TORAO ART
INTERVIEW WITH TAKASHI TORAO

「職業としてアートをやる」というのは漠然と絵を描くというのとは違うと思うからアーティストとしては1986年ニューヨーク以降ってことだね。
ニューヨークでは10ヶ月全部仕事やめちゃって描き続けたわけだからそこからだよね。 ニューヨークで一番大きかったのは石造りの家に住んだってこと。住む環境がまるで違う「静かな石の家」だったっていうのが出発点だった。
すごく古いビルがあって隣のビルでは新しいビルが建つとか、すごく長い時間を感じたのね。古い壊されるビルと新しいビルとの対比っていうのがあって時間の重みみたいなものが鮮烈だった。
ニューヨークに住む前からコラージュの手法は使っていたんだけど。シンナーで印刷物のインキを落としていくのと壁を壊して削り落としていくことに共通するなにかを感じたわけよね。印刷物の表面を削り、こすり、できあがったものを壊す。そして上からまた描いていくっていうのが、ここに住んでるってこととか感じたこととかにぴったりはまっちゃったんだよね。「なんだこういうことか」って感じ。
日本でやってるときには単に表現の技術とかおもしろいやり方とかと思っていたのがすごく実感として自分にくっついてきたのね。すごく気分良く作れるようになっていくわけ。そこから生活とか、ものを考えたり遊ぶこととかが全部ぐるってくっついて進んだっていうのがすごい画期的だった。

コラージュは小ちゃいときからやってた。最初にやったのは毛糸とか紙切れを使って「カブトムシ」とか「クワガタ」を作ったのね。
それ、すごく評判よかったんだ。ずっと小学校の玄関のところに飾られてたの。でも実際にやりだしたのは10年位前かな。 絵はずっと好きで小学校入る頃からマンガ家か絵描きになろうと思ってた。一年生のとき上級生が授業の始まる前に僕に円盤のマンガ描いてくれたのね。それすごい鮮烈に憶えている。鉛筆でさっさっさーと描いたやつ。うまいなあーって感動しちゃったわけ。
子供の頃はすごい劣等生だったの。授業をぜんぜん聞かないトットちゃんみたいな感じの子。授業を全部ひっかきまわしたり、自分の好きなことには集中力でるけど授業とか嫌いなことには集中力ゼロになっちゃう。 たとえば帽子が気になる日があるわけ。教室の後ろに掛けるんだけど、一日中気になるわけ。最初は後ろばかり見てる。そのうち立って帽子を確認しに行って、かぶって、また戻る。これを延々と繰り返す。登校拒否はしなかった。学校へ行くのは好きだったから。
「前にならえ」が全然だめでさ、好きじゃなくってどうしてもできなかった。
だってさ、小学校あがって全員がそろってなにかやるなんて信じられないことじゃない?本当は違うわけだし。ひとりひとりレベルだって違う。今なんか締め付けが大きいから捨てられちゃう子、はみ出す子もいっぱいいるんじゃないの。
武蔵美(武蔵野美術大学)で教えてた頃にさ、イラストレーションの講座なんだけど、自由課題を出すと最初みんな嬉しいわけ。ずっと続けるとどんどん脱落していく。絵は自分に自分で注文するものだけど。技術や方法は別としてイラストレーションは注文主がいて描くものだから職業としてはちゃんとやるとは思うけど学校としては人からこれって規制されないとものを作れないって基本的にはけっこう問題だと思うわけ。絵でもイラストレーションでも自分のやり方を探すわけだから。

食べるためにグラフィックの仕事はしている。割り切ってやればそれはそれでおもしろいね。本の装丁とか。でも職業としてちゃんとあるわけじゃない、アーティストって。食べれないってのは今の時代で不思議だよね。
普通どんな職業でも食えるわけだけど。大抵食えないってのは変だよ。食えないのが当たり前って思ってるじゃない。演劇の人とかクラシックの演奏家とかアルバイトしてるでしょ。本人のせいばかりじゃないような気がする。社会全体の問題。
そういうの支えてきたものがあるわけじゃない?成り立たせるための下地とか土俵が必要で、もしそれがないとしたらそれって結構問題な国じゃない?

