without walls 新生ベルリン

恒例のゲイの祭典 が200万のパーティ愛好家で盛り上がる頃、旧東ベルリンの伝説のテクノクラブ The Bunker の外には小規模ながら離脱組Fuck Parade の面々が結集していた。
「個性を祝うのになぜ同類が山ほど群がる必要があるのか?Love Paradeにはもう意味がない」その夜9時のニュースで群衆に混じって踊っていた27歳の男性がめった切りにされ死亡したニュースが流れたとき、デカダンス・寛大さ・性の包容力・テクノを売り物にしてきたパーティはついに終わりを迎えた。 その5日後には湖に打ち上げられた別の溺死死体も見つかる。

パーティの終わりはベルリン時代の終焉と言ってもいい。ヨーロッパのスポットライトを浴びたい一心でひたすら暴走するベルリンにとりそれはバッドタイミングだった。昨年5月に始まる次のミレニアムを祝う祭典とGDR 東独建国50周年の祝賀行事、ベルリンの壁崩壊10周年が重なったこともそうだが、政府を丸ごとボンからノーマン・フォスター卿が改造した国会議事堂に移すことでドイツの首都という新たな地位を固めているところだった。
かつて東を西から分断した憎悪に満ちたポツダム広場を望む広大な用地に大がかりなガラスとスチールの超巨大都市が姿を見せるのはもうまもなくだ。
政府があらゆる行事に「ニュー・ベルリン」の誕生を使う一方で、地元ベルリン子の見方はシニカルだ。人口が減ってるときにあの真新しいショッピングモールを一体誰が利用するというの?あの高層ビルの空きスペースを埋めるのは一体誰なの?「ニュー・ベルリンは作り話、人為的な虚栄、そもそも人がそこに惹きつけられた理由をすっかり見失っている」が正直な気持ちだ。

歴史的に見てベルリンはドイツの規約を侮辱する独自の掟で生きる島として存在してきた。だから兵役忌避者、パンク、平和主義者、アーティストの避難所になり、必然的に創造性を育てるに恰好な場所となった。
自意識強いボヘミアンと頑なな政治犯のエッジーな街、アヴァンギャルドと同意語の大胆なアナーキストが底流の街、そして世界で最も危ない最も寛容なゲイシーンを誇る街だ。
壁の崩壊から5年、旧ユダヤ人街の建物の所有権が論議を呼んでたとき旧東のMitte に無断居住者がドイツ中から移ってきた。4年間ここに住むことで生活費を稼ぐプレッシャーから解放された映画監督ベイカーは実験や新しいアイディアを考え行動する余裕を与えられる。Mitte は何が起きても不思議ない中心地になりイリーガル・クラブや秘密のバーが現れ、ベルリン・トーキョーのようながたがたのギャラリーの枠内でアートシーンが繁盛する。
それは20年代の伝説のデカダンス以来、最高のベルリン時代と見なされる時期になる。しかしニューヨークのローワーイーストサイドやロンドンHoxton のように高級化が固まり出すと建物のほとんどが法的持ち主に戻されスコッターの遊び場は豪奢なアパートに取って代えられる。
今のMitte はラップトップ型パソコンにデザイナースーツのエリートの街だ。
壁の崩壊から10年が過ぎても古い習慣・東西という精神構造はなかなか死なない。西ベルリン子の多くがいまだに東の人間には横柄で経済を衰弱させ失業率を高めたのはお前らのせいと非難する。
想像力より機能性を優先させ、そもそもそこが突出した理由を無視する政府は、ベルリンのサブカルチャーの価値を事実として受け入れる試みの部局を作った。それでもベルリン子はシニカルなままだ。
アンダーグラウンドをメインストリームが飲み込んでも希望はある。創造活動の中心は街をクリーンアップする清掃車の一歩先を行き、容赦なく東へ東へと進む。
今は東部外れのFriedrichshain がそれだ。

▲参考資料:i-D sep.1999
●TAMA- 26 掲載、2000 SPRING