米英軍は、R2I(尋問への抵抗)という略号で呼ばれるテクニックを
軍諜報担当者に教える特殊訓練キャンプを設けている。まさにアブグレ
イブで実行された手法がこれだ。言いかえるなら、米英軍は通常の戦争
遂行行為の一端として、文字通り「戦争犯罪」を犯す訓練を兵士たちに
させていたことになる。(歴史学者マーク・ルヴァイン)

▼イギリス軍が拷問の組織的方法を教える▼by デイヴィッド・レイ
英ガーディアン紙 8 May 2004

英国軍人の話では、アブグレイブ刑務所のイラク人囚人の性的屈辱は、
米国防総省が言うような一部の群から離れた護衛の創案ではなく、特殊
部隊の兵士によって習慣的に用いられる、いわばまずい扱い方と低落の
システムが、やってることがわかっていない正規軍と請負人のあいだに
いま広く行き渡っているということだった。
尋問に対する抵抗、R21 と呼ばれる組織的に編み出されたテクニック
は、バグダッド・アブグレイブ刑務所の囚人虐待と露骨な搾取に適合す
る。
先週イラクから戻った英国特殊部隊の元将校が次のように語った。「刑
務所の看守がR21テクニックを用いていたのはイラクの米民間請負人
との討議から明白だが、彼らは何をしているかわかっていなかった」
米英両国の軍情報部の兵士らはこのテクニックで訓練されていたと彼は
語った。今はチックサンズの元米軍基地に移されているが、ケント州ア
シュフォードの統合軍務尋問センターでそのテクニックは仕込まれた。
「イラクで民間請負人として再雇用される元特殊部隊の兵士によって忘
れずに保たれる、この尋問テクニックに関する経験の宝庫がある。 請負
人らは旧友らを引き入れている」
服をはぎ取って全裸にするのに加え、 性的な方向に舵を急転することや
堕落は、「捕まったショックを長くする」というスローガンの下に、大
西洋のあちらとこちらの両側で教えられた組織的方法のひとつだと彼は
述べた。
警護を担当する女性兵士は、男性の囚人を性的になじるのがならわしで
あったし、英国のつらい訓練期間に女性志願者が抵抗訓練を受けていた
とき、彼女らはレズビアン行為に舵を急転することに服従させられるこ
とになった。
「模擬訓練の体験期間中、大抵はそれを一笑に付すが、全体験がぞっと
するほどいやなものだ。私の二人の同僚がその訓練にうまく対処するこ
とができなかった。1人はこれ以上できないと言って出ていった。もう
1人は神経衰弱になった。この訓練はきわめて当惑させるものだ」と、
安全を理由に身元を差し控えることを要求した、海軍特殊戦隊の元将校
が言った。
米英の特殊部隊の兵士の多くが低落のテクニックを身につける。それに
は SAS(破壊活動、対ゲリラ活動を行う英国空軍特殊部隊)、SBS、大
抵の空軍パイロット、落下傘兵と先導小隊の隊員が含まれる。
イラクの米軍に尋問官を補充してきた若干の民間企業がネイヴィシール
ズ(特殊隠密部隊員)といった米国特殊部隊の元兵士を雇うことを自慢
にする。
「イラクで決定的に違うのは、R21テクニックを自ら体験させられる
前線兵士が共感を明らかにすることだ。彼らが引き起こしている苦しみ
を前線の兵士らは実感する。だが、これを堪え忍んできていない人々が
彼らがイラク国民にしていることを十分に理解しない。それはイラクの
修羅の巷なのだ」
尋問のテクニックが英国兵士の訓練目的で用いられるとき、厳格な48
時間のタイムリミットに服従させられ、監督官と心理学者が常にその場
に付き添う。未熟な処理で囚人が精神病に至らされることがあるのを、
公認している。
R21テクニックの範囲には、ほとんどの時間、囚人を裸にさせておく
ことも含まれる。被収容者がつながれた状態ではいつくばることを強要
されるのに加え、アブグレイブの写真が示すのがそれである。女性兵士
の目の前でマスターベーションを強要される、他の男性囚人とのオーラ
ルセックスのまねごと、そしてフードで頭部を覆われた全裸の人間を重
ねた人間ピラミッド。
フードをかぶせる、睡眠妨害、時間の見当を失わせる、囚人を剥奪する
ことが含まれる完全な組織的方法のひとそろいは、尊厳に属するものだ
けでなく、暖かさ、水、食べ物といった人間の基本的要求からなる。
イラクの軍事刑務所を担当している米軍の指揮官、ジェフリー・ミラー
少将は、50あまりの"威圧的テクニック"一式スペシャルが敵の抑留者
に対して使われる可能性を正式に認めている。これより先にグアンタナ
モ米軍基地の捕虜収容所を指揮してきたこの少将は、彼の主要な役割は
可能な限りたくさん情報を強引に引き出すことだと言った。
アブグレイヴ刑務所の尋問のエキスパートらは、刑務所のスタッフがも
っと"可能な限り迅速に情報を努力して入手できる"ように手助けをする
ためにそこにいた。
睡眠妨害と服を脱がせて全裸にさせるのは、おそらく、もっぱら将官レ
ベルでは公認されるテクニックだったと彼は言った。

