和田通信No.167 2001年12月号   発行 株式会社和田マネイジメント
   
「売れない!駄 目だ!」と嘆いている人への クスリになる事実!

 11月27日、福島から米沢に入る峠に来ると今年一番の雪に出会った。新幹線の窓から見る雪の降る様子は真冬のそれとは違い、山の頂や中腹部までは白く覆ってはいるが、山裾に近い部分には「まだまだ本格的な雪景色にはしないぞ!」といわんばかりに少しばかりの雪がうっすらと積もっていた。しかし、そのコントラストが見る人にはかえって美しく感じさせる。
 米沢駅を通る頃、上杉鷹山のことがチラッと頭をかすめた。財政困窮の米沢藩を自ら一汁一菜の生活をして立て直したという話しは今の時代に最も必要なことであり、また、参考にすべき具体的な話しである。
 今回の山形行きの目的はMガキ大将ラーメンの望月社長からご縁をいただいて以来、親しくしていただいているMひかり工房の小玉 仁社長を案内役に「元気な店」を体感することである。
 小玉さんは東北で一番の企画会社を経営していた方だが、取引先の不渡りにあい、大変な苦労をされた。しかし、持ち前のエネルギーでMひかり工房を再生し、復活を成し遂げた魅力ある経営者である。何しろ前向きで明るくて、誠実で、しかも気配りの人である。
 最初に月山の麓にある山形から北西へ30km位の地、西川町に向かった。出羽三山の一つであり、信仰の山として今でも多くの山岳信者が訪れる月山、西川町はその宿場町として栄えた。
 実はこの西川町問沢には27年前に何度か来たことがある。ここに当時、日本一の山菜料理屋と言われた「出羽屋」があったからである。田舎育ちで、山菜のことは多少知っていた私で あったが、そこでは全ての常識がうち破られた。 出羽屋の店主は「全ての山菜は食べられる!」と言う。そして、その品数の豊富さ、料理方法、味の良さ全てに驚愕したことを覚えている。
 今回訪れる山菜料理屋はこの「出羽屋」ではなく、その目と鼻の先位 にある「玉貴」である。久しぶりに来た間沢の宿はすっかり変わっていたが、この「玉 貴」の前に来てみると、まさに「新老舗」の門構えをしていると感じた。
 今回の訪問先であるこの「玉貴」、上山の「丹野こんにゃく」、そして泊まる宿である天童の「天童荘」、この三つの注目の店はみな「新老舗」である。このキーワードはこれからの商売において、大切なキーワードである。
 「玉貴」は寒河江川の清流せまる場所にあるが、小玉さんによれば、ここに店を造る前は「藪と雑木で全くひどい所でした」ということである。しかし今や、実に心落ち着く場所に一変した。「丹野こんにゃく」のある場所にしても同様の荒れ地であったという。
 店に入ると店主の阿部さんが迎えてくれた。広い玄関には予約客のためのスリッパが整然と並べられており、予約人数も大体計算できる。小玉 さんによれば、この「玉貴」の店主は毎日、下足番をしているというのだが、はきものを見るとどこの誰かすぐにわかると言う。考えてみると下足番こそが「顧客接点」の一番大切な場所である。それを大切にしている店主の姿がこの店の姿勢の全てを表している。
 「丹野こんにゃく」も同様である。玄関では年老いた店主のお母さんが客を迎えてくれる。奥さんはお客さんに料理を運び、お客さんの声を全て聞きもらさないように接客につとめている。そしてご主人の丹野さんはこんにゃくという素材を懐石料理にまで高めようと商品開発と料理道一筋に頑張っている。
 「玉貴」も「丹野こんにゃく」も店主が仕事一筋で現場に立ち、自分の仕事、役割を一つの「道」として日々邁進しているということが今の繁栄の根本になっているように思う。
 「玉貴」の料理は全て近在でとれた自然の恵みを独自の料理にして仕上げている。実においしい。一つひとつの料理に特徴があり、十品ほど食べても飽きさせないのである。
 ご主人は、30年ほど前は山で木を切っていたのだが、仕事がだんだん無くなり、間沢の地で山菜などを売っていた。しかし、それも衰退して行き、二十数年前から今の料理屋を始められた。そして今や皇室方も寄られるという大変な店になり、伝説の超繁昌店になったのである。
 「丹野こんにゃく」は今から十八年ほど前に開業した。上山の東部にあり、蔵王の麓の羽州街道、そこの樽下宿の一角にある。春から秋にかけて、この僻地ともいえる場所にたくさんの車がきて、あふれんばかりの人々が押し寄せる。その大半が女性客である。
 しかしここの「丹野こんにゃく」で丹野さんの創ったこんにゃく料理を食べると、私達が持つこんにゃくの常識は覆され、「驚きと感動」に口も心も参ってしまうのである。
 一度、口に入れれば、丹野さんの言う「たかが蒟蒻、されど蒟蒻」という考え方が迫ってくる。その料理には丹野さんの職人として、そして料理人としてのご自身の生い立ちからの想いが全て乗り移り、蒟蒻を一つの芸術作品にまで仕上げた丹野さんの生き様が伝わってくる。
 人間の無限なる創造力、そして一つの仕事、商品へのこだわりは、辺境の地にまで多くの人を引き寄せる、まるで引力のような力を発揮することが可能になるのである。まさしく「一品一品感動」である。
 大量生産時代の今、世界中で「独自性」ある商品や店やサービスが求められている。同じ店をたくさん創ることも一つの生き方である。しかし、これが全てであり、正しいとは思わない。
 「玉貴」も「丹野こんにゃく」もここだけにしか無い独自性を持ち、量 産化できないことを店主の目の見える範囲でのみやっている。
 「丹野こんにゃく」も驚くべき売上を誇っているが、「玉貴」も「丹野こんにゃく」も売上は結果 であり、売上をつくるために商売をしているのではないという姿勢がある。
 今、そしてこれから、もっともっと一つのことにこだわる時代に入った。お客さんはそれを求めているのである。「客がいない!お客さんが買ってくれない!」とよく言われるが、しかし、この山形の辺境の地に行くと、嘆いていること自体がばからしくなる。
 「本物」と「独自性」はどこからでも人を呼び、そしてお客さんを気分よくさせれば、口コミもリピートも生まれることを教えてくれる。

