JERKY
BOY 精子ドナーのおはなし
ZACH PARSI
最近親父が死んでうちの金があてにならなくなったので手軽なポケットマネーの誘いに僕は乗った。
友達のパブロの一族のルーツはクロイソス(巨万の富の所有で知られたリディア最後の王560- 546B.C.)だったのでパブロは自分のゲノム(生物の生活機能を維持するための最小限の遺伝子群を含む染色体の一部)を重く見て王者の精子を大々的にまき散らすことが世界の得になると感じていた。パブロのモラルの世界ではコップにそれをジャークするのは寛大な行為ってことになるんだろうな。
パブロと僕はいい印象を与えるのが義務と感じて面接のために髭を剃りジャケットを着てネクタイをした。医者は気取ってるのが見え見えのスザールという名のパキスタン人だ。面接はあっけなく終わりシルクのタイやびしっと分けた髪より高度な教育、家族がかかった病気に遺伝子の素因がないことのほうがずっと重大なんだと感じる。ドクターは僕らを楽にさせようと彼の仕事の基本を説明して僕らの質問に答えながらパブロや僕と快活におしゃべりした。ドクターからサンプルを入れるコップを手渡された僕らはホールの下にある公衆トイレに案内される。
「むろん何をするのかは承知してるよね」と彼がほくそえむ。 僕らの関係はほとんどが競争の部分を基礎に成り立っている、パブロと僕はオーガズムのゴールラインに向かって競争することにした。僕らはいちにのさんでジッパーを下ろした、その間ずっと早まった射精の決まり悪さを避けようと試みる男に馴染みのイメージでもって互いに相手の心理を見抜こうと躍起になる。
僕らはどうしても互いに注意をそらす必要があった。少なくとも僕には公衆トイレが地球上で一番セクシーな場所でないのは確かだ。精液掃除人がストライキ中のタイムズ・スクエアーのバディ・ブース(おホモちゃんのトイレの小室)を思い出してみてよ、あそこは消毒剤ライソルと白カビの悪臭で鼻もちならないだろ。
僕が先に終わる、もっともパブロとはきわどい差だったが10ドルの賭けには勝つ。検査のあいだ尿や便のサンプルを持って医者のオフィスのあたりをうろうろするのはぶざまとお考えなら、精液コップの中の君の情愛こもったひとさじを持ち歩く間、平然とぶらつくように努力することだ。
臨床上の気恥ずかしさを全く違うレヴェルにまでもっていく。しかしながらドクターは人をまったくあわてさせない。彼はテイクアウトした中華料理のバケットか?と思わせる気安さで精液コップを僕らから解放してくれた。
僕らは彼の後について実験室に入った。彼は僕らの精液を顕微鏡のスライドグラスになすりつけるとヴィデオのモニターが据えつけられてる顕微鏡の下に置く。
するとそこにモノクロのグレートーンが現われた。鞭毛状の精子がぎっしり詰まった映像面だ、スクリーンではそれぞれが2インチほどに見えた。
見るのは奇妙だった。ただひたすらDNAを運ぶのが目的の旅をする僕の一部でもある僕が世界に噴出する生物、僕の生殖体、道に迷って落ち着きのないたくさんの精子が目指す相手のまるまる太った卵子もなしに無駄に振り回されている。それには頭と尻尾があった。そいつらはちっぽけな存在でもはっきりとした任務、行くべき場所がある。
パブロは普通はひとつなのに二つの尻尾と共に激しく動く自分の精子を見つけてやっぱり自分の精子はターボチャージャーだったと知りもしないで満足そうに叫んだ。(実は射出された精子のほぼ10%にはなはだしい組織上の欠陥が見つかった)
僕が母親の金銭的負担の軽減につながるこの自発的思いつきを兄に電話で伝えると返ってきた返事は「おまえはほんとに人格異常だな、わかってるのか?」だった。
「どうしてよ?」僕は聞いた。「生殖力のない人は子供が欲しくて僕は金が必要なんだ」
