ВЫСОЦКИЙ:
ウラジミール・ヴィソツキーは1964年に鬼才リヴューモフの元でタガンガ劇場の創設に加わり、その風貌と声が認められて人気を得る一方、演劇を取り巻く知識人のあいだで歌った自作の詩が次第に人伝に知られるようになる。当時のソ連では人々が口に出しては言えないような矛盾や人間としての自由を求めるメッセージを歌い続けて政府の弾圧を受けた。またマスコミからも黙殺され続けるが、彼の歌は人から人へテープのダビングでソ連全土に広がり大衆の圧倒的な支持を得た。
何百曲にも及ぶ作品を残し不遇のまま42歳の若さで倒れるが、彼の葬式には口コミで大勢の人が押し寄せ、いまだに世界的な支持を得ている。 ローリングストーンズのキース・リチャードも彼に投げキスを送り、旧ソ連に行ったら必ず墓参りに行くと来日の際に語ったという。
旧ソ連でも政府が彼の価値を評価するようになり日本では知識人の必須アイテムだとか。
▲TAMA- 2 掲載、1990