犯罪、みたいに最初から習っているから、あんな馬鹿なことをドイツ人が疑問も持たずにやってたなんて変、としか思わなかった。私ならあんなことはしないってね。それに私が日本で見たり聞いたりする戦争の話はどうもすぐ目を覆いたくなるような血みどろの写真とか、残忍だ、ひどかった、かわいそうだった、とかいう話ばかりで。その怖くて気持ち悪いことをした戦争と今の自分とのあいだに何も接点を見い出せない。
ドイツが悪い、731部隊が悪い、馬鹿なことする悪い連中は加害者でそれ以外は被害者という図式もある。
でもToleranceの博物館はこういう人種問題で人の背中を指差す前に、自分はどうなんだよと突きつけられる。
もちろんアメリカってのは multi culture の国だから、日本よりこの手の問題はずっとリアルだし身近。それにユダヤ人もたくさんいるしね。

私の学校は割と、おとなしい、いい子の多い学校で、特に積極的な差別やいやがらせってあまりないと思う。それでもマイノリティの子たちはいろんなところで自分たちの歴史ややり方を無視されたり端に追いやられたりしてるのを感じてる。
ある時、クラスで先生が「今日は人種問題について話しましょう。この学校にも何気ない差別で深く傷ついてる学生がいると思うんです....」と言い始めたところ、白人学生の多くが憤慨したのにはびっくり。
「この学校には差別なんかない」から「だいたいマイノリティの集まりとかチャイニーズの集まりがあることがおかしい」終いには「この国で最も軽視され無視されてるのは白人男性だ」と言い始めたのだった。
Multi culture week に学生勉強会みたいのがあって、出てみた。
LA暴動を韓国系サイドから撮った実録映画を見たり(これって黒人対韓国人の暴動じゃないんだ)話し合ったりいろいろ。
印象に残ってるのは30代後半のアフリカ系アメリカ人女性。彼女は「私の子供の時代にはもっとよくなるようにしたい。そのためにあえて居心地の悪い思いをし続けるのだ」と言った。
彼女だって、大勢の白人の中にひとり混ざったり、軽視されてる気持ちを言葉にして戦わなければ、もっと気楽にやれたはず。
でも「comfortable zone、気楽な範囲に居続けたら何も変わらない」
「uncomfortableな毎日を選んで生きてる」と言った。
日本で私は別に誰に差別されることもなく、歴史の犯罪者たちを遠巻きに見ながら、comfortable zoneの中で平和に暮らしてきたけど。
それって、幸せなこと?

●TAMA- 23 掲載、1998年 HOT