 

1.アサヒビール48年ぶりに首位になる!
 ビール業界でついに奇跡が起こった。ガリバー「キリン」の首位 は絶対的なもので、「まず抜かれないだろう」というのが常識であった。しかし、その常識が破られ、新たなる伝説が生まれたのである。  2001年、ビール・発泡酒の年間販売数量で、アサヒはビールの「スーパードライ」が好調、そして2001年2月発売の発泡酒「本生」もヒットし、首位 獲得に貢献した。アサヒの数量は前年比9%増の2億1,700万ケース(1ケース=大瓶20本換算)で、キリンは6.6%減の2億120万ケース。アサヒがキリンを1,580万ケース上回った。これは1953年以来、48年ぶりのことである。

2.国内株式市場の売買,50%は外国人!
 東京証券取引所によると、2001年の投資主本体別 の株式売買動向では、東証・大証・名証の主要3市場で、売買代金を占める外国人投資家の割合は前年比9.4%増の51.8%になり、統計をとりはじめた82年以降、初めて50%を超えた。金額で約138兆円であった。

3.米企業の株式時価総額でGEが2年連続首位 に!
 2001年末のニューヨーク株式市場とナスダックに上場している企業の時価総額をみると、やはり高いシェアを持つ企業が上位 にあることがわかる。  GEは2年連続して首位になっている。 1位 :GE 3,982億ドル 2位:マイクロソフト 3,569億ドル 3位:エクソンモービル 2,688億ドル 4位:シティグループ 2,597億ドル 5位:ウォルマート 2,565億ドル 6位:ファイザー 2,505億ドル 7位:インテル 2,111億ドル 8位:IBM 2,074億ドル

