MACHINE AGE:

今年5月ついに暴力的なヴィデオゲームへの未成年者のアクセスを制限する議案がペンシルベニア州議会に提出された。
このところ続いて起きてる高校の発砲事件がその引き金で昨年5月ケンタッキー州パドゥカで起きた発砲事件に続き今年4月コロンバイン高校乱射事件でもDoomが関係要素だった。
確かにハリスは取り憑かれたようにヴィデオゲームをやり「Doomが現実になる」と自分のウエブサイトで請け合った。大虐殺後の集団パニック攻撃でゲーム産業を毒づく専門家のお偉方や政治家はプレイヤーがその他全員と戦う第一人称のシューターゲーム、DoomとQuakeにたどり着く。Doomはあいにく海兵隊を鍛えるのに使われるソフトウエアだったから人を殺す状況から心地よさを得る点では有能な道具であることが立証されていた。
ぼくが試した別の第一人称のシューターゲームMarathonは暗くて不吉な予感がする、まるで永遠に続く街の最悪な地下鉄駅ツアーだった。殺るか殺られるかのヴァーチャル地獄なのに、なぜかまた戻りたくなる。
「おもしろいからさ」、生きた伝説となる最初のプロのゲーマー、スレッシュは言う。彼はQuakeのトーナメント試合に勝ちフェラーリを獲得したことがあった。「ゲームで人を殺すのは漫画、カーボーイとインディアンそれだけ」
まさにそう。なぜおもしろいのかはわからないが、夢中にはなっても精神を傷つけられたり、もっと暴力的になることはない。スレッシュはゲームを彼の人生の否定的影響力とは呼ばない。それにアメリカの十代の子の90%がこの手のゲームをやる。つまり、Doomと殺人者との関連にはとても意味があるとは思えない。
MITの比較メディアを研究するジェンキンズ教授は「大衆文化を構成する要素がコロンバイン高校のような事件で動機付けとして作用するなんて考えは馬鹿げた考えだ」と愚弄する。
要はやる人のパーソナリティで異なるってことだ。すでにあるものを増殖させたり高めることはある。もし控えめに抑圧された十代なら(ノーマルって意味)この手のゲームが気を狂わすことはないが、すでに攻撃されやすく精神がパラノイア状態なら(ハリスがそう)それを激化させるだけだ。
子供の多彩な表現を説明する努力は放棄して、糾弾だけする当局。彼らが取り組もうとしているアプローチは考え抜かれた認識というより大仕掛けな抑制だ。ウイスコンシン州では潜在的脅威の態度をとる学生を追跡できるデータベースがシェリフや地元警察局、学校当局にインストールされている。トレンチコートも全国の学校で禁止だった。

▲参考資料:VILLAGE VOICE May 11,1999(TAMA- 25 掲載、1999 CHILL )