Two Heads Talking▼ 1996年5月31日、ウエブサイト上で読めるその日のメディカルリポート「脈拍0血圧0/0それでも気分は上々」を最後にこの世を去ったティモシー・リアリとデイヴィッド・バーンが91年頃、こんな会話を交わしていた。
TIMOTHY LEARY(TL):君が 若い頃アーティストか科学者になりたかったと言ってたのにはそそられたね。君はどちらもそれを上回る大きな力によって操られていると言ってたが、それはどういうこと?
DAVID BYRNE(DB): 学生の頃の僕は科学者は立派な職業だと吹き込まれて、実際すばらしいアイディアとすごい発明の才能だと思っていた。アートも同じように創造とびっくりするような着想や探究の範疇にあるように思えた。後になってそれがなんであれ、ありとあらゆる類の力関係(芸術政策とか政府や経済の駆け引きとか)によって操作されてることに気づいて幻滅したんだ。
TL:私も同意見だ。5年間刑務所に入り71年も生きるとひどくものごとを皮肉に見るようになるが、支配欲と権力欲を横柄に見せびらかすMIT(マサチューセッツ工科大学)の教授マーヴィン・ミンスキーのような歯切れのいいエンジニアで哲学者に実際に向き合うとショックを受けるものだよ。彼らが白状するゴールとは人間をロボットにおとしめることでね。機械は効率がいいからね。幻滅したというのはこういうことかい?
DB:ある意味では。それにその種の実験や研究が伸び伸びしたものではなかったってこと。ある意味で管理されていたし、望ましい結果を示したいという人間の願望に巧妙に動かされていた。
TL:まったくその通り、疑問の余地なしだ。客観的事実というニュートンの概念を支持する一方で、量子力学、量子物理学はキャストが変わり修正がほどこされる映画だ、線状態ではなく集合状態のね。何も学ばずに、状況を設定してそれを記録するんだよ。
DB:そしてパターンに従う。人は今それを受け入れているけどあなたが言うように言葉や考えの根づき方、ものごとの対処の仕方がすべて数量化に基づくようになり、すべてが機械作用のものになってしまう。
TL:アートでいいのは範囲を拡張して新境地を切り開き未来を創造するのがアーティストという人間文化の進化にあることだ。
DB:アーティストは常に未来の前兆を示す人。彼らには時代に先立って起きるビッグムーヴメントがいつもわかる。
TL:今の科学者はたいてい厳格なニュートン説の信奉者だ。MITのエンジニアはアインシュタインや相対論や量子心理学を実践しない。彼らは世界一ごまかしのうまい種族なんだよ。
TL:もちろん私のように君が理想主義的だった当時には異端分子を厳しく取り締まる宗教裁判に直面して負けるガリレオのように、火あぶりになるブルーノのように、科学者たちがどんなに費用をかけても真実を追究するのが高度な力だと思っていたはずだ。Bullshit
たわごとだよ。私もそれを体験した。連中はアメリカを動かして破滅させる軍産複合体(軍部+軍需産業)の手先なんだ。
DB:でもアーティストにそんな人がいたとしてもきわめて稀な存在だと思う。自分でもわかっていないようなことに首を突っ込むのは別にして。
TL:そして助成金や制度上の力を得るのに政府や大学の力関係にひどく縛られる。
DB:ただ絵を描いてるとか自分で創作してる人でない限り、それは多くのアーティストにも言えることだ。人の手もお金も必要とするデカイことをしたいと思うと助成金や制度上の力に縛られて、ありとあらゆる煩雑で形式ばった手続きを経なければならないもの。
TL:ところで最近は何をしているの?
DB:このレコード(*92年発売{UH-OH}だと思う) を完成させたよ。僕がトーキングヘッズでやった曲やこれまで作ってきた全部を超えるものになってると思う、いわゆる有機的とでもいった状態にひとまとめにしたものを一枚のレコードに入れたんだ。
TL:すばらしいレコードだよ。これにはトーキングヘッズの元気のよさとクールさ、新鮮さが全部ある。それにラテンビートだ。
TL:私はレクチャーでいつも君のことに触れるんだ。君がエレクトロニクスを通じて和解するインターナショナル・グローバルという21世紀のコンセプトを象徴するからなんだ。でもどうしてそういうことに興味を持ったの?
DB:異なった文化と一緒にやるってこと?