ブラックウォーター社の傭兵たちが切断され黒焦げにされた記事を新聞
で読んだ時、私が思い起こしたのは、イラク人に対して私たちが全く同
じことをしていたこと。それだけだ。彼らはいつでも、彼らの死を貶め
る者として私たちのことを見ていたはずだ。私たちは、幾つもの黒焦げ
の死体を小突きまわし、車から蹴り出して、その口にタバコをねじ込ん
だりしたのです。(海兵隊二等軍曹ジミー・マッシー)

▼ある海兵隊員が沈黙を破る▼by ナターシャ・サルニエ
Mid- Hudson paper magazine Chronogram May 2004 http://www.chronogram.com/chronogram/roomforaview/index_2.html

イラクで吹き荒れる暴力の増幅を見て、第3海兵大隊第7火器中隊所属
二等軍曹ジミー・マッシー(31歳)は、沈黙を破って私たちにイラク
で起きてる残虐行為を告白しようと心に決めた。軍歴12年の海兵隊員
で、新兵募集要員そして指導教官でもあるマッシーは30名の狙撃兵小
隊を率いていた。「1ヶ月半の間に、私と私の小隊は30名以上の民間
人を殺しました。私たちは村々を占領し、検問所を仕切っていました。
接近して来る車両に向かって警告射撃を行い、それでも停止しない場合
には、何のためらいもなく彼らを蜂の巣にしました」と語る。
2003年4月18日に軍を離れ、11月名誉の除隊となったマッシー
はノースカロライナ州スモーキーマウンテンの家に戻ってきている。彼
はイラク地上戦の現実から同胞の目を覆い隠している無知の壁をぶち壊
したいし、夜眠れないほどの自責の念から脱したいと願っている。
また昨年秋にイラクから帰還した別の匿名希望の海兵隊員(23歳)が
こう付け加える。「私たちは死んだイラク人の死体の上に糞を垂れ、彼
らを車両で踏み潰しました」
同様の証言を行ってきた複数の海兵隊員たちが、名前が表に出ることで
海兵隊から報復を受けるのをずっと恐れている。マッシーは彼の証言が
他の同僚の告白を励ますのを望んでいながらも、恐怖にとりつかれる瞬
間がある。「立場がどうあれ、何をするにも、私は常に積極的な人間で
す。海兵隊を離れる時、これまで自分がやってきたことをみんなに伝え
るつもりだと言ってきました。あなたに言っておかなくてはならない。
カリフォルニアからノースカロライナにクルマで戻る間も、私は身の危
険を感じていました」

検問所での殺人
まだイラク侵攻開始から間もない2003年4月の初め、バグダッド郊
外の路上で起こったことがマッシーの頭から離れなかった。「その日は
とても暑く、バグダッドはまだ完全には陥落していなかった。一台の赤
いクルマが私たちの検問所に向かって時速45マイルの速さで走ってき
ました。上空に警告射撃を行ったが、止まらない。そこで私たちはクル
マに狙いを定めて全力で一斉射撃を行いました。私と運転手の目が合い
ました。クルマが目の前に止まった時、乗っていた4人の男性の3人が
すでに死んでおり、残る一人も負傷して血まみれ状態でした。
「私たちはクルマを捜索したが何の武器も出てきませんでした。そこで
衛生兵を呼んだのです。彼らは20分後に到着し、死体を道路脇に投げ
捨てました。報道陣がやって来ましたが、私たちは彼らを速やかに現場
から排除するよう指示されていました。まもなく、これと同じことが2
台のクルマで繰り返されたのです。まったくひどい一日でした」
「イラク人は救急車で爆弾を運び、イラク兵は民間人の格好で変装をし
ていると聞かされていました。でも何の爆発音も聞いていないことに気
がついた時、これは変だと私たちは思い始めたのです。役にもたたない
破壊された戦車や設備とゴーストタウン化した兵舎群を除いては、イラ
ク軍の施設内には何もありませんでした」。こう語る逆さまの世界に彼
は1ヶ月半に及び居続けたのである。
4月7日、マッシーは上官に彼が感じている疑念を述べた。「イラクの
地で私たちは皆殺し作戦に加担していること、彼らの文化を破壊し続け
ていること、多くの民間人を殺戮し続けていること、そういった感覚を
抱いていることを述べました。上官は何も応えず、立ち去りました。こ
れで私の軍歴は終わったと、私には判断できました」

