地下街の人びと
ニューヨークにまつわる話のなかでも最もエキゾティックで不可解なのが地下鉄トンネル内に無断居住する例のメトロポリタン神話を構成する人びとかもしれない。
日本でも話題になった1993年の本「モグラびと:The Mole People」の中でジャーナリスト、ジェニファー・トスは暗殺者あるいは連続殺人犯と名乗る地下住人らにインタヴューしてセンセーショナル、いや、かなりダンテ風の彼女あこがれのルポルタージュをまとめ上げる。
トンネルはますますもって恐ろしい地獄の環状線として描かれ本は90年代を通して新聞の日曜版とTV のニュースショーでその変人の巣窟と隠れた脅威が論じられるほど影響力を持つようになる。
作り話や神話、CBS ニュースが紹介した頭文字「CHUD(ヒトそっくりの人食い地下住人)」のホラー&ほら話はともかく、この人びとは確かに存在した。
多くが今はねぐらから立ち退きを余儀なくされているがイギリス人監督マルク・シンガーの壁のないドキュメンタリー作品{Dark Days } にその姿をとどめる。
地下街の人びとの最後の日々を記録する映画は、瓦礫が散乱し一条の陽の光に祝福される天井の高いカテドラルほどの広さのひとつのトンネル内で2年以上かけて撮影された。トンネル・ホームレスという対象にもかかわらず映画はおもしろいし美しい。
トンネルの黒と太陽や電灯の光輪とのコントラストがレンブラント風の純然たるモノクロ撮影で、DJ シャドーによるサントラがもの悲しい都会の鎮魂歌を作り上げる。
予想される映画祭(サンダンスの三部門で受賞する)での称賛以上に、この痛ましくてリアルな力強い作品が並はずれているのはそれが作られるいきさつにあった。マルク・シンガーはこれまで映画の仕事をしたことが全くなかった、そして映画が儲かったらホームレス全員にもっとましな家が調達できる、友達も金もなく自分で逃げ出す方法もない彼らをなんとか助けたい、それが目的で映画の主題である地下街のホームレスが出資もすればクルーにもなった。
自分のことを「普通の人」と形容するマルクはロンドン育ちの25歳、5年前に喧嘩といつも同じなじみのパブでなじみの顔に会うレイヴ・シーンを逃れるためイギリスを離れた。
しばらくは売れっ子モデルとしてニューヨークで働いたが彼には満たされない渇望があった。あるいは青年特有の冒険と危険へのあこがれか、そうして新しい街のホームレスに魅せられるようになる。
彼はトンネル人間のことを耳にすると最初はガイド(ヘロイン愛用者のホームレス)に連れられて、次からは一人で線路に飛び降りて闇の中に電車を追いかける。
「まったく愉快でわくわくしたよ」
ニューヨークのトンネル住人に関する一般的データからすればそれは向こう見ずな自殺行為にも思える。「ストリートで暮らす連中に話すと必ず、行くんじゃない下じゃ人を食ってると言われた。でも出くわす人間は大部分がただ雨を避けようとしてるとかしばらく野営してるだけなんだ。単に上より楽だから下にいる(ストリートではホームレスは死ぬほど殴られたり蹴られたり罵声を浴びる。そのせいですごい形相になるとよけいに人目につきやすく身体を休めるとか心を落ち着かせる場所がない。下では誰にも邪魔されずよく眠れる)。でも一度人間らしさの端くれを見つけると、どうしてだか随所にそれがあることに気づき出す」
怖がる(あるいは食われる)代わりにマルクはトンネル人間との接触で謙虚な気持ちになる。とりわけ彼が撮影した特大の洞窟の住人で、25年も住み続け住人のためにバラックを建て天井の送電線から電流をつなぐ人びとだ。「ほんとにすごくて尊敬したよ。彼らには電気のソケットがありTV、VCR、調理機器、ラルフ(映画のクルーであり主題の一人)にはバケツの水で満杯にした洗濯機があった。そこでの暮らしは快適だったよ。ぼくがこの情況にいたら同じようにできたかどうか自信がないな」
今のニューヨークで単身の男性ホームレスが生き残るのは奇跡だ。彼らは福祉支給の範囲外で低賃金労働があってもなくても賃貸できないか賃貸を続けられない。かつて難民に用意した多くの無断居住者用キャンプを力ずくで解体してホームレスを悪霊のようにしているジュリアーニ市長の寛容ゼロ計画により彼らが援助されることはまずない。
NYで最も頼りになる機関ホームレス連合NCH は冷酷で見込みのない時代と感じている。「ジュリアーニは法的措置をとりホームレス状態の処理に取りかかる手段を講じている。彼はホームレスは住宅問題でなく倫理問題だと見なす。彼の態度はこうだ、なんか罪を犯したに違いない、そうでなければホームレスになどなるものか。それにもしニューヨークで明らかに貧しいとしたら法律違反を犯してることになる。歩行者の往来を邪魔する罪、公園のベンチで眠るのは公園財産の誤った使用、警察は暴力・ドラッグなしのありふれた罪で召喚宣告するよう命令されている」(NCH