TL:君はブラジルや世界のビートのアルバムをプロデュースするよね。中国の音楽(映画{ラストエンペラー}のサントラ)ではアカデミー賞を取り、アルバム{フォレスト}ではシンフォニーを組み立てる。
DB:外観は世界中にばらまかれているTV・映画・レコードでのポスト第二次世界大戦のようなものでほとんどどこの国のどんなものにも即アクセスできるがそれは文脈が一定していない(誤解しやすいってこと)。そしてインド・南米・ロシアといった別世界の住人がなんであれ僕たちがやってることにアクセスしている。そして必要なものは取り出せて残りは捨てられる。それで考えを巡らせることもできるし、誤った解釈もできれば再解釈だってできる。そして僕たちは同じことを自由にやっている。異なった場所にいる人とのいつも直接的コミュニケーションではないとはいえ、もし最後までやろうとするなら直接的コミュニケーションにもなりうる、こんな種類のコミュニケーションがあるということ、それがこの世紀末のユニークな点だということが僕たちの所属する時代の一部ってことらしい。
TL:特に若い日本人。東京の若者向け雑誌はすごいね。あらゆることをピックアップしてる。この日本の雑誌に比べるとローリングストーン誌は小さな村の発行物のようだよ。
TL:ブラジルでは君はどう見られてるの?
DB:一部で知られるミュージシャンってとこかな。ブラジル人のやってることに好意があって美的価値に理解があることに気付く人も多くはないがいるよ。そして時にそれが一種の困惑になる、僕の好きな音楽がいつも批評家連中が好きな音楽ではないからだ。たとえば僕の小さなレーベルLuaka
Bopで出してる北東部出身のミュージシャンがそう、サンバの曲だって中産階級、上流階級、知識人なんかは下層階級の音楽とみなすんだ。アメリカでカントリー&ウエスタンやラップなんかを聞くのに近い。そしてニューヨーク出身の洗練された男がファインアート音楽の代わりにこの下層階級の音楽が好きという引用文を見つけて驚く。でも、彼らに独自の文化を振り返らせて以前無視してたものを正しく認識させるという変な効果が時にはある。ビートルズ、ローリングストーンズ、エリック・クラプトンなんかが大勢のアメリカの若者をマディ・ウォーターズやハウリング・ウルフといったミュージシャンに注目させたのに近いことだと思う。
TL:ヨーロッパ人もジャズでそんな役割を果たしたね。
DB:その通り。ここで演奏する場所を見つけられないたくさんのジャズミュージシャンがヨーロッパでギグをやったり演奏したりして生計を立てていた。
TL:ロックンロールの60年代はジャズミュージシャンにはそれはきつい時代だった。私は不本意ながら亡命者となってヨーロッパで自発的にたくさんの時間を過ごした。ここよりずっと高く評価されてギグができるジャズミュージシャンで溢れていたよ。
TL:どんな音楽を聞いてるの?気に入ってるミュージシャンは?
DB:パブリックエナミーを聞いてこれはすごいってびっくりしたのを覚えてるよ。現実と哲学がたっぷり満載された密度の濃い大学って感じで。それに最近のニール・ヤング。僕のレーベルから出してるブラジルやキューバのミュージシャンのレコード、日本のグループのも聞くよ。
TL:そのレーベルLuaka Bop について教えてよ。
DB:数年前に重要なブラジルのアーティストの歌を寄せ集めて編集したんだ、その後でこれを進めていくのもいいなって思って始めた。それを統括するものがあれば人がレーベルを見るようになって、それが何かわかって聞いてみようってことになる。そういう意味でレーベルは役に立つ。そうやってだんだんと手を広げていった。将来はインド映画のサントラや沖縄のポップグループ、歌詞が英語というのはわずかしかないんだけど英語で歌うイギリス出身の二人組のアルバムをリリースするつもりなんだ。
TL:そのあまりのグローバリゼーションにマーシャル・マクルーハンはさぞかし喜んでることだろうね。で、君のシンフォニー{フォレスト}についてはどうなの?
