DRUG :

世界を熱狂させたサッカーのスーパースター、ディエゴ・マラドーナがブエノスアイレスで逮捕されたのは1991年4月26日のこと。容疑は麻薬所持。このときマラドーナは生活のストレスから逃れるため3ヶ月前から時々コカインを使用していたことを認める。
その頃マラドーナは前年のワールドカップイタリア大会でアルゼンチンがイタリアを負かしたことから彼が所属する名門クラブ、ナポリのファンやマスコミとの折り合いが悪化、2月15日には麻薬売買や売春に絡んだ疑いでイタリアの司法当局に呼び出されイタリアサッカー連盟から15ヶ月の出場停止処分を受けていた。アルゼンチン対イタリアの試合の後、怒った地元のファンがディエゴを侮辱して流れたアルゼンチン国歌にブーイングを浴びせた。イタリアでのごたごたはマフィアの抗争に巻き込まれ、チームを勝たせないための罠にはまったものだとマラドーナは主張した。
アルゼンチンのスポーツ誌グラフィコによると、大統領のスポーツ担当顧問(ちなみにアメリカのブッシュ・パパのスポーツ顧問はシュワルツェネッガー!だった)の肩書きを剥奪された逮捕劇には25歳の金髪美人捜査官が絡んでいた。彼女はイタリアから帰国する意気消沈したディエゴに接近、しばしばホテルにも同行して、正確に逮捕を手引きした。盗聴やおとり捜査ではめられた証拠は証拠として認めないアメリカだったら無罪になるケースだ。
一方、コロンビアではメデジン市に拠点を置く世界最大の麻薬組織メデジン・カルテルのボス、パブロ・エスコバル・ガビリアが投降してエスコバル自身が要求した専用の刑務所(100%安全な要塞)に収監される。それは懲役100年以上を求刑しているアメリカへの身柄引き渡しをコロンビア議会が違憲とする決議を採択した直後のことだ。
メデジン・カルテルは麻薬密輸で儲けた金でメデジン市に病院や学校やスタジアムを贈り低所得者のための無料アパート建設や奨学金制度の推進に貢献する一方で、1989年に政府に宣戦布告を突きつけ麻薬戦争を始めて以来、爆弾テロなどで裁判官や警察官600人以上を犠牲にしてきた。
ドン・パブロはレバノン戦争とパレスチナ人狩りで勇名をはせたイスラエル軍のヴェテラン士官が訓練する精巧な武器を手にした恐怖部隊によって護衛されている。そしてメデジン・カルテルの友人であるスイス首長国を潤すスイス銀行が全世界を動かす財政と税法の内幕の知識に基づくテクニックで行う「マネーロンダリング」と投資によって彼らの利益は信じられないほどの市場を作っていた。そこで動く金は年間3千億ドルから5千億ドル(45兆円〜80兆円)とも言われる。
「意識の拡大」か、痛みを和らげる「自己治療的」目的か。まるで時代の先を読んで供給を図る手配師がいるかのごとくドラッグは時代にぴったりはまって流行する。 80年代は能率のよいコカインの時代だった。コカインがヤッピーを生み、もっとコストの低い破壊的なクラックがラップに弾みをつける。そして90年代、香港のファー・イースタン・エコノミック・レヴュー誌によるとニューヨークで密売されるヘロインの8割は東南アジア産が占めていた。ミャンマーと隣接する雲南省を中心に麻薬は単に通過するだけではなく、中国人のあいだにも広がり始めていた。ロシアでも90年初めの3年だけで422ヘクタールのケシと大麻の栽培が摘発されている。コロンビアでもコカの葉に加えケシの花の栽培に余念がなかった。

▲参考資料:「スイス銀行の秘密・マネーロンダリング」河出書房新社
●日本では91年にブッシュの圧力のかかった麻薬新法案が自民党で了承される。運び屋や小者をわざと泳がせて密売元を追うというコンドロールドデリバリー制度を制定。90年に明るみに出たマネーロンダリングの処罰、銀行預金や財産の凍結、さらには国外での麻薬所持や取引、製造にかかわった人物にも国内の処罰が適用される。
●TAMA- 6 掲載、HOT 1991