SERGE GAINSBOURG :

「無精ひげ」がエスタブリッシュされた世界でスノッブなファッションとして認められるようになったのはビートニクスや60年代のハリウッド反抗精神がパラドクスとしての地位を確立したからだ。そしてそのひげとはニューヨーカーが意識するジャック・ニコルソン、アル・パチーノ、デ・ニーロ、そしてパリジャンが意識するセルジュ・ゲンズブールが表現する「無精ひげ」のことだ。

フランスを代表するバラエテ・スター、ゲンズブール(音楽家・映画監督・俳優・写真家・作家)は50歳を過ぎてパリではポップスターと呼ばれ、前妻ジェーン・バーキンとのTV のインタヴュー番組で相手を困らせる相変わらずの不良ぶりを披露する。TV の生番組中に高い税システムに抗議して500フラン札を燃やしたこともあったが飢餓に苦しむエチオピア難民に10万フラン送ったりエイズ基金にはいちはやく反応した。
「レゲエが好きになったのはシド・ヴィシャスが死んだときから.....ロックンロールはもう十分すぎる」と言って1979年にはジャマイカで1981年にはバハマのナッソーでスライ・ダンバーとロビー・シェイクスピアそれにリタ・マーリーやジュディ・モワットのいるアイ・スリーズを引き連れレゲエアルバムをものにしてしまう。(79年のアルバムは50万枚という驚異的セールスを記録した)
最近のコンサートではブロンクスなまりの黒人を真似て観客を挑発したりとシニカルでスマート、えげつない表情で人を食うアティテュードはシド・ヴィシャスも永遠に追いつけない年季のいったパンクぶりだ。
エゴイストを自認するパリジャンの憧れる最高にかっこいい「アンチヒーロー」像だったゲンズブールは今年3月3日、酒、タバコ(ジターン)、メイクラヴと続き彼が6番目に大切にしていた「死を待つ」ことをやり遂げてしまった!
ガーシュイン、コール・ポーターそれにタンゴを聴いてガーシュインに魅せられてバッハをかじったりもした。 ジュリエッタ・グレコは彼の美しさ、はにかみ、傲慢さに魅せられたと語る。
イエイエ族と呼ばれた若者のために書いたシャンソン「夢見るシャンソン人形」は彼いわく攻撃的な歌で、前衛の先駆者ということになる。
ブリジット・バルドーとの恋と失恋、さまざまな困難があったから敏感になり「卑猥の仮面」をかぶったらはずせなくなったというゲンズブールは常に危険な生き方を選び、ダンディズムを表現した。

「俺がゲンズブール.....クールでいてあけっぴろげ、みものだぜ。はりつけのゲンズブール.....ジーンズをはいて3日剃らないひげの男。いつもタバコをふかす、変な男.....この人を見ろ」(「痩せて蒼い顔の男:エチェ・オーモ」より)

●TAMA- 5 掲載、1991年