DB:本来あれはロバート・ウイルソンの芝居のために作ったものだったんだ。実現しなかったけど、同じ話(シュメール伝説)をひとつは彼の解釈で舞台で演じ、もうひとつは僕の解釈で映画にして同じ都市で同時にそれを発表したかった。内容はヨーロッパにおける産業革命の新解釈、都市が驚異的な速さで膨れ上がる産業革命当時に持ち上がった問題は不思議にも今日浮上する問題と同じ文明化vs
自然を持ち出す。遠い昔のお話なのにまるで今のことじゃないかとの共鳴がある。
TL:話は知ってる。でも私が印象的だったのは君の音だよ。それにはいつものドーンと豊かなアフリカのビートがある。
DB:今ではそれは外国のものなんかじゃなくてある程度は僕たちの文化だ。僕たちはアフリカ文化漬けになってる。ある意味では力づくでここに連れてこられたアフリカが音楽・感性・リズムで僕たちを植民地化している。彼らは迫害者を植民地化してるんだよ。
TL:南の文化を探りながら砂糖、コーヒー、バナナにつかみかかる私たちと、南の野菜についての論説を書いたが、産業人間はそこに行き工場を建て、音楽と食べ物、精神に影響を及ぼす野菜にカウンター(逆)植民地化される。インドのイギリス人がそうだった。
DB:それは微妙に人の考え方を変えていくよね。考えられる可能性、感じられる可能性を変える。そしていつも最初はその変化に気付かない。
TL:それで、2つのパフォーマンスの計画はどうなったの?
DB:映画はコストがかかりすぎるってことでぽしゃったけどウイルソンの芝居は実現した。で、音楽は僕のを使ったんだ。
TL:どこでやったの?
DB:ベルリンとニューヨーク。でも音楽はライブじゃない、テープを使った。それを編集し直して潰して作ったのが僕が発表したアルバム{フォレスト}なんだよ。
TL:このあいだ君のヴィデオ{イレアイエ}を見てたんだ。
DB:あれはブラジル北東部の海岸サルヴァドールの町バイアで撮影したカンドンブリと呼ばれるアフリカ系ブラジル人の宗教。イレアイエはアフリカ言語で大まかに訳すと生命の家とか僕たちが生きる領域ってこと。別の次元があるとしてそっちじゃなくてこっちの次元。その宗教のメイン部分は奴隷時代からここに存在して何年にも渡り変化を繰り返し今ではたくさんのアフリカの要素を含むアフリカ系ブラジル人の宗教にまで発展する。たくさんの太鼓を打ちならす儀式では人々がトランス状態になることもあり、ものや生け贄を捧げる祭壇が造られる。我を忘れる宗教、気持ちが良くて大部分が楽しい体験なんだ。
TL:いつだろうがどこだろうがあんなに威厳に溢れ幸せそうに見える人間は見たことがない。90分間ずっとスクリーンを堂々とした女王にふさわしい年配の女性が占める。
DB:うん、ドラムが鳴ってダンスが始まるとまるでわくわくさせるロックか R&B のショーみたい。同じ気分になるんだ。
TL:宗教はどうあるべきかってことだね。それが私たちが宗教に求めるエッセンス。楽しいばかりじゃない。そこに到るには苦しくもありスフィンクスのような忘我状態もある。
DB:宗教が扱うのは自然の力を認知することと敬意を表すること。宗教は僕には幸福感と落ち込みの両方ではあるけれど。
TL:死ぬ運命の人間と自然という至上の力のあいだの仲介役として神々を呼ぶのがああいう儀式の目的だと君は言っているが、どういうことか教えて?
DB:霊気が申し分のない状態だと神を手に入れられる。古代ギリシャやローマのように、神がいるというパンテオン(神殿)があってそこでは神と会話もできればダンスもできる。つまり神とは遠い天国にいて手が届かない実体のない存在などではなく、あなたの部屋に降りてきてダンスもできれば直接神に質問もできる。
TL:ギリシャの神々ですごいのは人間の資質を備えてる点だね。
DB:セクシーだったり嫉妬したり、うぬぼれが強かったり、愛らしかったりと人間のあらゆる属性を持っている。
TL:ブードゥーについて書いているウイリアム・ギブソンの本には人間のことを「神が降りてきて乗る馬」だと語るブードゥー人間がたくさん出てくる。
DB:馬はハイチ人のメタファーだ、同じ考え方だよね。
TL:癒し手(治療を施す人)、戦士、母といった典型的キャラクターや自然力が基本的な人間の立場、役割だ。
TL:君のヴィデオではどんな神や女神が呼び出されているか英語の字幕を付けてくれているのでわかるようになっている。撮影量は相当なものだったんだろうね。
DB:うん、ほんの一部を見せるのが映画の仕掛け。
TL:とても効果的だった。それで小さな画面、フィルムの一部を切り取ったスクリーンクリップを使いたかったんだね。
DB:あれは別の時間から同時に存在するものを見せる手法。たとえば捧げものを見たとするよね、僕たちはスクリーンの端にその籠の中味を見せることができる。あるいはあなたが見てるものを別の何かに切り替えることで説明するまでもなく直感的にそのつながりを理解させることができる。音楽でも同じことが言える。見逃すこともあるから全部が全部ではないにしろ、感じはつかめるよね。とにかくそれが僕の意図するところ。
TL:君の友達 Joseph Kasuitt がまとめた本のなかの自叙伝体の言及で君は「人種差別から徐々に浮かび上がる」と言ってるが、これについてコメントしたいことは?