4.日本一売っているバイキングブッフェレストラン!
 最近、超一流ホテルは別として、朝食はブッフェスタイルが多い。温泉地のホテル、旅館でもほとんどがこのスタイルを導入している。  米国の中西部に行くと「ブッフェ・レストラン」が多い。日本ではこのブッフェスタイルを“バイキング”と呼ぶが、その呼び方は日本独自のものである。  実は帝国ホテルの「インペリアルバイキング」が本家本元で、総料理長であった村上信夫氏がフランスから修行を終えて帰国する際、北欧を周った時に現地の「スモーガス・ボード」という料理を見て感動し、1958年に日本でマネをしたというのが始まりだったという。  現在も17階に「インペリアル・バイキング」というブッフェレストランがあるが、98年は29万5,000人、99年が31万1,000人、そして2000年には29万8,000人の客が訪れたという。  しかし今、日本で一番集客しているのは品川プリンスホテルの「ハプナ」であり、年間200万人が来店する。ちなみにランチの価格は帝国ホテルが5,000円、品川プリンスホテルは2,000円である。

5.2001年、新興3市場に147社が上場!
 2001年12月12日までに新興3市場に上場した企業は132社で、年内に16社が上場する予定である。合計147社になり、2000年に次ぐ高水準になる。一方、米店頭市場(ナスダック)はテロ事件やIT不況もあり、12月時点で53社にとどまっている。  また、上場会社131社のうち、初値が公募価格を上回ったのは95社に上る。市場別 ではジャスダックが97社(2000年と同数)。ナスダック・ジャパンは43社(昨年の10社増)。一方、マザーズは7社(同20社減)と大幅に落ち込んだ。

6.2001年に倒産した会社の負債総額、前年に次ぐ戦後2番目の額に!   By 東京商工リサーチ
  2001年の企業倒産は前年比2.1%増の1万9,164件だった。負債総額は30.8%減の16兆5,196億円。件数では17年ぶり、負債総額も前年に次ぐ高水準で、ともに戦後2番目、倒産した会社の社員数は22万人になり、これも戦後最高となった。2002年も倒産件数は増加するとの予想が出ており、2万件を突破する恐れもあるという。

7.破産申し立て、最悪の16万件に!
 全国の地裁への破産申し立て件数が2001年は16万件を突破。最高裁の集計によると2001年1〜10月における全国での申し立て件数は法人、個人併せて13万3,840件、前年同期より14%増えており、このペースで推移すると年間で約16万7,000件に達し、前年より2万件も増えることになる。

8.紳士服市場は年々縮む方向へ!
 2000年のメンズスーツの市場規模は前年比3.3%減の4,597億円となり、92年以来、8年連続のマイナスとなった。一方、中国をはじめとする海外からの輸入は増加しており、前年比で12.1%増の1,506万着と急増している。これらが価格低下や在庫膨張の原因にもなっている。  トップ企業の青山商事はピーク時の94年3月期の売上で1,823億円、経常利益で306億円を記録したが、その後は落ち込み、今期の経常利益は81億円程度の見通 しだという。アオキやコナカも業績が低迷している。  今や「安売り紳士服の郊外店」の“業態価値”がなくなってしまったのだから大変である。さらにこれから団塊世代が定年を迎え、スーツを着なくなる。これも成長を鈍らせる要因になる。

9.世界の貿易額(輸出)は6兆3千億ドル!  By IMF
 2001年の世界の貿易額(輸出額)は6兆3千億ドルで、前年を12%上回り、過去最高となった。主因は情報技術(IT)関連製品の輸出増と原油高である。  国別でみると、やはり中国の台頭が目立つ。1990年、中国のシェアは2%で第13位 であったが、2001年は4%で7位となった。トップは米国の12%、2位がドイツ、3位 が日本の8%である。