のマイケル・ポレンバーグ)
全所帯主の4分の1が貧困か否かを区別する最低収入を下回る生活をするニューヨークでは毎夜、子連れの6千家族を含む2万5千のホームレスが暴力やドラッグにおびえる局地的なシェルター組織網で過ごしている。
最初トンネル住人はマルクのことを異常だと思った。UKから来た二十歳の白人坊やがネズミの糞とがらくた、ドラッグ常用者がうようよするトンネル内を歩き回って映画を、それも彼らのことを公にする映画を作るつもりだとみんなに告げる。
「でもばかな子供と見なされたからうまくいったんじゃないと思うよ。ぼくが知りたくて知りたくてうずうずしてたからだ。すっごくホームレスになってみたかった、彼らがどんな経験をしてるのか、ホームレスでいるのはどんな気持ちか知りたかった」
マンハッタンのマルクの同居人が後援する10万ドルと創意工夫に富むトンネル・ホームレス数人の同意で映画はスタートする。映画の対象=クルーたちは古いショッピングワゴンからなめらかな移動撮影を可能にするドリーを作り、電線ケーブルから電気を盗み、試行錯誤を繰り返しひどい癇癪や要求を御しながら映画作りを独学する。「ぼくがひどくしくじってたから誰がしくじっても問題じゃなかった。でもこれがみんなの自信につながった。ほこりをかぶった地下鉄から水面に出てきて一緒にドキュメンタリーを見たんだ。ぼくらはたき火を囲んで座りマリファナタバコを吸いながらボブ・マーリーにでもなった気で映画の成り行きを夢見た。格別だったよ。人生でかまいたくなる大切なものだ」
「叶えられることもあるんだから望みを大切にしろ」が口癖のマルクは年齢より老けて見える。撮影がはかどるにつれフィルムと機材にかかる費用で彼は無一文になった。結局、トンネル内の他人のバラック、映画の対象である人びとの隣で眠り、彼らと同じように時には直接ゴミ入れから食べた。そうこうするうち地下鉄当局によるトンネル住人追い立て計画があり情況が急変する。ここでやはりホームレスを仕事の対象とするもうひとりのドキュメンタリー・アーティスト、マーガレット・モートンが加わる。
彼女はマルクより早い1991年以来同じトンネルで仕事をしてきた。最近、人道的なインタヴューと写真の本{Tunnel }を完成させた彼女は州当局が考案した地下鉄ホームレス250人を対象とした5年間有効の住宅供給支援策ヴァウチャープログラムに気づく。おまけに「ホームレスに対処することで給料をもらってるソーシャルワーカーが仕事の一部と思わずに危険だからとトンネル内に降りて行こうとしない」せいで割り当てられたヴァウチャーはたったの2人で残りは机の上に眠ってることにも気づいた。
マルクとマーガレットは共にカメラを置き、10ヶ月間NCHに協力してプログラム申請に不可欠な永久放棄にも等しい出生証明書と国民保険制度の報告書を揃えるという重労働に徹した。成果は26人。
「13年トンネル内で暮らしバケツに糞をしてきた人間が自分のアパートに入っていく様子を見るのは我が人生最高の感慨だった」
映画{Dark Days }のラストシーンはキラキラと輝く壁と太陽がしみこむ窓を背景にした友人たちの姿だ。皮肉にもマルク自身は元トンネル住人のアパートも含め友人のアパートをねぐらにする未編集フィルムの缶を抱えニューヨーク中を移動するホームレスだった。
「彼らは申し分のない連中だよ。食料スタンプを売ってフィルム代にしてくれたし、ぼくは飢えずにこれた」
スタートから5年、ついにマルクはやりたいように編集できる後援者を見つける。 マルクのポスト・トンネル暮らしの友人らの近況はと言えば、魚釣りのボートで一財産稼ぐ、あるいはホテルの調理場で監督するなどの活躍ぶりだ。
全員が出ていって久しいトンネルを今も訪れてマルクは闇と静けさの中をぶらつく。映画監督がそこを去る最後の一人になった。
「ベッドというより床で寝た。枕を使いだしたのはつい最近だ。妙だよ、地下に降りるとそこがささやかな自分の世界になって慣れる。暗闇に慣れ、ネズミに慣れ、居心地いいと感じ出すんだから」
●参考資料:i-D sep.1999 モグラびと:集英社 Dark Days:www.darkdays.com. The Tunnel by
M. Morton :Yale University Press
●TAMA- 26 掲載、2000 SPRING
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