そのすぐあとで知らない子供の一団の父親になるのは僕の運命ではなかったことが判明した。僕はクラミディアに感染していてドナー・プログラムを開始できるようになるまでに一ヵ月は治療に通わなければならなかった。僕の治療サイクルが終わるまでに親父の遺産が検認済遺言書から明らかになって金はもはや早急の心配ごとではなくなっていたのと、ドクターの精液コップに必須の量を満たせるほど長くあれを控えるのを困難にさせる性的注文のきついガールフレンドが僕にできていた。それにまた認めるのは死んでも嫌だったが、兄の非難が僕に影響を及ぼしていた。パブロはどうかといえば彼の精子はドクターのきびしい基準からすると欠陥のパーセンテージが高すぎた。
結局、世界の遺伝子の供給源を純化するという僕の友達の夢は果たされずじまいに終わる。
8年後、エンパイア・ステート・ビルディングの71階、ダクソール・コーポレーションのアイダント・ラボラトリーズの待合室に僕は立っている。
ダクソールは1971年から精液をまきちらす男に金を払っていた。好奇心が僕をクラブ・ワンカー(マスかき野郎)の入り口に連れ戻す。
統計によればUS の夫婦の15%が不妊(ある科学者らが指摘する数値は環境汚染のせいで益々高くなる)、年間8万人の女性がドナーの精液を使う人工受精に頼っている。また増大するトレンドはレズビアンの受精で一部はゲイの女性たちが直面する養子縁組みに対する法律上の障害に応える形で増えていた。
また最近はこんな新聞種がある。
「ブロンクスで警官に喉を締め付けられて男が殺された、その男の女房は殺された亭主の冷凍した精液を精液バンクにしまっておいたので男の遺児をもうけることができた」
「バージニアの受精能力のある医師は無名のドナーの精子を使う代わりに自分の精子でたくさんの女性を受精させた(心を取り乱したひとりの母は彼女の幼児の顔に注がれる善良な医師の微笑みを認めた)」
「クイーンズの白人カップルに予期しない黒人の赤ちゃんが生まれた」
「意気消沈したウイリアム・E ケーンがヴェガスのホテルの部屋で自殺する前にガールフレンドに寄贈した冷凍精子を巡りカリフォルニアで遺言検認の争いが」
人工受精、特に無名のドナーによる受精は、繁殖させたいという人間の原始時代からある強い衝動を近代テクノロジーで並置する方法として注目に値した。
今このテクノロジーは人類の夜明け以来出産が必要条件だった人間の性の認識の古めかしい儀式を迂回すると同時に、女性にその子供の遺伝子組み立てを選ばせる。子供の父親は妊娠のときに生きてる必要はない。父親は母親のことを魅力ある妻だと思う必要もない。数千ドルも出せば見るも恐ろしいどうしょもないバカで道徳的にも堕落した女性であっても美男子あるいはノーベル賞受賞者の精子で受精させることができる。
それは逆のギリシャ神話のようだ。疑うことを知らない乙女(処女)にムラムラときた好色で狡猾なゼウスが時間を費やす代わりに、精子欲しさにゼウスをしごくのは乙女のほうだった。
夫や同棲相手なしのこの妊娠(受胎)は、性の平等に向かう第一歩とも見なされる。
それにまた賭け事もからみこむ。最近、婚約パーティで僕の友達デーヴが金欠病のせいで精子に金を払うアイダントにせんずりしに行ったことをばらした。デーヴの話はその夜のハイライトだ。彼の精子は冷凍すると死んでしまうことでドナーを拒否されたことが判明する。僕は「お前もパブロもせんずりの恥じの殿堂入りだな」とばか笑いした。
デーブが僕のも適任じゃないほうに50ドル賭けた。
マンハッタンの高層ビル、アイダントの待合室からの眺めはデーヴが言ってた通り感動的だ。僕は何百万の精子のひとつひとつのかけがえのなさに思いを馳せていた。そのひとつひとつが詩や小説同様、僕という人間だけの作品のようなもの。
