PABLO ESCOBAR :

厳重な警備の網をかいくぐり1992年7月、五つ星のホテル並に贅沢な刑務所から脱獄してみせたコロンビアの麻薬王パブロ・エスコバルが大国アメリカと取引するコロンビア政府を相手に爆弾テロを再開、アンティオキア反乱軍という反政府ゲリラを組織する革命戦士になった。
93年になり首都サンタフェデボゴタで起こった爆弾テロは9回にも及び、死傷者の数は500人以上にのぼっている。西半球最大のお尋ね者、エスコバルの首にかけられた賞金は50億ペソ(当時のレートで約8億3千万円)に跳ね上がり、ガビリア大統領は組織の離反者を取り込むために情報提供者には刑を軽くして証言者には身の安全を保障するという措置に出た。エスコバル逮捕の決め手となる情報提供者には700万ドルの謝礼金が支払われ、そのうち230万ドルはアメリカが提供する。こういう措置のおかげで大物の麻薬ディーラーがちゃちな泥棒より先に保釈されて礼金まで貰うという事態が実際に起きていた。
パブロ・エスコバルは政治の世界でひとかどの人物になりたいと思ってずっと努力を重ねてきた。そして1988年、本人が想像もしなかった方法でその夢が実現する。パナマ運河の安全確保と、運河の両岸にある軍事基地のアメリカ軍の恒久的駐留というアメリカの権益を守る番人だったパナマのノリエガ将軍が起訴されると、エスコバルと麻薬組織メデジン・カルテルはかつてないほどアメリカのマスコミの注目を集めるに至る。
ノリエガの存在がうっとうしくなった大統領ブッシュ(パパ)はノリエガがメデジン・カルテルと結託して麻薬の密輸を行っていたとして、かつて懇意だった支配者を公然と告発する。そうして麻薬の密売阻止!がアメリカの外交政策の最優先課題になった。
「メデジン・カルテルをアメリカ軍の力で叩きつぶす!」これがブッシュの長年の夢だったが、コロンビア政府の反対にあって叶わなかった。ライバルの麻薬組織、カリ・カルテルが資金提供してると思われるテロ集団 PEPES「パブロ・エスコバルに迫害された者たち」の出現やメデジン・カルテルの分裂に勢いづくガビリア大統領が、たとえアメリカ軍の介入という卑劣な手段をとろうとも、今度こそ恥をかかせたエスコバルを引っ捕らえたい腹づもりらしい。

●「キングズ・オブ・コカイン:コロンビア・メデジン・カルテルの全貌」上下巻 草思社(TAMA- 12掲載、CHILL 1993 )
▲1993年12月2日、パブル・エスコバルはCIA や軍の秘密情報組織セントラ・スパイク、対テロ特殊部隊デルタ・フォースを中心とするアメリカの支援を受けた準軍事組織 PEPES によって殺害された。PEPES はエスコバルの親族や子供たちを含む関係者を約3年の間に300人近く殺害してきている。(amnesty.or.jp )
●「パブロを殺せ-- 史上最悪の麻薬王vs コロンビア、アメリカ特殊部隊」早川書房2002