DB:僕は「人種差別者ではない、リベラルな人間で自由思想の持ち主だ」と明言した後で「過去を見ていない」「自分では気付いていない」というリアクションが僕のなかにあるのを認めることにしたんだ。僕は必ずしも親のせいばかりとは言えない、多分、社会やシステム、TVによって仕組まれた人種差別で躾られた。そしてそれを追い払うのには大変な努力が必要なんだ。みんなが平等で幸せになんてとても言えない。条件づけはとても威力があってずっとそれで進むしかない。
TL:それは目に見えない。人種差別は私たちが泳ぐ水だね。
DB:沈まないでいるには水を踏みつけにしなくちゃならない。上に浮かび上がるには流れに逆らわなくちゃならない。つまり、なんとか対処しようとしてることは認めても一夜にしてなるものではないってこと。自分に宣言できることではないし、突如として清廉潔白とはいかないんだ。
TL:君のコメントが国(レーガン〜ブッシュ政権当時)の政策がすっかり人種差別者の時代に出てきたのは興味深いね。共和党は今全力を挙げて白人中産階級党だ。ウイリー・ホートンの広告やトーマス(セクハラ疑惑をかわしレーガンによって最高裁判事に任命された)の指名などはすべてアパルトヘイトにまっしぐらだ。連中がそれを否定するのはもはや至難の業だね。みずから人種差別を高らかに布告してるんだからね。これについてはどう説明する?アメリカはどうしてこんなことになってしまったのか?
DB:レーガンが深く係わってると思う。
TL:彼は圧勝で選ばれた。彼が押してたボタンは何だろう?人種差別のボタンだ。KKKの仲間デューク、ルイジアナの住人の55%の白人がデュークに投票した。これもまた圧勝。白人は彼を選ぼうとした。
DB:でも選ばれなかった。同時に彼を選ぶような恐ろしい連中がたくさんいるということで緊張感が高まった。皮肉だけど僕は歓迎するよ。物事を対立させることで物事の現実の姿を見せる。ということで、こんなに愛想のいい穏やかな顔にはならないんだ。
DB:このドキュメンタリー作品{Herdsmen to the Sun} でヘルツォークはアフリカの部族の男の子が成人するところを撮影している。男の子たちは僕たちが女装と呼ぶようなやり方で自分を飾って女の子と名誉のために競い合う。自前ブランドのアイメイクやリップスティックで彼らはポーズをとってめかし込む。それは美の儀式とでも呼べそうな成人の儀式で、男とはこうあるべきと硬く考える僕たちをとても困惑させるものだ。
TL:君の人生には南・北という線引きが重要だったよね。南・北は基本的には発生学(起源)の問題だ。
DB:持つものと持たざるものという.....