僕はこう考え始める、都市は僕のキャンヴァスで僕自身は精子アーティスト、僕のかけがえのない創造物を世界に伝える、どのオーガズムも新たに2〜3百万の小美術品をもたらす。僕の心はジャクソン・ポラックの絵の具が飛び散った絵のイメージで満たされる。
僕は計算を始めた。人間ひとりの射精には2百万から5百万の精子が含まれる。サンプルを受け取るごとに50ドル、一人当たりの見返りはそんなにとてつもないものではない。でも次にただでまき散らしたこれまでの精子のことを考えてみる。おおざっぱに見積もってペーパータオルにぶちまけたりコンドームに仕掛けたりで分子級の数を見捨ててきており、種々さまざまの再現と消化の跡をふいにしてきた。射精ごとにだいたい精子は3ミリリットル。理想的な精子の数を請け合うには2日の蓄積の必要を見込むため来院は週2日になる(精子銀行は一般にドネーションの前に2日以上5日以下の節制を命じる)。
さてと、僕は一年に3百ミリリットルの精子を蓄積しておよそ5千ドル稼ぐことができる。ロッド・スチュアートがしこしこやって自分の腹に1ガロンまき散らしたという昔の遊び場の作り話のことを考える。懐かしいロッドにはたくさんの友達がいるはずだよな。そう考えたら吐き気がしてきた。
僕が入ったときアイダントの受付には誰もいなかった。僕は退屈してきてコップにせんずりする手はずを整えるのに大事なランチタイムを使うなんてアホじゃないかと感じてくる。そして突然、精子銀行にはなんか陰険で不自然(異常)なところがあると思った。
まったく知らない人との子供を持ちたがる女性というのはどういう人なんだろうとあれこれ熟考する。火星のキャビアに相当するものを集める国中の精子銀行を入念に計画する進んだ地球外生物の形態という安っぽいトワイライトゾーン・シナリオを想像してみる。ヨーロッパの影になる側でカジノでバカラを興じると同時に、どっさり入ったたらいから人間チョウザメ(卵はキャビア)を食べる超慇懃な火星人ジェームス・ボンドを思い描く。
やっと受付係がそばに急いでやってきて僕の空想をさえぎる。 「すみません、あなたがいることに気がつかなくて。私たちこの頃とても気が抜けていて」、彼女は僕のことを推測すると「匿名のドナー・プログラムは一時的に中止しているんです」と言った。
「どうしてですか」 「保健局から訴えられているんです」
これは過去の健康侵害を強く主張して彼らのライセンスを停止にするニューヨーク州保健局にアイダントが異議申し立てをしている別の事項だとわかる。
アイダントの社長、ドクターFELDSCHUH によれば保健省の取消は「アイダント血液銀行の業務を追い出すために行われている7年間の戦いの最新のもの」だった。
ドクターはまた、アイダントには係争中のニューヨーク血液センターとの100万ドルの反トラスト(企業合同を規制する)訴訟があることも明らかにしてニューヨーク血液センターが競争相手のアイダントのような成り上がりの血液銀行を潰すよう州の保健局の取り締まり官に圧力をかけるのにその経費を使っていると強く主張する。アイダントには様々の州の保健当局との係争中のRICO
請求(クレーム)もあった。
「我々の精子銀行プログラムに健康侵害があるとのクレームは途方もないものだ」とFELDSCHUHは言う。「アイダントはいつも安全の陣頭に立ってきた。いやしくも州がガイドラインってものを採択するはるか前に6ヶ月の検疫期間の手順はもちろんのこと[HIVや肝炎のような潜伏期間の長いウイルスを遮弊するために]すべての精子に対する必要条件のテストは厳格なものだった。民間の精子銀行の歴史でアイダントは常に安全に対する規格をもうけてきた」