帰国後、企画展2回食べれるようにするために向かってやってる。たとえば個展をやるってことで、僕のほうからしたらタダで絵を見せてるわけだから随分やさしくしてるなって思う。基本的に言えば人に文句言ってもしょうがない。やるしかないよって思う。 音楽の世界や映画なんかもっとはっきりしてるじゃない?一般的に言えば美術ってもっと狭い気がする。特別でスノッブっていうか。エンターテイメントじゃなかった。でもウォーホルは両方をくっつけてすごいと思う。
美術って崇高なものと作る人も見る人もそうしてきたけど、大したことないじゃない。自分の自信の持てる眼とか耳とか本当に自分の眼を信じていればなんだっていいじゃない。
ストライプハウスで個展やったときアメリカンスクールの14歳位の学生たちが来たんだけど、絵を見てああでもないこうでもないって自分の意見を言う。ひとつの絵の前で議論したりするわけ。それはすごくいいことで、そういうトレーニングを積んでるわけ。逆にもう一方でそういうのをしなくちゃいけないみたいなポーズも感じるわけだけど。中学生位の子が本で見るような有名な絵じゃなく初めて見た絵にきちんと意見を述べるって日本じゃ考えられないこと。桁外れに違うことだと思ったよ。
日本の場合、大人でさえもが「いやー私にはわかりません」って言っちゃう。恥ずかしくないんだよ。ある立派な企業の大人が、考えられないでしょ。欧米の人は銀行員でもなんでも美術について喋れるっていうのが必須科目みたいなものでしょ。ポーズでも言ったほうがいいと思う。わからないっていうのは違うよね。わかろうとしてないんだよ。ずるいんだよ。喋れないことが恥ずかしいと思うほうがいいと思う。 率直な感想って難しい。それでも小さい頃からのトレーニング次第ではなにか言えるのかもしれない。子供の頃からそれやっていけば分け隔てなくいろんなこと感じると思うんだよね。

言葉とイメージ
言葉にはこだわりたい。きっかけとしての言葉。ただし100%伝えたいなんて思っていないのね。見る人の自由だから。でも折角だから手がかりとして音楽みたいにタイトル付けようって。
たとえば「ビートルズのなんとかー」って言うとぱあーって思い出すじゃない。そういう風にしたいわけ。
音楽作るのと同じようにって思ってる。 僕の場合、ライヴが個展でレコードがカタログを作ること。+M (Torao の相棒)との関係もバンドみたいなものとも言えるし、プロデューサーだったりディレクターだったりってこと。全然知らない人があるとき、知ってますってタイトル憶えていてくれたりするとすごく嬉しい。感動しちゃうし病みつきになる。
「Lost Paradise 」はオーソン・ウェルズの言葉に感動したから。人間はパラダイスを望んでいると思うわけ。でも戦争も人殺しも、摩擦ってなくならないじゃない。なんでかなって思ったとき、それは自分たちのなんだよね。パラダイスとロストパラダイスってくっついてあるものだと思う。望んでるけどなかなかつかめないものだから。
具体的なひとつの政治状況とか事件とかを描くってことはないけど、考えるきっかけにはなってる。 ニューヨークに住むと自分が日本人だってことを再認識させられる。どんな場合でもきちっと喋らないと伝わらない。シリアスに考えないとまずいと思った。外国人とつきあうといろんなこと聞かれるじゃない。必要なこと、知らなきゃいけないことって勉強しなくちゃならない。旅行だとわからないこと多いけど外国で生活するといろんなことわかるね。
「Fighting 」プロレスは好きだよ。自分の頭にあるよね。 戦うこととか暴力とかなんでか好きなんだ。子供の頃から喧嘩好きだったけど、単純に戦うとか暴力とかがいつも引っかかってくることなんじゃないかな。
いつまでも暴力はなくならないんじゃないかって思ってる。暴力はいけないって言われるけど必ずしもそうなのかなーって思う。いきなり殴られたとき殴り返すじゃない? ANC のジェリーさん(アフリカ民族会議ANC の駐日代表)に会ったときそう思った。ANC はアパルトヘイトと闘うのに暴力を否定してないから。ガンジーの無抵抗主義で片づかないことってあるじゃない。マルコムX もそう言ってる。
ただ死刑だけは反対なのね。欲求のもとに人を殺すことはしょうがないと思う、法律的には罪だけどね。法律で人を殺す、裁くってことのほうがもっと問題だと思ってるから。戦争なんか基本的には無駄だと思うけど。人間って必ず敵が欲しいでしょ。必ずそういうの作ってきたじゃない。
「Viking 」海賊のイメージ。略奪したり人を殺したり、同時に港を開いたり町も作ってきた。アメリカの無人火星探査機の名前「バイキング」は未来に向かって謎を解いていくというポジティヴな面と侵略しようとしているという二面性があり、そういう背中合わせのものに興味を持ったの。
僕の頭のなかの世界と外の世界のその隙間。抽象的だけどギャップがある。いろんなギャップを埋めるために格闘したりする。資本主義と社会主義、善と悪、必ず相対的にものを見るってあるじゃない?主に西洋のものだと思うけど。それじゃ判断できないってことがある。暴力はいけませんの裏側に暴力を使わないとなにもできないって考え方もあるし。そういう風になってきていると思うんだ。

