ラジカルラップ

「オレはブラックだ、それに誇りを持ってるぜ」と声高々に言って以来、世代はすっかり眠りについている。パブリックエナミーはこれを変えたい。ブラックナショナリスト(白人から分離して黒人の自治による社会の建設を訴える戦闘的集団)の雄弁術をヒップホップの自覚のなかで紹介することでラジカルなラップは孤立した語彙や戦闘用の銃から離れ黒人の政治とおおっぴらに腕を組む。
1980年代初め、ニューヨークの黒人とヒスパニックの若者のあいだに生まれたニューカルチャー、ヒップホップはグラフィティアートやブレイクダンスと一体となって猛威を振るった。アフリカ・バンバーターはニューヨークのギャング戦争をブレイクダンス抗争に変え、ズールー国家の誕生を宣言したときヒップホップに伝統という感覚を与えた。
自慢話のしゃべくりラップが主流のなかで1982年のグランドマスター・フラッシュ・アンド・ザ・フューリアス・ファイヴの<ザ・メッセージ>は都市の黒人生活の惨状を描いて花火のような閃光を発する。彼らはその社会的メッセージのなかで「もう後がないぞ」と警告をしている。
ラップは黒人のなかでも下層階級の人々が暮らす地域で生まれたストリートミュージックだ。彼らの会話の延長であり、現在の黒人の若者の日常生活を鮮明に表現してきた。それは彼らにとっての情報源であり、「ラップはオレたちのCNN (ニュース局)」みたいなものだった。
またゲットーに暮らす黒人少年にはプロスポーツ選手とこのラッパーだけが希望の星でもある。

AGITATE ! EDUCATE ! ORGANISE !
扇動しろ!教育しろ!組織となって結束しろ!
ラジカルラッパーNO.1 パブリックエナミー 彼らのことを無視することはできない。君がどこに位置しようと君がどんな信条の音楽に固執しようとそんなことにはお構いなしにパブリックエナミーは反応を要求した。そして彼らはたちまちのうちにみんなを挑発すると25万枚のアルバムを売り上げた。
80年代の最も革新的なラッパーを代表する代弁者、チャックD はまるで意見のデータバンクで彼との会話には足下をすくう鉄条網といつでも吹き飛ばす準備が整ったヒューズでいっぱいだ。
彼はロングアイランドの大学でデザインとコミュニケーションを学んだ。彼らの行動のどんな起動力も「白人と黒人の無知と闘うこと。そして黒人の自覚を高めること」に根ざしている。 彼らはロングアイランドのラジオショーを支配する。「オレたちはレコードをかけるってだけでなく、消滅したプライドや気づくべきだと思うことをレコードで伝え、できる限りたくさんの確実性をそこから搾り出そうと試みた」
彼らはラップの最初の理論家であり、過去と「眠りについてしまった世代を目覚めさせること」を接触させようとしていた。
「最近びっくりさせられたことの一つはたくさんの子供の強くなった自覚のことだ。子供たちは自分たちの文化を見つけだし、ゴールドの鎖を持つよりゴールドのハートを持つほうがずっといいことに気づいている。黒人であることのプライドも存在するんだ」
みんながつかんだリアクション、そういう政治的な自覚はマルコムX の時代からいつもハーレムの空を舞っている。これは大変なこと!だと思うだろ。
▲TAMA-2 掲載、1990