動物の人工受精は何世紀にもわたって行われてきた。2年前の夏に友達と一緒にバルセロナ近くの田舎を訪ねてその処置がどんなに簡単なものかよく観察した。
友達の叔父さんはしっかり捕まえて牛の子宮頚をまっすぐにするため腕を肘まで牛の尻の中にいとも簡単に突っ込む。そして牛のヴァギナに漫画サイズの注射器を差し込んで、僕のダチ公に冷蔵庫から取って来させた2百ドルの大量の雄牛の精液を注射した。牛は一度、のどの奥からモーと訴えて、それでおしまいだった。
女性の人工受精の最初の詳細な記録は1770年イギリスで発生した。しかしながら、US で発生した最初の人工受精の成功はそれから1世紀を経過するまでない(国民の非難のせいで外科医が実験をあきらめざるをえなかった)。
その年、イタリーの科学者が人間の精子が冷凍しても生き存えることを発見して、戦争で殺された夫たちの未亡人のための冷凍精子銀行の設立を提案した。冷凍するより前に少量のグリセリンを加えると精子の生き残る可能性が高まることが発見されるまではなんということもなかった。精子の極低温貯蔵が1961年最初の宇宙飛行士に役立てられる、宇宙飛行が生殖体系に影響を及ぼすかどうか定かではなかったからだ。人間の人工受精の実施における本当のターニングポイントはテクノロジーのおかげで60年代に広く入手できるようになった液体窒素の中で迅速に低温冷凍できるようになったとき訪れる。
動物の受精は僕には気違い修道士(遺伝学の祖、オーストリアの司祭で植物学者のメンデル)が自分の豆科植物を他花受精する以上の哲学的問題を呼び起こさない。しかしながらドナーの特性次第で女性が精子を選ぶという考えではドクター・ミンゲルにはメンデル以上のものがある。
僕の母親がBURPEE種のカタログから様々なトマトを注文するときの気楽さで女性が精子ドナーのカタログから精子を選んでいる未来を想像する。
「ほどなく、精子銀行は女性にそれぞれのドナーの詳細に記された統計上のプロフィールを含むフォルダーを与える、それには物理的な特徴のみならず趣味や教育上の背景が含まれる。文明史の隅から隅までくまなく男性がその妻を選んできている、そして女性は夫婦が持つであろう子供についてほとんどあるいはまったく何も言ってこなかった」とドクターFELDSCHUHが指摘する、「女性がドナーのプロフィールから選ぶことがその経緯を一変させる」
僕は僕自身のドナー・プロフィールのための根拠を申し立てている、そして30丁目にあるレプロ・ラボの1階待合室で将来のドナーの申込用紙に情報を書き入れる。質問に答えながら僕は考える、ヒットラーにもこんな夢があったんだと。
ゲイやバイセクシャルには適用されない(HIVのハイリスク因子)。1977年以降にUSAにやってきたサハラ以南のアフリカ人にも同じ理由で適用されない。
入れ墨もだめ(これもHIVリスク要因だが、近代科学はどうも入れ墨と低い知能・理解力とのあいだにある関連を認め出したのではないかと思う)。
髪の色、目の色、身長、体重。中東という遺産にもかかわらず僕はアーリア人のポスターボーイの印象を人に与える。後にある精子銀行の専門家が教えてくれた、成り行きは実際思ったほどアーリア人さまさまではないと、現に彼の銀行は最近積極的にマイノリティのドナーを求めている。
質問事項は続く、「これまでに妊娠させたことは?」
「数回」
僕は4人の赤ちゃんを中絶させるという繁殖力旺盛な父親なのだ。
教育程度?気をつけろ、僕の精子は大学や大学の法学部を卒業する程度に頭がいいんだ。僕の遺伝子はすごいんだと思い始める、得意になってる父親みたいに。
僕のは勲章ものだと思った。その時点で僕は最初の適正(ふるい分け)書式に記入し終えていて、僕もナチのゲルマン民族のような支配者民族を新たに作るための優性学的にすぐれた遺伝子を預かる身かどうかの懸念は遠のいていた。