TL:でも君が言うところの最も聡明で思慮深い北の住人は黒人たちが今も忘れていないものを失うことで私たちが高い代償を支払うのを理解する。君のヴィデオは人生の豊さ、自然と動物、神とのふれあい・うち解けた交わりをうまくつかんでいる。
DB:あれはどれも本当のところを理解するのに必要だった。彼らだってヴィデオが大好きだし、カセット付きのクルマが大好きだってことだよ。どこかにバランスがある。
TL:私は産業時代をひとつの段階として見ているんだよ、人類の進化の中のとても俗物的で不道徳で厄介な段階とね。煤けた工場を持たなければならなかったしそれを乗り越えて成熟する必要があった。君のシンフォニー{フォレスト}に関するコメントに私はとても動かされた。それがすべてを駄目にしたにせよ、君は工場文明の威厳とロマンスに気付こうと努力してただろ。
DB:僕の教育と本能的リアクションではこんなものはひどくいやったらしくてむかつくだった。これが僕たちがいるこの混乱を作りだしたんだ。でも自分を敵と同一視するサムライのように、なんとかして敵に一体感を持てなければこの混乱から抜け出る方法を絶対に見つけられない。
TL:オーケー、話題を変えよう。いつ次の映画を作るつもりなの?{トゥルー・ストーリー}第二弾とかは?
DB:人に聞かせるストーリーならあるよ。
TL:そこがあの映画のすごい功績だったね。とても独創的で一風変わった映画だった。最初のハイウエイのシーン覚えてるよ、ここでも君のパフォーマンスは本物だった。あの映画で君のファンは増えただろ。
DB:事実とフィクションを混ぜるのは愉快だ。
TL:ヴァーチャル・リアリティの体験は?
DB:ない。
TL:でも聞いて知ってはいるよね。私はそれにとっても熱中してる。アメリカの平均的世帯は無抵抗で週40〜50時間TV を見て過ごす。トークショーやゴールデンタイムの番組は大多数のアメリカ人にとり日々のリアルタイムの現実よりずーっとリアルなものなんだよ。
DB:僕も友人たちも多分レンタル・ヴィデオや他のヴィデオを見てなかったらTVの前に座りチャンネルをあちこち変えてザッピングしてるだろうな。なにか別のものに向かってジャンプ台から飛び降りるって感じで、どんな経験もせずに知覚を改める道具としてゴーグルはきっと素晴らしい道具なんだろうと思えるけど、僕は何もわからないで言ってる。
TL:映画ベルトリッチの{ラストエンペラー}にはどうやって関係したの?
DB:監督ベルトリッチがローマの劇場で{ストップ・メイキング・センス}のフィルムを見てノックアウトされたんだ。彼は映画とパフォーマンスが気に入ったが映画には観客が絡んでいた。観客は立ち上がってダンスしたりステージに飛び上がって一緒に歌ったりワーッと歓声を上げて騒いでいた。受け身ではない、映画に反応してる人々の姿を目撃した彼は僕のことを忘れなかった。で、何年かして彼が音楽やりたくないかと電話してきたんだ。僕は何かの最中で2〜3週間なら時間を割けると答えた。それで僕がちょっとやり坂本龍一がちょっとやって残りは規制の曲を使うことにした。でも結局はうまくいったし楽しかった。ベルトリッチには{ラスト・タンゴ・イン・パリ}というすごいサントラがある。
TL:君の功績を顧みるとき、ひとつ訊ねたいことがある。ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン出身者で何人くらいがアカデミー賞を取れるだろうか?
DB:ガス・ヴァン・サントはそのうちきっとアカデミーを受賞するよ。
TL:もし科学者になってたらどんな類の科学者になっていた?
DB:思索できて遊び回れて創造できる自然科学。アーティストになるのと同等のように思える。
TL:自然もまた基本的には遊び好きだね。
TL:アメリカを擁護しようにも私はアメリカ人ではないし、もっとアメリカ政府の力を失わせ、混乱させ狂わせ破壊させて、それを分散化させようと思って絶えずやってきてるわけだからね、でもアメリカは新しい考えを育むには適した場所だし、ある意味で私たちは刺激過多でへとへとになっている。
DB:今の僕たちは新しい考えが時には他からやってきてそれを僕たちが受け入れて利用できるという事実に慣れてきている、他から入ってきたものが役立つんだ。
TL:アメリカはどうなると思う?
DB:正直言ってアメリカはプライドやエゴを失うという不愉快な段階を経験することになると思う。なぜなら国が倹約してプライドやエゴの規模を切り詰めようとしてるから。それはいいことかもしれない。想像上の領域にあるものより僕たちの本当の強さがあるところ僕たちの遺産があるところ本当の創造力があるところに人の目を向けさせて気付かせることができる。
▼RUシリアスが主宰&編集するサイバーパンク雑誌 MONDO2000が仲介役 ●テキストはオンライン上からの抜粋で正確な日付は不明。
Timothy Leary