個展やるでしょ。おもしろい感想聞くって単なる「kind of fun 」なのね。ただし感動ってすごいことだから、もしかしてそういう感動を人に味あわせちゃったりしたらすごいなって思う。でも、やりたいことやるのが一番だから。

TORAO の旅
最初は1980年、ロンドンに2ヶ月滞在した。急に外国行ってみたいって思ったんだよね。いろんな絵を見た。大抵は60年代のポップアートだけど。本物見て愕然とした。画集で見るのと全然違うじゃない。ショックだった。小さいときからこれ見てたのと写真でしか知らないのとじゃ同じ土壌でやるのにすごい差がある。
1983年、ニューヨークに約1ヶ月。絵を見る目的と段ボール集め。 キュール(食べ物のエンターテイナー集団Life Art Cuel )のメンバーの一人として食べ物の絵を段ボールに描いて個展をやろうと思ってたのね。雨の中段ボール引っ張って歩いててニューヨークの人に怖がられた。ブルックリン・ブリッジのたもとに居候していて、その頃には人も住んでないし、えらく怖いとこだった。でもアーティストがいっぱいいた。僕のいたビルの半地下のとこにはいつも電気がついてるの。よく見ると人がいてなにか作ってる。
1985年、ケニヤに1ヶ月。友達が行くってんで。ケニヤに「星野学校」っていうのがあって、日本とケニヤの学生が合流してスワヒリ語を教えてるの。すごくよかった。人間が殺伐としてないの。ごみためあさりする子がけっこう明るい。彼らは実際、頓着してないのかもしれないんだよね。お金がないってこと自体に。町にいっぱいいるフリークスとかも、みんな表に出ていて明るい。なにも特別と思ってない。
日本にずっといると全然違うから。変な人を閉じこめちゃうでしょ。日本はどっかが違うような気がする。 子供の頃は日本が好きだったけど、今大嫌いなわけよね。なぜ嫌いかって言うと、たまんないことが多すぎるんだよね。
たとえば、日本の切手とか伝統的な工芸品とかは好きなのいっぱいあるし、いいと思ってる。「現代なんとか」ってつくものは大抵だめだと思ってるね。戦後体験世代はしょうがないと思うけど、30歳40歳の同年代までもが審美眼とかないってなんか間違えてると思うわけよね。
ずっとこのままいっちゃまずいなって思う。お先真っ暗。もう少しかっこよく生きてもいいんじゃないかと思うけど。

●91年春にはロンドンとスウェーデンで個展をやることが決まっている。  
昨年、ストライプハウスでの個展に偶然訪れてとても「touched だった」と感動したスウェーデン人の紹介によるもの。
●TAMA- 3 掲載、1990年

▲作品はHP で見ることができます。http://www.interq.or.jp/world/torao/