僕はプライドと性的能力を感じ始めていた、そして僕の友達デイヴが賭けに負けて50ドル払うことになるとますます確信を強めていた。
「あら、あなた弁護士なのね。残念ね、弁護士はいらないのよ」僕の完璧な書式を読みながら専門家が言う。
ドキドキ。 「冗談よ」 彼女は僕を『採集室』に連れていき、僕は早く出したくて彼女に従う、2日も慣れない節制をしていた。
レプロ・ラボの説明書は曖昧ではない。「精液サンプルは個室でのマスターベーションで採るように」 要するに、これが匿名ドナーの報酬の基本だった。節制とこの場で出すこと。サンプルを郵送することはできない。すべて採集室の領域内で預けなければならなかった。
採集室はカーペットを敷いた小さな部屋で、医者の実験用机のように中央にサニタリーペーパーがかかった革張りの楽ちんなリクライニングの椅子がある。ドナーは採集が終わるとペーパーをひきはがして空気清浄剤をシューっとかけることになっている。壁には、1996年のペントハウス誌のペット、アンディ・スー・アーウィンのポスターが、裸だがおかしな帽子を被り上唇と下唇のあいだにくさび形の乗馬用むちをくわえている。アンディ・スーは僕の助けにはならない。それで机のポルノ雑誌の山に向かう、ペントハウス、プレイボーイ、フォーラム・レターズ、お馴染みのスタンダード版。
それより僕はヴィデオの刺激のほうを選び小型カラーテレビの上のカセットの山から選択する。タイトルのラベルがないのでランダムに入れてみる、3人の端正なアジア人美女の戯れが売りの筋のない中国ポルノ、でもいかがわしさのすべてを曖昧にするボカシが気を散らす。思うにこれぞ近代中国のモラルとみなされるところ。やっとメキシコのアマチュア・ヴィデオに決めて腰を落ち着ける、その理由の一つに、数ヵ月前サンフランシスコの結婚式で僕を鼻であしらったゴージャスでお高くとまった女性を彷彿とさせたからだ。
僕は仕事に着手し、あっという間にことは進行した。とはいえ人がエクスタシーの瞬間に容器にためるのがどんなに難しいかを僕はすっかり忘れていた。それに4オンスの精液カップにあんな微々たる量でどんなにがっかりかも忘れていた。
僕は手っ取り早く完了して助かった、なぜなら採集室は実験室に隣接していてテレビの音量が少しばかり大きくなっていることに気付いたからだ。専門家や医者はポルノ映画のうめき声を聞くことに慣れているとは思うが、僕は今だにすごく気恥ずかしかった。それにこうも思った、多分これはふるい分けの(審査)手順の一部だと。そうこうしてる間に、もう何もすることが無いことに気付く。僕はカップをひねって僕の名前を書いたラベルを貼り、受け渡し用の小さな窓越しに専門家にサンプルを手渡した。
ドクター・スザールと一緒にスクリーン上で僕の片割れを見れなかったし僕のサンプルを受け取った専門家はすばらしい話し手ではなかったが設備は大学病院の公衆トイレよりずっとよかった。
看護婦から僕の精子が合格したかどうか明日電話するよう言われた。総合的な数、運動性、前進の動き、冷凍後の生存能力が彼らが判断を下す主なカテゴリーだった。もし合格すれば僕が気違いでないのを確かめる面接はもちろん、長い尻尾や足の水かきを隠してないか確かめる身体検査になる運びだ。
「基準に達するのは25人にひとりだけ。私たちは最高の品質の精液のみを扱う」これは僕が後で訪問してこの記事を書いた精子銀行のひとつで働く専門家の話。
ジョーと呼んでおこう(精子銀行ビジネスのどちら側でも多くの人が自分のコメントとされるのをひどく嫌がる)。 でもどういう人がこのふるい分けをやって実際選んでいるのか?3日ごとに2日も控えようとするやつとは?そしてこれができるやつとは一体どういうやつなんだろ?
