JIM MORRISON:

ローリング・ストーンズは黒人になろうとして、フォーク・ロッカーズは白人のクズになろうとしてクールにやってるときに、UCLA で映画を学びニーチェやランボーを師と仰いで詩人になろうとしていたジム・モリソンが当時まだ生まれてもいなかったミュージシャンらに影響を与えている。
ロックンロールの反逆児、感受性の鋭い詩人、性のアスリーツ、リザード・キングなど、一連の神話を残してジム・モリソンはイコンになった。1971年7月7日、27歳でドラッグのやりすぎで死んだモリソンは名士の墓地で知られるパリのペール・ラシューズに埋葬されている。城壁をめぐらした小高い丘の広大壮麗な墓を収めた御堂の街にあってもモリソンの美しい墓の景色だけはトリップものだった。そこは「確立した秩序の転覆」という考えを好んだモリソンに共鳴する90年代の若者たちの聖地になっている。名前だけが記された墓石はびっしりグラフィティで埋まり、まるでドアーズのコンサートかオリヴァー・ストーンの映画<ドアーズ>の中から駆けつけてきたような連中が1ダース近くも群がっている。
「彼はイギリスの作家ジョセフ・コンラッドのロード・ジム(1900年発表の小説の主人公、東南アジアの異国の島に住み波乱に満ちた人生を送る若者)や映画<地獄の黙示録>(原作<闇の奥>の登場人物)のカーツ大佐みたいで、何者なのかわからない」とは映画<ドアーズ>を作った監督オリヴァー・ストーンの言葉だ。モリソン死後10年で起こったドアーズ・ブームはコッポラの映画<地獄の黙示録>で流れる彼らの曲「ジ・エンド」がきっかけだった。
また<ドアーズ>でジム・モリソンを演じたヴァル・キルマーは次のように言っている。「モリソンは実在した。彼はランボーやケルアック(フリーダム・トラヴェラーのバイブル<路上>の作家)のように精神的なものを探し出そうとして荒々しく生きていた。ウィリアム・ブレイクの"過剰の道は叡知の地へと導く"を実際に信じたんだ」 でも、この90年代のモリソンは敗北主義的な態度やグロテスクな放縦さでアートの機会を得るというジム・モリソン流のやり方を信じてはいない。 「最高にすごい人生を送るには死ぬことも承知してなけりゃならない」とジム・モリソンは言った。

▲TAMA- 6 掲載、1991