HUSSEIN CHALAYAN :

注目の多くの才能を育てる温室、セント・マーティンズ美術学校卒業後4年でキプロス生まれのファッションデザイナー、フセイン・チャラヤンは財政的にはまだにせよ創造的には国際的成功をものにする。 ロンドン・ファッション・ウイークが素っ裸のモデルがショスタコヴィッチの厳粛な音に合わせて葬式のペースで歩くショー「Between 」でこの気取りのないデザイナーを「天才」と広く世に示した。 とはいえ彼はいつも大衆から突出していた。彼のショー「The Tangent Flows 」は家の裏庭に埋められた朽ちたドレスとビヨークに愛される紙でできた夜会服用のガウンで構成されていた。知性に訴えかけるチャラヤンのテーマは趣旨は複雑でも決して凝りすぎではない静粛な創作から成し遂げられる。
そもそも彼がなりたかったのは建築家だ。「ファッションと建築には関連がある。どちらもボディを取り囲む」そのボディを組み立てることに由来する「Between 」のコンセプトは、のぞく膝・不意打ちの背中の露出・頭蓋骨の輪郭をくっきり目立たせる鋭角的なかぶりものなど、革新的なカットアウトで表わされる。人のボディを拘束してトルソ化してしまうタイトな服。矯正器のように首を固定する肩のライン。身が細るイスラムのチャードル。おまけに全裸の女性がこれ見よがしに身につけるのは目以外の顔面をすっぽり覆う長いヴェールだけときている。論争にまでなったクロージングのミイラのタブロー、デザイナーはこれを「着るもので君のなわばりがどれだけ明確になるか」だと説明した。
「今もしくはこれから10年着られる服、あるいは10年前にも着られた服を作りたい」シーズンごとに変わることで活気づく服飾産業でチャラヤンは一貫して不変を貫き通す。その仕事の成果を「絶え間ない流れ」だと言い、前進してるってことだと説明する。
彼に影響をもたらす源とは?「文化、自然、科学の原理、建築、音楽、会話、振る舞い」 他に?「僕は絶えず僕の過去、特に幼年期に依存してきた。あちこち引っ越してきたことや複数の異文化に晒されてきたことが今でもある程度は僕のやってることに影響を及ぼしている」
人は「Between 」をイスラム、モロッコ、中東を合成したものと見てしまいがちだが、「僕は自分のバックグラウンドをもっと抽象的に見る。たとえば僕は別の英語以外の言葉で話す、僕には別の文化がある、キプロスで過ごすときにはこことはすっかりかけ離れた別の生活があるといった具合に。そしてそういったことが僕の仕事を動かしているはずなんだ」

●参考資料:i-D dec. 1997 (TAMA- 23 掲載、1998 hot )