僕の結論、性交できないやつだ。 「女性専門家がここではたくさん働いている、ドナーになろうという男の最終的拒否権が彼女らにある」とジョーが教えてくれる。「彼女らがほんとに醜男だと思ったら私たちは男をはねる。でも、もちろん男には精子の数が少ないとか運動能力が低下してるとか他の理由を告げるけどね」
結論を一部改める。受け入れられるドナーは性交できないが魅力的な男。すなわち彼らはひどい人格の魅力的な連中だった。
「そんな風に考えたことはない」とジョーは言った。「でも私たちが面接をやるからもしドナーがまったく間抜けだったりバカだったらはねることができる。たいていのドナーは大学生でいいやつに見えるよ」
僕に言えるのはそれが匿名ドナーによる受精での問題だってことだ。女性たちはこうあって欲しいという肉体的特徴は選ぶことができる、背が高くて金髪で青い目などなど。でも、知性やユーモアのセンスや創造性という真に人間性を規定する見えない特徴についてはどうなんだろう?
しかし、レプロ・ラボでのつらい課業から仕事に戻るとき僕の胸にゆっくりと浮かび始めた匿名ドナーになるという見通しにはもっとずっと厄介な局面があった。
僕の鼻をどうにかしなければならない。僕のこの鼻はとても角張っていて長い。大きくてとがっていて、忘れられない鼻だ。そのことに気付いたのは13才のとき、学校でお昼を食べてる最中にあるがき大将が僕に向かって「そのデカ鼻にふたをしろ(黙らせろ)!」と叫んだんだ。その午後、僕は走って家に帰り、母親のアンティークの手鏡を風呂場に持ち込んでそこで生まれて初めて僕の横顔をじっくり観察した。
大人になってこの僕の鼻になるまでが僕には長かった。そしてハンサムな小悪魔と常に僕を元気づかせる母と父の支援のたまものだと考える。
ペルシャ王のとがった鼻を示す古いアラブの本の彫刻を父は僕に見せた。母は二人の胸の豊かなフラッパーにはさまれてたった今カナリアを飲み込んだばかりに微笑む慇懃なジャズエイジ時代のフランス人関連の古いひびの入った写真を僕に持ってきた。この男は4分の3が鼻だった。両親のおかげで、僕がちょっとうぬぼれの強いろくでなしに戻るのに長くはかからなかった。
「僕のこの鼻はどうかな?」ジョーに尋ねる。「ドナー・プログラムの検閲に合格すると思う?」
「そんなに悪くないよ」と彼は言ったが、僕は全部の性格特性表を彼に見せた。
「ああ、そいうことか。でもひどくはないよ、まあ誇り高いってとこかな」
まあね、でもそういうことではなかった。もし僕の匿名精子で生まれた子にこの鼻が付いていたら僕に責任があるだろ、仕事に戻ろうとアップタウンに向かって歩いていたとき胸に浮かんだのはこのことだった。
哀れな青臭いガキが突然直観的に自分の鼻がデカ鼻だという真実を把握して世界が突然まったく変異してしまったような気持ちに昂然と立ち向かおうと努める。あるいはもっと悪いことを考えてしまう、だんご鼻の中学のチアリーダーという侮辱とあざけりに苦しめられる小さな女の子。もしその子らの両親がシラノ・ド・ベルジュラックの本を読んでやるといったセンスがないとんでもないアホで、内面の美しさの重要性を子供に教えてやらないような親だったら?月経前の怒りの口喧嘩の最中に、デカ鼻の子供にうんざりの母親が哀れな女の子をあざけって眼の前で整形手術の可能性をちらつかせたらどうなる?まったく厄介な想像だった、そして最初、兄にドクター・スザールのことを話したときに彼がどんなに怒ってたかを突然思い出した。
