帰ってきたブラジル人、トム・ゼー
RICK SANFORD

僕らは生きてるあいだにアートの重大事件に立ち会ってそれを発見する。
大量のクズのすぐ下に何年も葬られたまま道に迷ってる傑作を見つけだすと僕らはそれとわかるほど陽気に浮かれ騒ぐ。
音楽でも同じこと。ブライアン・ウイルソンの「SMILE 」セッションから作ったマスターテープを誰かさんが世に紹介するため発売した。そいつはワールドシリーズの優勝チームや湾岸戦争の帰還兵の「ヒーロー」に広く運命づけられた祝賀とやらに匹敵することだと僕は思いたい。
「SMILE 」の場合にはありそうもないと同時に海賊盤にもかかわらず別の意味ではありうる可能性だってあった。新しいBUGGLES のレコードを聞く愉しみとか、新しいCAPTAIN BEEFHEAT 、新しいX- RAY SPEX のCD なんかのことを考慮に入れてみてよ。新たに稼ぎ出す金を前提にして華々しくパレードする古いヒット曲を束にした「同窓会ツアー」とはわけが違うよ。忘れられてても新曲も同然の曲、少なくともこれまでに聞いたこともないニュー・オールドソング。
古いと言ったって最近のメジャーレーベルから発売される大半のくだらない代物ではとうてい到達できないところまで君を連れていってくれる。

僕にとってトム・ゼーはルネ・マグリットかエリック・サティみたいなもの。彼の価値は音楽のイマジネーションのなかにたくさんあるのと同様その不遜なまでの誠実さのなかに横たわる。多数の道具を独演する彼のアルバムを僕ならいつだって喜んで買うね。 トム・ゼー経由、アート・リンゼイ経由そしてデイヴィッド・バーン経由で発表する聞くに値するトム・ゼーの別の貴重なコレクションが「BRAZIL 5 - THE RETURN OF TOM ZE: THE HIPS OF TRADITION 」だ。僕のポルトガル語の理解力がイルカやことによると火星人の言葉よりちょっとマシな程度だったとしても、このレコードを愛するのに僕の第二言語、音楽の理解力で十分間に合う。
新しいもの違ったものを見つけるのに夢中になるのは若い頃の話。年を取るにつれ満足するものを躍起になって求めるようになる。おまけに大事にされる君の必需品となるものを提供するだけの能力あるアーティストばかりか、それの製作・販売の便宜を図るビジネスタイプの人間までが尊敬されるようになる。
トム・ゼーのレコードを僕にもたらしてくれたデイヴィッド・バーンと彼のレーベルLUAKA BOP は数え切れないほどの感謝に値する。
彼のアドヴァイスに従い、「さあ、このレコードを買おう、とても辛抱強いアルバムなんだよ。穏やかなレヴォルーション、そのどれもが君にリラックスと上機嫌と満足を授けてくれる」

▲アート・リンゼイが通訳で参加するサンパウロの自宅を結ぶ電話インタビューでトム・ゼーは「新作アルバムはティファニーのグラスとアレクサンダー・カルダーのモビールの影響を受けてる」と語った。批評家とミュージシャンから大いに注目されてるとはいえ、ブラジルの音楽産業に彼のスペースはない。彼の話だと実験的なアルバム「TODOS OS OLHOS (ALL THE EYES )をレコードにした1973年に業界から締め出される。長いあいだ音楽を聴くのを拒むほどその経験が彼を憤慨させた。しかし1988年後半、リオデジャネイロを訪れたデイヴィッド・バーンが1976年のアルバム「ESTUDANDO O SAMBA (STUDYING THE SUMBA )を買って音楽以外のこと、科学・歴史・文学に興味を持つようになっていたトム・ゼーに連絡を取った。そうして彼はついにバーンのレーベルのためにレコーディングを開始したというわけだ。(NEW YORK TIMES jan.1993 )
●RICK SANFORD はニューヨーク在住のコンポーザーでありコンピュータ・コンサルタント。やや過激でぶっきらぼうな自作のCD も自分で出している。
●TAMA- 12 掲載、1993年CHILL