AMERICAN
BRANCH
英語、とりわけアメリカの派生語は、すばらしく融通の効く言語だ。私たちの口やコンピュータから切れることなくあふれ出る新語、新フレーズが、いつのまにやら生活と辞書の中に入り込んでいる。インターネット、ブロガー(ウエブ作家)、対テロ戦争と、私たちの時代が生みだした新しい現実が常に新しい造語を編みだし、専門用語を一般言語に置き換えて広く行き渡らせる。
合法の政府相手の謀略戦争としては米国史上初の成功例の、1953年イラン・モサデグ政権転覆作戦のCIA 文書に初めて登場した、「BLOWBACK」という謀略業界の隠語がある。(他国政権を転覆する秘密作戦の意図せぬ結果でアメリカ国民の目から隠されたものという意味)
2000年、米政府主導の世界戦略のブローバック、すなわち「国民がほとんど気づいていない意図せぬ帰結」に警鐘を鳴らす、「ブローバック」というタイトルの本が出版された(チャルマーズ・ジョンソンの「アメリカ帝国への報復」集英社)。
本の出版から一年余りが経過し、80年代初期アフガニスタンでロシア人の血を流すためCIA とパキスタン諜報機関が武器を与え支援したイスラム原理主義集団の一派、オサマビンラディン率いるアルカイダ構成員がハイジャックした航空機で突っ込み、TV
画面の地獄絵でブローバックの実例を見せつけた。
当時、「意図せぬ結果」というフレーズと共に本は書店に平積みされた。専門用語だった言葉のほうも、CIA から飛び出て私たちの生活に入り込んだ。「ブローバック」はすでに辞書にも載っている。
TomDispatch.com が24時間のうちに見つけた時代の言葉のワンダーランドから:
やはり諜報業界から出てきた「Extraordinary Rendition :特別上演」とはなんぞや。
サンフランシスコ・クロニクル紙の日曜版の「代理拷問」という真相解明シリーズの記事にあった表現、「特別上演」は実は拷問の婉曲語句のことで、その拷問たるやそんじょそこらの拷問とはわけが違った。
記事は、シリア生まれのカナダ人マーヘル・アラルが、搭乗便の乗り換えでニューヨークケネディ国際空港に降り立った際、怪しげな米国のテロリスト・ブラックリストに引っかかり、入国管理当局に拘束された経緯を追っている。彼の話は、まるで希望のない虜囚のオデッセイだ。彼はあのあと、ニューヨーク市警、FBI
、CIA 、そして別の未確認米国政府機関へと、いずれ劣らぬ荒っぽい手から手へ引き廻された挙げ句、ワシントンからヨルダンへ空路搬送され、シリア当局に引き渡されてテロリスト容疑者として尋問されることになった。記事にはこうある。
「米国司法省は、出生地から言えばアラルはシリア国籍を持つ身であり、この秘密調査は適法だったと主張した。カナダに妻と2人の子供の家族がいて、仕事もカナダにあること、カナダのパスポートを使って旅行していたカナダ国籍者で、過去16年間、シリアに居住していなかったことなど、事実関係はすべて無視された。司法省はシリア軍諜報部の手で尋問にかけることを望んだ。そのシリアの尋問手法たるや、司法省がかねてより厳しく批判していたものなのだ」
テロとは無関係であることが判明するまでの10ヶ月間、アラルは墓穴サイズの独房に拘置され、「尋問(拷問)」された。
「わが国の諜報機関はこの代理人による拷問を"特別上演"の名で呼んでいる。この容疑者を拷問する秘密作戦は、こういう言葉が正しいとすれば、極秘の大統領裁定によって公認されてきた。大統領が拷問を認可する権限の根拠は説明されていない」
次に移ろう。 「Hunter - killer teams 」。「特別上演」に比べればこれは少しはまともかもしれない。少なくとも正直な言葉には思える。
ワシントン・ポスト紙の記事、「対テロ戦争での特殊部隊活用法をめぐり、軍が割れる」でこの造語について、ある程度詳しく知ることができた。
基本的に「索敵殺戮チーム」(別名:特殊任務部隊)は、「ドアを蹴破るため」に世界に放たれた軍事暗殺部隊。つまり、国境にも、宣戦布告にも、いかなる類の「微妙な」法的見地にも邪魔されずに、テロリストたち、それにもちろん、ありとあらゆる敵を追いつめるのだ。
この記事は内幕報道もので、これら特殊部隊の業務執行上の自由裁量権が「制限」を受けることへの軍部の憂慮に、おおむね主題を絞っているが、とにかく新しい言葉のワンダーランドだった。
例えば、ラムズフェルド国防長官は、「ハンターキラー・チームが世界を股にかけて活躍する構想」を描き、おそらく映画プレデターの見すぎで、世界中のドアを蹴破り、われらが世界を再整理する「人狩り計画」に夢中になっていた。
デルタフォースは、「特殊任務」部隊のひとつだが、われらが世界に通用するもうひとつの新造語が「デルタフォース羨望」だった。「今では、"デルタフォース羨望"が軍の上から下までの全階級に浸透しており、特に若い兵士たちは、ドアを蹴破る方式がワシントン上層部の意向であることを、早いうちから理解していると、慣例に捕らわれない戦争行動を唱導する民間人有識者が語った」と書かれていた。
「彼らがとにかく熱望しているのは、襲撃任務であると彼は言った」
最後に、言葉では、それも不十分な言葉ではまったく把握できない現実がある。単純な実例のひとつがこれだ。
ベルリンの壁が崩壊して1年か2年、多いにマスコミで宣伝された「Peace divided :平和の配当」という造語をお忘れではないはず。頭のよい識者たちも信じてしまった。ペンタゴンの莫大な予算が削減され、アメリカ社会と世界の貧困層にお金が廻されるだろうと考えられていた。ところが実際にはどうなったか。
それでも不思議なのは、実現するはずもない「平和の配当」が、しばらくの間、言葉として報道を覆い尽くしていたのに、これこそ世界の現実の真髄である言葉、「戦争の配当」は生まれさえしなかった。これはなぜなのか?
この言葉こそ私たちの惑星の暗い深層、たったいま展開しつつある暗い光景を描くのにピッタリの新造語に思えるのだが。
▲参考資料:TomDispatch.com by Tom Engelhardt 06 Jan.2004
|