THE DEVIL INSIDE:

ビル・クリントンはドラッグに魅力を添えてるとカメラマンを責め親たちはセックスを売り物にしてると雑誌を責めタブロイド紙は女性を憂鬱にさせてるとデザイナーを責める。
ファッションは果たして報道通り、世紀末神話のモラルパニックを迫る極端を走っているだろうか。
「堕落に身を落とす」と指摘のプッシーすれすれのマイクロミニや女性の性的描写、肌の露出、透明素材シアー、モデルの細さ、極端なスタイリング。さらにクリントン大統領が「ヘロイン・スタイル」と名付けた90年代の雑誌記事や広告でノルマにまでなる表現流儀、ラリー・クラークに刺激された悲観的スタイルの写真など。これらが実際に言われているようなショックを一体誰にもたらすと言うのか。
ダイアナ妃の死を耳にした瞬間やボスニアの民族浄化の大虐殺、ルワンダで大量に虐殺された人間の手足を不用意にまき散らす光景を目にしたときと比較してもらいたい。あるいは公営団地で暮らす公民権を剥奪されたイギリス下層階級の現状、あるいは君のドラッグやりすぎで入院した友達と比べて欲しい。強姦されて神経衰弱にかかってる親友のことのほうが君には遙かにショックなはずだ。
それに百年以上前に忍耐強いアメリア・ブルーマが展開したキャンペーンのおかげで女性がズボンをはけるようになって以降そもそもファッションには争われるモラル戦争など存在していない。あるのは過去に持ち出された反応の焼き直しと置き換えだけだ。
透明な素材シアーはもっと別次元の問題だ。それは告白という自己誇示文化の一部として読まれるべきことだ。身体の内部まで見通したいという私たちの飽くなき欲望と観客相手にストリップショーを演じたい人間の生きざま。それに恐らくシアーより不快なアレキサンダー・マックイーンの服から広がる邪悪なヴィジョンとゴシックは、たちの悪いドラッグ、低収入、週末の創作を生き甲斐とする世代を映しとるものでそれをさらに屈折させるアベル・フェラーラの映画「アディクション」やジャングルサウンド、PJ ハーヴェイ、マニックス・ストリート・プリーチャーズ、ジェフ・ミルズ、マリリン・マンソンらの音にぴったり重なるものだ。

●参考資料:i-D nov. dec. 1997 (TAMA- 23 掲載、1998 hot )