翌日、僕はレプロ・ラボに電話した、僕の精子はすばらしくてプログラムに加わって下さいと懇願される自信が僕にはあった。それにもし報酬のことで吹っかけることができたら、面白いから一回出すごとに100ドルと言ってみようと思っていた。
「えーと」と電話の向こうで医者が言った。
「君の運動性は良好、君の経過の成績点は最高だ」 さっそくデイヴに電話して素敵なディナーの手配を頼もう。しかしそのときドクターが僕に衝撃を与えた。
「しかしだ、君の数は最適状態に及ばない」 「何ですって?」 「低くはないんだけれど」彼があわてて言った。「私たちの基準がきわめて高いってことを理解して欲しい、そのために金を払うのだからね」
「ちょっと待って」と僕が言った。「ほんとのことを言って下さい。僕の鼻なんでしょ?鼻のせいならそう言って下さい。ほんとに大丈夫ですから」
「そうじゃないんだよ。よかったら再テストを受けに来てくれ給え、多分調子の悪い日だったんだろう、あるいは十分に節制できてなかったとか」
僕は火曜日の朝、再度出直した。僕は三日も節制していた。僕のようなみだらな男には節制は簡単なことじゃない。満足させる恋人がいるやつ。深夜のケーブルTVのポルノやスイセンのように4月になると花開くように思えるこのすごい都会のスキャンティをはいた美女たちにそそのかされるやつ。僕に陰謀を企んでいるような情況だったが、僕はじっと我慢した。
僕は精原細胞から精母細胞へと前進する精子開発を想像していた、そして華々しいポスト分裂、半数の精子細胞へと進み、ついには開発の極致、精子完成の成果、気高い精子である生殖体の蝶、ひとつひとつが完全な形のその微々たる量に全人類の希望を運ぶ微細な銀白色の魚に到達する。僕は迅速だが至難の開発の行程のせいで3日間飲んだり吸ったりを我慢する心構えをさせて、イギリス辺境の植民地に突進する準備をするミニチュアのズールー国家のようにそれらが行きたくてうずうずしながら駆け巡る姿を想像する。
火曜日の早朝、僕は大いなる希望を胸に到着した。 「採集室はふさがってます」と看護婦が僕に報告する。
「そう」 僕は待合室に座り雑誌を読みながら、もっとましな眺めだったばかりでなくすごい雑誌が揃っていてもっと待合室のカウチは座り心地がよかったのにアイダントが保健局によって一時的に閉鎖されているのはひどく残念だと思っていた。
アイダントの採集室は見てなかったが、KIM's videoよりもっとたくさんのポルノ映画がある設備の整った部屋が想像できた、それに胸の谷間がものすごいムンムンの看護婦が『採集の助手』として助けを施してくれるかもしれない。
15分後、古くさいカットの顎の引っ込んだ(軟弱な)男がクリニックの後ろから現われて、後ろめたそうな様子で事務所の外をあちこちせわしなく動く。僕はとっさに軟弱な住民の感情の高ぶりを想像してレプロ・ラボがこいつのを滑り込ませることはないだろなーと思った。
それから僕自身の整形上の弱点のことを思い出して顎が引っ込んでるのはデカ鼻より悪くないと思った、そして看護婦に聞きもしないで採集室に向かった。
なかなかはかどらなかったのですぐにラテンのアマチュア・ヴィデオをつっこんでさっと済ませた、最高のサンプルだといいなと思って。真っ昼間にタイムズ・スクエアーの覗きショーから出てくるビジネスマンのように見えないようになんとか厳しい表情で待合室に向かった。
待合室には足元にバックパックを置いたスウェットパンツをはいた長い金髪の男がいた。まず僕は学生だと思い、次にドナーだと思った。 僕は外に出たが僕が考えてる問題について他のドナーの考察を聞いてみたかった、それで外をぶらつきながら待っていた。