最良の友人、最悪の敵
米軍の戦術について語りながら、マッシーは海兵隊が採用した新しい標
語を批判する。「海兵隊は次世代の兵士をこのモットーで教育していま
す。それは"最良の友人、最悪の敵"というものです。新しい洗脳教育に
ともなう標語は、いわば、<我々はお前を殺すつもりだが、それを撤回
するつもりでもある、お前にキャンディをやる用意があるが、縛り上げ
る用意もある>というようなものです。私たちはある日市内に入り込み
民間人死傷者が発生するに違いない地点で道路封鎖を行います。そして
翌朝には人道的任務を行うというわけです。兄弟や母親を殺された人々
が態度をひるがえし諸手を挙げて歓迎するなんて、どうして期待できま
すか?」
マッシーによると、対テロ戦争で海兵隊員に感覚の一層の鈍化が必須で
あることが新しい標語に凝縮されている。「あなたはジキル博士とハイ
ド氏のようになることを強いられます。30分以内にスイッチを入れた
り切ったり、人道的任務をやったり止めたりしなければなりません」。
またこうも付け加える。「3ヶ月の訓練期間中に海兵隊員がその影響下
に置かれることになる感覚磨耗技術の中には、さらに害が大きく潜在意
識に働きかけるようなものもあります。練兵場から聞こえてくる歌があ
りますが、実際の訓練はこの歌よりもさらに屈折したものなのです。
<校庭にアメをばらまいて、群がる子供を見定めて、お前のM50に弾
帯を装填し、小さなガキどもをなぎ倒せ!」

幽霊部隊
最近イラクから帰還した海兵隊員マイケル・ホフマン兵長(24歳)は
大した戦闘がなかったにもかかわらず、大量の武器を持ち込んでいた点
を強く確信して述べている。「私たちは、空中で爆発しては中に仕込ま
れた88個の地雷をばらまくような改良された兵器(クラスター爆弾)
を使用しました。私たちはそればかりを使った。それを使わなかった回
数をこの10本の指で勘定できますよ」
さらに秘密度の高い特殊部隊、とりわけタスクフォース121(これは
幽霊部隊として知られる、ラムズフェルド国防長官によって特にイラク
戦のために作られた部隊で、デルタフォース、ネイビーシールズ、そし
てCIA の準軍事組織の要員で構成される)の活動は、もっと大きな罪を
犯したと言えるであろう。マッシーの小隊はこの幽霊部隊と共に4回、
そして特殊部隊と共に1回の強襲作戦を実行した。「私たちは村々に潜
入して、サダムの一派と思われる家の扉にC−4爆薬を固定してまるで
ゲシュタポのように彼らの家々を物色しました。幽霊部隊は私たちが扉
を爆破するまで待機しており、家の住人を閉じ込めておいて、潜入する
のです。彼らは大量の現金以外には何も見つけることはありませんでし
た」。家の住人がどうなったか?「私たちが撤収してから住人たちがど
うなったかは判りませんが、情報部員の報告では、爆砕された住人も何
人かいたようです」
これがマッシー二等軍曹が加担を拒否した戦争である。すなわち、一般
市民と戦闘員との境界線がはっきりしない戦争、そして兵隊たちが幻の
軍隊と戦う一方で、殺されたイラク人に対しては自分たちのことを救世
主と見ることを要求している戦争である。
「海兵隊員たちは敵を殺すよう洗脳されてきましたが、現在は民間人を
殺すよう洗脳されているのです。彼らはもっぱら戦場で敵と対峙する訓
練をしてきたものです。でもイラクではどこにも敵などいないのです」
とマッシーは語る。またホフマン兵長も断言する。「訓練中には標的を
確認できたのに、実際の戦闘では標的を想定していながら一度もそれを
確認することができませんでした。私たちは標的の識別に関しては何も
気にしなくてよいと言われていました。標的の識別は上の司令部が行い
私たちはただ標的を与えられて撃つよう命令されたのです。自分で何を
撃っているのかまったく判らない状態だったのです。後で司令部のほう
から私たちの撃っている標的が何なのかを教えてくれましたが、それが
事実かどうかは判りませんでした」

▲ナターシャ・サルニエは、ニューヨークに本拠を置く独立系ジャーナ
リストで、Common Dreams、Truth Out、Greg Palast.orgを含める
オンライン出版社の他に、Liberation、l'Humanite など、フランスの
出版社にも寄稿している。