OUR AGE:

僕らの時代についての冷静な記述

歴史上の僕らの時代のパラドクス;建物は高くなってるが人間は短気になっている、フリーウエイは広くなってるが観点は狭くなっている、使う金は増えてるが所持金は減っている。
家は大きくなっても家族はより小家族に、便利になっても時間がなくなっている、教育程度は上がってもセンスがなくなる、知識は増えても判断力に乏しくなっている、専門家は増えるが扱いにくい問題が増えている、薬は増えてるが快調な状態が減っている。
僕らは財産は増やしていても僕らの価値を下げている。
これまでになくしゃべりすぎでめったに愛さなすぎなのに憎むのは度が過ぎている。
僕らは生計の立て方は学んでも生き方は前にも増して学んでいない、年齢はプラスしても年齢に活力はプラスしていない。
僕らははるばる月まで行って戻ってきているが、新しい隣人に会いに道を渡るのに苦労している。
僕らは大気圏外空間は征服していても内的空間(精神世界)は征服していない、原子力は分裂させてても偏見をうち破れていない。
収入はより高収入になってもモラルが低下、量では強気でも質では弱気になっている。
身長は高くなっても人格不足の人間の時代、法外な収益とせこい人間関係。
世界平和の時代でも内戦の時代、レジャーは盛んでも愉しみは減っている、食べ物の種類は増えるが栄養物は減っている。
共働きの時代だが離婚が増えている、意匠を凝らした家に住むようになっても家庭が崩壊している。
ショーウインドウにモノは溢れていても在庫がない時代、テクノロジーがこの僕のメールを君のところまで運べる時代、
そしてそれが重要かdelete キー(消去)を叩くか選択できる時代だ。

▲昨年、銃乱射事件のあったコロンバイン高校の学生のメール(TAMA- 26 掲載、2000 SPRING )