金髪の男は5分ほどで外に出てきた、僕にはすごく早いように思えた。僕は彼を途中で呼び止めて事情を説明した。疑いを持って見ている相手に何かを説明するのはどんなに難しいことか、それはおかしかった。やっと僕はただ質問をしたいだけだと男に納得させた、そして彼がドナーになったのと同じ条件で、つまり匿名ということで彼が許す時間内で質問に答えることに同意してくれた。
彼をキースと呼んでおこう。 「脅かさないでくれよ」とキースが告げる。
「一度男が出てくる僕を止めてレプロ・ラボの2倍出すと申し出たことがあったんだ、用心するにこしたことないだろ」当初の彼の警戒ぶりはこれで説明がつく。
キースは大学2年生から過去3年間プログラムに参加してきた。そして今年5月に卒業したらやめるつもりだと言う。
「金銭面では本当に申し分ない」と彼は言った。「しばらくやると他の仕事と変わらなくなる。できる限り迅速にこなす。基準に合ったサンプルということでただ金を貰っていただけだから、いいサンプルを残すためにはちゃんと慎む」
スウェットパンツはいわば彼の迅速な出口戦略の一部、簡単に着て簡単に脱げる、とはいえ時には落ち着くためにしばらく待たなければならないと彼は言った。
プログラムは性交できないまずまず魅力的な男を選ぶという僕の説を彼は打ち破った。 「僕は火曜日と金曜日をこれに当てる。ということは金曜と土曜の夜はセックスできるということ。今、ガールフレンドはいないが去年はいたし、彼女はとてもよく理解してくれた。後の日はできないが、しばらくすれば慣れることだ」
自分の娘と寝る見通しについては?
「その原因となるような地理的エリアではどこも妊娠の数を制限している。多くて12人だったかな。教えてくれるよ。たとえば僕はニューヨーク領域では4人、ボストンで2〜3人、メキシコで1人か2人。家に帰れば書いてあるからわかるよ」
「もし面倒な女性が君の精子で受精したとして、罵ったら、君の子供をってことだけど?もし君の子供がひどいめに合ったとしたら?だって君はそれを助けにやってこないだろ」
「そんな風には見ない」とキースは言った。「現に僕の子供とは見なさないよ。献血するのと一緒で精液を提供しただけだよ」
人工受精の手続きをとるのに数千ドルかかることを彼は思い出させた、つまりそれを受けられる女性には子供の世話をするための金があるということだ。
最後の質問、「壁に貼ってあるアンディ・スー・アーウィンのせいでいった?」
「ノー」彼は笑った。「去年誰かが貼りだしたんだ。時々会う赤毛の男だと思うよ」 僕たちはブロードウェイで別れた、僕はタクシーでアップタウンに向かう、そしてキムはいいやつみたいだし、なかなかのインテリだ、恐らく遺伝子給源をひどく汚すことはないだろうと考える。
事実、大学時代の僕自身の多くを彼は思い出させる。先見の明のない若さを。
翌日、僕は仕事場からレプロ・ラボに電話して、僕のサンプルを破壊するよう医者に頼んだ。
「それはともかく合格しなかったよ」と彼が告げた。それには傷ついた。性的能力に欠けるという感情がまとわりつくが僕は元気だ。僕は大学に戻り、二度とドクター・スザールのプログラムを続行しなかったことがうれしかった。
兄にも感謝する。 デイヴに電話してお前は賭けに勝ったと教えよう。それから兄に電話して礼を言う。
▲NY Press may 1996
●TAMA- 20掲載、1996年CHILL
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