JODOROWSKY:

1971年の映画{エル・トポ}で有名になるアレハンドロ・ホドロフスキは芝居・小説・コミックを書き演劇と映画の両方を監督して役も演じる。
イタリーでは小説家、詩人、公認の故郷フランスではベストセラーのコミック本の著者、月に一度タロット教室「Cabaret Mystique 」を開く有名なタロット専門家で、彼のアートの3要素となる神秘主義・精神分析・演技の合成を愉しませる「サイコマジック」と呼ぶ修行の創始者でもあった。
最近、{エル・トポ}{ホーリー・マウンテン}{サンタ・サングレ}のヴィデオの販促で珍しくUK を訪れたホドロフスキは歯切れがいい。かつて「大部分のアメリカ人がサイケデリック・ドラッグに求めるものを私は映画に求める。サイケデリックな映画を作るときに必要なのはドラッグやってる人のヴィジョンを見せることではなくドラッグそのものを製造することだ」と言った彼の映画体験は確かに一本見終わると誰もが変わらざるをえなかった。パリで作られた最初の映画(タイトルがジャン・コクトーの手書き)16@のマイム(サイレント)映画は今、行方不明だ。
50年代初頭、ポエトリー、シュールレアリズム、マルソーを求めてチリからパリに移ったホドロフスキは65年4時間のパフォーマンス「Sacramental Melodrama」をぶちあげる。そこにいたギンズバーグ、シティ・ライツのファリンゲッティはバイカーのレザースーツを着たホドロフスキがガチョウの喉を切り開き胸にヘビを這わせてウサギを虚勢するのを見た。
それから「シュールレアリズムはSFが嫌い、ロックが嫌い、ポルノが嫌い。だからもっと先を行く」と不条理であるばかりか神への冒涜、猥褻な演劇を創作するパニック・ムーヴメント、アラバール+トポール(テナントの作家)との共作が始まる。「終わるとすべてが美術館行き。美術館は私にはアートの墓場」と芸術運動や文化を嫌うホドロフスキにとりアートは活力に満ち、アナーキーで前進するもの。アーティストの本質は死ぬまで続く悪態であり呪いと説明する。
彼の創り出すものは知識を啓発するルートに象徴学と神話学を役立たせる夢のようなリアリティ内に存在した。「探究は君の外ではなく内なる君を通して行われる。映画には私の知りたいことすべてを入れる」
68年、アラバルの芝居{Fando&Lis }を脚色した観客を発狂させるほどショッキングなイメージを含む映画がアカプルコ映画祭で上映されるや観客は監督をリンチにしようとした。
映画はメキシコで上映禁止となり配給会社に台無しにされるが、3年後皮肉にも{エル・トポ}のアメリカでの大成功が彼をひとかどの文化ヒーローにする。有名な話だがジョン・レノン&ヨーコが集めて紹介する実験映画の夕べでプレミア上映されるやニューヨークのElgin で一年連続のロングランを享受する初のミッドナイトカルト映画になった。
先験的な関心事とヴェトナム戦争を暗に指す映画はカウンターカルチャーの中枢神経をまともに直撃しホドロフスキはグルのように意見を聞かれた。占星術師としてデニス・ホッパー&ピーター・フォンダに連れられユーゴに行く。メキシコからジョン・レノンに連れられバングラデシュ・コンサートに飛ぶ。ジョンにせがまれビートルズのマネージャーは渋々次回作{ホーリー・マウンテン}に100万ドル出した。
その映画はメキシコ政府を刺激、高官から「殺す」と脅されて子供とフィルム丸ごとクルマに詰め込みティファナ経由で逃げ出す羽目になる。その後フランク・ハーバートの小説「デューン」をすごいドリームチーム(ギーガー、メービウス、ピンク・フロイド、エイリアンを書いたダン・オバノン、オーソン・ウェルズ、ダリ)で開始するがプロジェクトは崩壊、このときのアイディアは後にハリウッドの{スターウオーズ}を含む数本に切り売りされた。
以後は拘束のない自由な媒体コミック本で彼のヴィジョンを追求する。
それでも折に触れ映画に魅惑を追い続けるホドロフスキは現在、マーク・ギャロ(デリカテッセン、ロストチルドレンの片割れ)のために脚本を書いている。「人間は非常に多様な状態で幾様にも生きられる。多分、人間は不老不死の意識を内面に作れるんだ。年を取るのは20%で残りの80%に年齢は存在しないと思うね。思考は河の流れのようにとぎれないものだから思考を止めたとき死ぬんだと思う」

▲参考資料:DAZED '99 Fando&Lis '99 Video 発売(TAMA- 26 掲載、2000 SPRING )